ライトフロウズノウト 今日の一ページにようこそ♪
今 晦日の23時で
2019年もあと少しとなりました
いつも年末にはその年の振り返りを少し
書くのですが、この年末は
今年から来年に持ち越したことが
多くて、まとめるという作業に
不向きなタイミングだったりします^^;
来春の英語の新設クラスの準備をしている
のですが、その中にHP開設や
フライヤー・パンフレットなど
自分で作る用件があって
不慣れであったり
PC作業 苦手であったり
「書く」のが遅かったり
…書く、というより「言葉をみつける」
「見つけたものから選ぶ」のが
難しい時がある…けれど、
貴重な助言も多々いただき、
来春に向けての準備は
また楽しみつつ進めていき
お伝えできるようになったら
blog内でもご報告いたしますね♪
年末の振り返りとは別で
時折「記憶」について
気になり思案するときがあるので
年末まとめの代わりに そちらを
少しこのぺージで書いてみます
教育学習の分野に携わるものにとっては
どの科目・分野にしても 暗記
(Wikiより→ 暗記(あんき)とは、書いてある文章を見ないで
口に出して言えるようにするために覚えること。記憶法の一種。)
は必須な学習要素のひとつ、
ただ現在は ”単純暗記”の世界では ひとの頭脳は
PCの力に遥かに遠く及ばない状況になり、そのため
社会に出るために必要な学習課目・内容は
急激に変化・現場の対応が求められ
一口に言えば とても大変、もし大変と
気づいてないところは
もっと大変な状況に陥りそうで
そのあたりが表面化したのは
今秋のニュースで大学入試の
英語の外部試験導入中止・国語の
記述問題見送りなどで出たのですが
これらについてはまた別のページで
機会があれば書こうと思います
実は、大学入試改革の動きは 水面下では
おそらく十年近くも動きがあり
学習関連の講師間でも注視してきたことで
急に始まったことでもないです
が、なかなか背景も複雑で上の説明もとりあえず
という程度でしか書けていません。
ただ、今書こうとしたのは
暗記偏重を修正するための
入試改革のことではなく
もう少し身近な記憶のお話
やはり”そらで覚える”ということは勉強に
必要で 暗記のスピード早く量が多いと
有利なことには違いないです
(何人にひとりか?正確にはわからないですが
単純暗記スピードは遅くても エピソード(紐つけ)記憶
の力が強くて長期の記憶に優れるタイプはいる)
一時期 私は塾の講師をしていたのですが
非常勤でしかも小学生英語は
学校の課目ではないこともあり
生徒さんと接する時間を
とても少なく感じていました
学校の先生は月~金の日中ほぼ毎日、
塾の正社員の先生も週2~3日
プラス受験対応などで生徒さんとの
学習時間があるけれど
私の受け持ちクラスは週一1時間だったので
その中で必然的に授業の内容が少しでも
速やかに印象深く生徒さんに入るように、と
願うようになりました。
仕事の環境としては整っていて
有難かったし熱気のある場所の雰囲気は
今でも懐かしく、周りには全く不満などなくて
「記憶に残る授業」は
自分自身のテーマ、課題となり
今でも持ち続けています
そして自分の記憶を遡ってみる時も
あります。どんな時のことを
よく(機嫌よく)覚えているか?
英語のことも考えますが書いてるうちに
大晦日になったし、押し迫って
学習のことをかくより
音楽の記憶をたどったことを
書きましょう
音楽を聴いた最初の記憶は多分
母の子守歌、そして幼稚園での歌や楽器など
多くのかたがたと共通しそうな記憶と、
あと 子供のころの記憶の一番昔ななかで
家にクラシック名曲の古いレコード集があるのを
お宝発見のような気分で見つけて
聞いたのを覚えています
百科事典集何冊かの最後の巻(芸術の巻?)
の付録だったように思う
自分でレコード(年がわかりますね^.^)
の針を落としてをかけられる年齢では
あったのかなと思いますけれど
何やら気に入って
ひとりで聴いていました
「ハイドンのセレナーデ」「アルルの女」
「カルメン」などはすぐ好きになり、
そのどこかに「月の光」も入っていたのですが
これは最初特に好きでもなかったのが
何回か聴くうち 急に好きになったのですが、
その名曲集のレコードを初めて見つけた時の
景色の記憶と月の光を急に好きになった瞬間の
小さく目覚めるような感覚を今でも覚えています
多分ピアノのお稽古を始める前の頃の記憶
と思う 私がクラシック音楽に出会った原風景
と言えるかもしれません
そして今でも毎日のように
何かしら音楽、8~9割がたクラシックを
聴いています♪
ピアノを習い始めたのは幼稚園の頃で
動機は「お友達が習っているから」という
単純なもので、この年齢ながら”大きな楽器を
買ってもらえるかな”とドキドキしたことを
覚えています
習い始めたピアノの教室は家に近い という
理由で通ったのですが とてもきっちりした先生で
最初は画用紙の五線紙にト音記号とヘ音記号、音符を書く練習
から、音符の丸は上半分、下半分と分けて書く
ト音記号の上の交差は上から二番目の線上でxに交差する
ように、というのが難しかったこと、あとピアノを
あけたときの鍵盤の匂いはよく覚えている
そして初めての発表会で弾いてのが
「アラベスク」と「海辺の歌」ブルグミュラー作曲
で発表会本番のピアノの鍵盤の色が黄色味がかっていた
のもよく覚えています
(今は子供さんでもリハされるところ多いですが
当時はいきなり本番)
というように”最初” の強い印象は残りやすい
のですね。始めが肝心という言葉もある通り。
お稽古通っていた時の記憶はいくつも
出てくるのですが 今から振り返ると
最初に浮かぶのはやはり原風景のような
記憶たちです
ピアノの練習のことで
その最初の記憶たちの次に
思い出すのは初めて弾いたバッハのピアノ曲集のこと、
バッハの曲にもベートーベンやモーツアルトの曲など
にあるように 小学生からでも弾けるほどに
弾きやすくて可憐な小曲があるのですが
私が習っていた先生のところでは
バッハの曲を弾き始めたのは中学あたり、
二声(右手・左手どちらもメロディーを弾き、時に互いの伴奏
にもなる)と三声(右手・左手・右手と左手で繋いで弾く三つ目の
メロディーが中間にある)
ピアノ学習者にとっては必修のような
ピアノ曲集でした
ほとんどが二分前後で終わる小曲集ですが
ひとつひとつが表情ゆたかで創造的で
多くのピアニスト、ハープシコード奏者の録音もあります
わたしにとっては小曲で演奏時間がごく短いのに
どこを箇所を切り取っても和音が不思議に響く
曲集で折に触れて聴いています
一番最初のハ長調の曲はそれほどでなかったのですが
二番目、三番目に習った曲の譜読みをしている
時に”次の音がこれ?その次はこれ? そしてこの
組み合わせ(和音)になるの?本当に?と
何回も驚いた感覚は今も蘇ります。
これもある意味それまで馴染んでいた
音楽のメロディーや和音と
違う音色、響きに出会った最初の印象…
(この体験と私の曲の説明は
あくまで普通のひとりのピアノを習っていたものの
ごく私的な感想で 音楽の専門知識も持つ方や
クラシックファンとして深い造詣のあるかた
は曲紹介などもっと深くて正確な説明をされると思います)
でピアノレッスンを続けていたあいだ
平均して2~3週ぐらいで一曲あがる、一回に3~4冊楽譜
のサイクルで高校まで続けて合計
何曲を弾いたかは計算できない(放棄)のですが
一回一回の普段の練習の記憶はほぼないです
発表会の曲も思い出せないのがある
沢山練習して緊張の本番もあったのに@@
などなど
音楽とピアノの記憶を遡ってみて
やっぱり記憶にしっかり残るのは
最初の体験で新鮮さや感動、
鮮やかな視覚が連動するときなのかなと
思います
では私も 英語のクラスで毎回
新鮮な感動を提供するとよいのでは?
と一瞬考えましたが
これまで出会った素晴らしい、すごい
魔法のような力をお持ちだった先生方の
授業を思い出すと
本当に不思議なことに
特別目立つアクションや言葉を使用された
かたばかりでもなかったのでした
カリスマ的に強烈なパワーを持って
いる あるいはすごく厳しくこわく暖かく
魅力的、と素晴らしい先生にも出会いましたが
別のタイプで
ご自身が自然体の中で
向かい合う何人もの生徒さんを導き
大きく確かな実力養成する、
端的にいえばどうしても
点数や偏差値の話になるのですが
同じ課目でその先生のクラス、あるいは
受け持ちのときは平均点が10~20ほどもあがる
決してスパルタではないのに、
という先生がた 何人かにこれまで接することが
できたのは幸運なことでした
奇跡のようなこれらの先生方は
生徒さんたちの頭脳や心に
どのようにアプローチされているのか
「声」「言葉」「ハート」など
いくつかのキーワードは浮かびます
ひとつの要素だけでもないですし
自然体でも何もなさっていないのではない
資格や検定試験の数値があれば可能、という
ことでもない
魔法使いの魔法 を自分なりにみつけて
いけるように、というのは
新年継続の目標のひとつ
でもありました
みなさまがた
本年もありがとうございました
どうぞ佳いお年をお迎えくださいませ