ライトフロウズ ノウト:Lightflowz-Note

音の和 彩の波 響き合う
五感豊かなひとときを♪ 

2019年 お仕舞blog☆彡

2019-12-30 | ライトフロウズノート...

ライトフロウズノウト 今日の一ページにようこそ♪

 

今 晦日の23時で

2019年もあと少しとなりました

 

いつも年末にはその年の振り返りを少し

書くのですが、この年末は

今年から来年に持ち越したことが

多くて、まとめるという作業に

不向きなタイミングだったりします^^;

 

来春の英語の新設クラスの準備をしている

のですが、その中にHP開設や

フライヤー・パンフレットなど

自分で作る用件があって

 

不慣れであったり

PC作業 苦手であったり

「書く」のが遅かったり

…書く、というより「言葉をみつける」

「見つけたものから選ぶ」のが

難しい時がある…けれど、

貴重な助言も多々いただき、

来春に向けての準備は

また楽しみつつ進めていき

 

お伝えできるようになったら

blog内でもご報告いたしますね♪

 

年末の振り返りとは別で

時折「記憶」について

気になり思案するときがあるので

 

年末まとめの代わりに そちらを

少しこのぺージで書いてみます

 

教育学習の分野に携わるものにとっては

どの科目・分野にしても 暗記

Wikiより→ 暗記(あんき)とは、書いてある文章を見ないで

口に出して言えるようにするために覚えること。記憶法の一種。)

 は必須な学習要素のひとつ、

ただ現在は ”単純暗記”の世界では ひとの頭脳は

PCの力に遥かに遠く及ばない状況になり、そのため 

 

社会に出るために必要な学習課目・内容は

急激に変化・現場の対応が求められ

一口に言えば とても大変、もし大変と

気づいてないところは 

もっと大変な状況に陥りそうで

 

そのあたりが表面化したのは 

今秋のニュースで大学入試の

英語の外部試験導入中止・国語の

記述問題見送りなどで出たのですが

 

これらについてはまた別のページで

機会があれば書こうと思います

 

実は、大学入試改革の動きは 水面下では

おそらく十年近くも動きがあり

学習関連の講師間でも注視してきたことで

急に始まったことでもないです

が、なかなか背景も複雑で上の説明もとりあえず

という程度でしか書けていません。

 

ただ、今書こうとしたのは

暗記偏重を修正するための

入試改革のことではなく

 

もう少し身近な記憶のお話

 

やはり”そらで覚える”ということは勉強に

必要で 暗記のスピード早く量が多いと

有利なことには違いないです

(何人にひとりか?正確にはわからないですが

単純暗記スピードは遅くても エピソード(紐つけ)記憶

の力が強くて長期の記憶に優れるタイプはいる)

 

一時期 私は塾の講師をしていたのですが

非常勤でしかも小学生英語は

学校の課目ではないこともあり

生徒さんと接する時間を

とても少なく感じていました

 

学校の先生は月~金の日中ほぼ毎日、

塾の正社員の先生も週2~3日

プラス受験対応などで生徒さんとの

学習時間があるけれど

私の受け持ちクラスは週一1時間だったので

 

その中で必然的に授業の内容が少しでも

速やかに印象深く生徒さんに入るように、と

願うようになりました。

 

仕事の環境としては整っていて

有難かったし熱気のある場所の雰囲気は

今でも懐かしく、周りには全く不満などなくて

 

「記憶に残る授業」は

自分自身のテーマ、課題となり

今でも持ち続けています

 

そして自分の記憶を遡ってみる時も

あります。どんな時のことを

よく(機嫌よく)覚えているか?

 

英語のことも考えますが書いてるうちに

大晦日になったし、押し迫って

学習のことをかくより

音楽の記憶をたどったことを

書きましょう 

 

 

音楽を聴いた最初の記憶は多分

母の子守歌、そして幼稚園での歌や楽器など

多くのかたがたと共通しそうな記憶と、

あと 子供のころの記憶の一番昔ななかで

家にクラシック名曲の古いレコード集があるのを 

お宝発見のような気分で見つけて

聞いたのを覚えています

百科事典集何冊かの最後の巻(芸術の巻?)

の付録だったように思う

 

自分でレコード(年がわかりますね^.^)

の針を落としてをかけられる年齢では

あったのかなと思いますけれど

何やら気に入って

ひとりで聴いていました

「ハイドンのセレナーデ」「アルルの女」

「カルメン」などはすぐ好きになり、

そのどこかに「月の光」も入っていたのですが

これは最初特に好きでもなかったのが

何回か聴くうち 急に好きになったのですが、

その名曲集のレコードを初めて見つけた時の

景色の記憶と月の光を急に好きになった瞬間の

小さく目覚めるような感覚を今でも覚えています

多分ピアノのお稽古を始める前の頃の記憶

と思う 私がクラシック音楽に出会った原風景

と言えるかもしれません

 

そして今でも毎日のように

何かしら音楽、8~9割がたクラシックを

聴いています♪

 

ピアノを習い始めたのは幼稚園の頃で

動機は「お友達が習っているから」という

単純なもので、この年齢ながら”大きな楽器を

買ってもらえるかな”とドキドキしたことを

覚えています

習い始めたピアノの教室は家に近い という

理由で通ったのですが とてもきっちりした先生で

最初は画用紙の五線紙にト音記号とヘ音記号、音符を書く練習

から、音符の丸は上半分、下半分と分けて書く

ト音記号の上の交差は上から二番目の線上でxに交差する

ように、というのが難しかったこと、あとピアノを

あけたときの鍵盤の匂いはよく覚えている

そして初めての発表会で弾いてのが

「アラベスク」と「海辺の歌」ブルグミュラー作曲

で発表会本番のピアノの鍵盤の色が黄色味がかっていた

のもよく覚えています

(今は子供さんでもリハされるところ多いですが

当時はいきなり本番)

 

というように”最初” の強い印象は残りやすい

のですね。始めが肝心という言葉もある通り。

 

お稽古通っていた時の記憶はいくつも

出てくるのですが 今から振り返ると

最初に浮かぶのはやはり原風景のような

記憶たちです

 

ピアノの練習のことで

その最初の記憶たちの次に

思い出すのは初めて弾いたバッハのピアノ曲集のこと、

バッハの曲にもベートーベンやモーツアルトの曲など

にあるように 小学生からでも弾けるほどに

弾きやすくて可憐な小曲があるのですが

 

私が習っていた先生のところでは

バッハの曲を弾き始めたのは中学あたり、

「インベンションとシンフォニア」という

二声(右手・左手どちらもメロディーを弾き、時に互いの伴奏

にもなる)と三声(右手・左手・右手と左手で繋いで弾く三つ目の

メロディーが中間にある)

ピアノ学習者にとっては必修のような

ピアノ曲集でした

ほとんどが二分前後で終わる小曲集ですが

ひとつひとつが表情ゆたかで創造的で

多くのピアニスト、ハープシコード奏者の録音もあります

 

わたしにとっては小曲で演奏時間がごく短いのに

どこを箇所を切り取っても和音が不思議に響く

曲集で折に触れて聴いています

 

一番最初のハ長調の曲はそれほどでなかったのですが

二番目、三番目に習った曲の譜読みをしている

時に”次の音がこれ?その次はこれ? そしてこの

組み合わせ(和音)になるの?本当に?と

何回も驚いた感覚は今も蘇ります。

 

これもある意味それまで馴染んでいた

音楽のメロディーや和音と

違う音色、響きに出会った最初の印象…

 

(この体験と私の曲の説明は

あくまで普通のひとりのピアノを習っていたものの

ごく私的な感想で 音楽の専門知識も持つ方や

クラシックファンとして深い造詣のあるかた

は曲紹介などもっと深くて正確な説明をされると思います)

 

でピアノレッスンを続けていたあいだ

平均して2~3週ぐらいで一曲あがる、一回に3~4冊楽譜

のサイクルで高校まで続けて合計

何曲を弾いたかは計算できない(放棄)のですが

一回一回の普段の練習の記憶はほぼないです

発表会の曲も思い出せないのがある

沢山練習して緊張の本番もあったのに@@

 

などなど

音楽とピアノの記憶を遡ってみて

やっぱり記憶にしっかり残るのは

最初の体験で新鮮さや感動、

鮮やかな視覚が連動するときなのかなと

思います

 

では私も 英語のクラスで毎回

新鮮な感動を提供するとよいのでは?

と一瞬考えましたが

これまで出会った素晴らしい、すごい

魔法のような力をお持ちだった先生方の

授業を思い出すと

本当に不思議なことに

特別目立つアクションや言葉を使用された

かたばかりでもなかったのでした

 

カリスマ的に強烈なパワーを持って

いる あるいはすごく厳しくこわく暖かく

魅力的、と素晴らしい先生にも出会いましたが

 

別のタイプで

 

ご自身が自然体の中で

向かい合う何人もの生徒さんを導き

大きく確かな実力養成する、

端的にいえばどうしても

 

点数や偏差値の話になるのですが

同じ課目でその先生のクラス、あるいは

受け持ちのときは平均点が10~20ほどもあがる

決してスパルタではないのに、

という先生がた 何人かにこれまで接することが

できたのは幸運なことでした

奇跡のようなこれらの先生方は

生徒さんたちの頭脳や心に

どのようにアプローチされているのか

 

「声」「言葉」「ハート」など

いくつかのキーワードは浮かびます

ひとつの要素だけでもないですし

自然体でも何もなさっていないのではない

 

資格や検定試験の数値があれば可能、という

ことでもない

 

魔法使いの魔法 を自分なりにみつけて

いけるように、というのは

新年継続の目標のひとつ

でもありました

 

みなさまがた

本年もありがとうございました

どうぞ佳いお年をお迎えくださいませ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


【 十二月の光の詩 : 光の記憶と 】

2019-12-28 | 十二か月の月の詩

ライトフロウズノウト 今日の一ページにようこそ♪

 

みなさま良きクリスマスの時を

過ごされたことと思います。

そして新年に向けての用意でそれぞれに

いそがしくされていることでしょう^^

 

SNSでは各地の雪景色の写真を

見かけるようになりましたが

 

北摂あたりではまだ初雪をみません

それでも

冷え込むのには違いないので

気を付けて、といっても

家の中ではいつもとても暖かい恰好を

している私です

(登山にいけそうなほどに もこもこ)

 

12月中には今年のお仕舞いblogをひとつ

書きたいなと思ってましたら

それより先に

ふと12月の詩ができました

 

普段のblogが書けそうで書けなくて

今に至りますが

(「書く」のは私はたいてい遅い…

「読む」のは早いのですが)

 

こちらの詩は

案外すっと出てきたのが不思議です

私の中のどこかで温めてたのだろうか?

 

氷山の海中の部分のような

無意識の領域にある

思考か感覚の回路がつながって

意識~海面上に出て手が動くと文字になる

 

書き出すとけっこう集中するのですが

集中スイッチが固い‥のは

高校の時から同じで少し不便やなと

自分でもよく思う

 

さて12月のは

いつもと違う雰囲気のに

なっている気がします

 

もしよければお読みください↓

 

 

【 十二月の光の詩 : 光の記憶と 】

 

光の記憶 :
その時 わたしは
観ていました

わたしの投げかけた輝きが
あらゆる色に
変わるのを
 
限りない喜びとともに
みていました

風の記憶 :

その時 わたしは
聴いていました

わたしにつながりながら
世界中を旅した姉妹たちが
それぞれ集めた音を
合わせてシンフォニーを
奏でるのを

限りない愛しさとともに
きいていました


水の記憶 :
その時 わたしは
歌っていました

あらゆる揺らぎの響きを
わたしの中で
受けとめて

調えた結晶で
音譜をつくり

最も美しい願いをこめて
うたっていました


土の記憶 :
その時わたしは
眠っていました

光の子どもの
揺りかごに届ける
豊かな栄養を育むには

静かに安らかに
休まなくては
なりません

そこでわたしは
誰よりも深い慈しみともに
眠っていました



時の記憶 :
その時わたしは
嘆いていました

光と風と水と土
という名の
わたしの愛し子たちを

あの蒼い星に
置いてきて
しまったことを

素晴らしいはたらきが
報われず忘れられて

常闇に閉ざされる
恐れがあったというのに


けれどもわたしは

みずからを顧みず
あの星に残った
その勇気を言祝ぎ

限りない誇らしさとともに

わたしの愛し子たちを
とこしえに見守り続ける
ことを誓います


 

 

 

 

 

 

 

 

 


【 11月の光の詩 : 輝く音色】と【 季節の狭間の小さな光の詩 : 星の欠片】

2019-12-05 | 十二か月の月の詩

ライトフロウズノウト 今日の一ページにようこそ♪

12月に入り急に冬らしくなってきて

風が冷たく空も低い

北のほうから雪の便りも聞こえてきました

 

それでも朝から日中に聞こえる小鳥たちの声は元気

お馴染みさんの中に

綺麗な笛のような声のがいて その音程が

三度(ピアノの鍵盤でとなりのとなりの音、ド→ミ)ほどと

五度(ド→ソぐらいの音の差)ほどの高低の音程と

ワンフレーズ最後に微妙にピールンッと節を回す

組み合わせ何通りかで

なかなか魅力的なメロディーを

聴かせてくれます

真冬になってもいてくれるかしら

私はまだ姿を見てないのですが

家族が見つけたところ その小鳥は雀と

同じくらいか もうちょっと小さいのだそうです

 

12月に入りましたが

11月の詩と

なぜか珍しく 10月と11月の間にひとつ

できたので二つとも載せます♪

もしよければお付き合いくださいませ

 

 

 

【 季節の狭間の小さな光の詩 : 星の欠片 】


風に舞う

落ち葉の紡ぐ

メロディを


密やかな心が

聴いている


知らないふりで

少しうつむいて


音の色に

染まる指先を

見ている


内に秘める約束を

交わしたのは

誰とだったか


思い出すのは

少し先のこと


風に隠れる

モノローグ


昨日見つけた

探していたもの


手のひらにのせて

そっと見つめれば


それは

硝子の欠片の

ようなかたちで


冴えて凍てつく

遠い夜空の

星の光の

投影をする




【 11月の光の詩 : 輝く音色 】

音の色

色の音

音の色を
見たことがありますか

ひとつひとつの音は
いつも
それぞれの色を
持っている


色の音を
聞いたことが
あるでしょう

ひとつひとつの色は
いつも
それぞれの音を
持っている


ひとりとまわり
境い目はどこ?

宇宙が生まれた
始めの時には

みんなひとつの
ところにいました


世界中の言葉
集めても
名付けきれない

無限の数の
音の色


どんなに細かな
目盛りがあっても
計りきれない

無限の波長の
色の音でも


母なる自然の
グラデーションには
すべてがそのまま
息づいている


私たちは
知っている

音の色を見るには
色の音を聞くには

ただこの温かな
からだと心を
使えばよいこと

そのメソッドを

遠い原始に
生まれた命から

今この時まで
受け継いできた

無意識の海の
底まで潜る力があること
気づけばその時

感知するのは

自らのなかで
輝いている

唯一無二の 
色と音とのハーモニー