ライトフロウズノウト 今日の1ページにようこそ♪
ここ数日は風がひんやりすっと秋らしく
空の雲も高いところに薄く掃いたようなのが多くて
日ごとに秋が深まる様子です。
紅葉の便りもあちこちから聞かれるようになりました♪
最近はGO TOキャンペーンなどで外出が増える傾向のようですが、
一年のうちでは新しい出会いはそれほど多くない時期です
・・・が最近少し新しいところにいったりもしています。
そして今日は自己紹介するときのお話から♪
初めて会う方に自己紹介をするとき、私は
仕事については「英語講師をしています」とお伝えします。
英語の講師としての最初のお仕事は、とある出版社系の
子ども英語クラブ所属で「ホームチューター」=ご家庭を訪問して
小さな子供さんに教える幼児向け英語学習でした。
そして塾の非常勤講師の数年あり、そのあと現在継続中の
アゼリアカルチャーカレッジ(池田市)での英語講座開設となり
来春9年目、オリジナルカリキュラムで5クラスを担当しています。
一時 並行して社名にローマ字がある会社の通信学習の添削の先生も
していましたが、メインはいつのまにか英語学習のほうとなりました。
私自身の英語学習体験スタートは、今のように
幼稚園や小学校からもう英語の時間があって
ネイティブの先生が来る(羨ましい)ことは無かった時代で、
中学校の授業で初めて習ったときから始まりました。
(最初のスーパー恐い&おもしろい&よくわかる先生大感謝)
それから高校では、高校の先生のとても良い授業とESSクラブ、
高校~大学で時々英語スクール、
その後 社会人として違う業種でお仕事した時期があっても、
英会話学校や、そこの先生の良いアドバイスもあり
英字の新聞・書籍・雑誌読む&英語音声の音楽やテレビやラジオ聞く
などして何かしら続けていました。
子育て中の時でも、子供の学校でPTA外国語クラブ(これはあったのがラッキー)
そこから同好会的な英字新聞読む集まりなどあり、
英語との接点ゼロになった時期はそれほどなかったと思います。
けれどそれほど熱心に目的を持ってというのでもなく
気が向くのを細く長く、の感じだったでしょうか、
言葉の学習自体多分好きなほうで、英語以外にも興味はあって、
小さな図書館で日本語講師養成講座や韓国語・中国語・スペイン語の入門
(ABCのAのAあたり)などで親しんだこともあります。
日本語講師は、とある市の中学校の交換留学生の日本語学習を
ボランティアグループでお手伝い、というかたちで
実用というか少しだけお役にたてたのですが、
韓国語・中国語・スペイン語はほとんど忘れてます・・;
フランス語も大学の1~2年で習ったはずなのに・・;
(せっかく習ったのに勿体ないですね)
こんな私なのですが
英語学習については、カメの歩みのように
目覚ましい成果はすぐにはなくても、
ともかくも続いてはきたのでした。
そしてここ数年~今現在(2020年10月)は
フリーランスの英語講師、なので
はじめの自己紹介のお話に戻るとお仕事は
「英語講師です。」とお伝えします。
すると、かなりな割合でその時のお話相手のかたは
「すごいですね~」と応答されます。
”すごい”という言葉には私は当てはまらない
と思うので、そのたびに”いえいえ、そんなことは”
とお返事します。
その他に案外多いのが
「英語だけはちょっと…」
「英語は私はどうしても…」
のような「英語」にたいしての苦手意識の表現…
ほとんど拒否反応に近いのもこれまで
お聞きすることがありました。
(もちろん講座の勧誘などしてないです)
時間とその時の話相手との関係性が許せば、
これまでの英語嫌いの元になりそうな、苦労された
逸話などお聞きして会話することもあるのですが
それほど時間がない時のほうが多くて、そんな時には
”これまでしんどい英語学習にあってこられたのやな”
”そんなに嫌わなくても・・・(;^ω^)”とか
と思いつつちょっと寂しい気持ちになったりしていました。
がこれはもしかすると、英語そのものに反射的に感じられる
違和感が 英語講師=すごい という言葉に
繋がるかなと最近思うようになりました。
というのは
「英語」と「日本語」この二つの言葉の世界の距離、
前からあるのは知ってはいたけれど
ここ数年より距離感‥遠さをより強く感じるようになった、
あるいは言い換えれば二つの言葉の背景になる
文化・歴史が本来異質であることを折に触れ
より強く実感するようになったということがあり、
”英語” という日本語ネイティブの感覚から遠い言葉の世界、
ひとによっては”正体不明にもみえるものを扱う
ということですごい?という表現をされるのかなと
考えてみました。
私にとってお仕事の一つ一つ、自分が器用でない面もあるので
私ができないことをするかたはどんな分野でも
存在と技と合わせてすごい、
そこでハイレベルなかたほとんど上質で暖かな
ハートをも伴われて更に…なのですが
英語講師→すごいなときはそれと少しポイント違って
そんな異質なものを扱うひとは…という感覚が
含まれる時があるような気がします。
日本語は日本という国で遥かな昔からそこにヒトが住す
人々が、世界一長い歴史(世界最古ギネス認定、二位エチオピア)
のなかで太古から形作り伝承してきた言葉
建国は紀元前660年といわれますが
言葉=日本語の音世界は人が暮らしている中に建国以前にあります。
文字は、教科書的には大陸から6世紀に仏教経典とともに入ってきたと
されますが古代日本の神代文字の実在もあります。
英語は現在世界の公用語ではありますが
発祥はイギリス やはり歴史文化深く豊かな国で
英語の世界が作られてきました。(西暦450年頃からとか)
そしてえらいもので、これこそ本当にすごいことと
思うのですが、日本に生まれて育ち日本語を母語とする
私たちは歴史と文化をDNA~血の中にもれなく持っていて
体内や意識に音とリズムと感性を言葉の母体として
持っているといわれます。
現在「国語」として習う日本語は約150年前明治時代にできた
標準語の言葉、それ以前の日本語~和語が積み重ねてきた
深い豊かな世界は国語~現国だけではカバーしきれてはいません。
本当は古典芸能・芸術にもっと親しみたいと
思うのですが
そのお話はまた別のページに。
母語の基礎~言葉の母体といえるものは
英語圏のネイティブのかたがたもそれぞれ
やはり持っておられ、日本語のとはもともと
特質が違います。
話題の流れで広い纏めきれない内容の引用をしてしまっていますが
またここはWikipediaのお知恵をお借りします(感謝)ので
もしよければ下記リンクへどうぞ。
そして、最近気づいたのですが
英語苦手 わけわからん(たまに言われる)というかたは
直感的にこの二つの言語間との距離を感じる、
実は日本語の感性が鋭いかたがたなのではないかなと。
もしそうだとしたら
その違和感の元を知ったり、学習する切り口を工夫して
対照言語学的なアプローチ…言葉が硬いですが…で
で興味を引き出せることがあるかも?と考えてみます。
実際、日本語:英語 二つ言葉・文章を照合するときに
単純作業の暗記・書き取りを超えた 文化的掛け算
になるときには好奇心・探求心をより活発に誘うような
エネルギーの活性化があり
講師としても学習者としても、そこに立ち会うのは喜びであり
良い気づきの連鎖となることを体験してきました。
二つの言語が出会うときの学習研究の場の活性化の
様子とその効用は
「バイリンガル・エキサイトメント/多言語高揚感」という言葉で
「The Man'yo Luster」著者のひとりリービ英雄氏
(英訳:リービ英雄 本文・日本語現代語訳:中西進 写真:井上博道 他)
が令和元年日経新聞記事やご著書でも述べておられます。
私にとっては英語はいつも、勉強~強いて勉める科目では
なくて「新しい世界を開く鍵」なのです♪
新しく知る国の新しい言葉、その授業をしてくださった
とても厳しかったけれど英語基礎をしっかりわかりやすく
教えてくださった先生は私の生涯の恩師といえます。
そして私に日本語側の気づきをもたらしてくださったのは
朗読の師匠・万葉集の全集・合唱の先生
大正時代前後の文豪と作品
英語学習本やそれを推薦する広告の中で
「英語脳」という文言をよく見るのですが
もしそれが
英語の頭と日本語の頭を入れ替えるという
意味合いで使われる場合は
私にはそれはimpossible なものに見えることが
よくあります。
英語回路搭載を必要に応じて、だとわかるのですが
脳を作り替えることは私にはできない、
素晴らしい日本語の脳を置き去りにして
どうするのでしょうかと思います。
また、もうひとつの言語を覚えるときに
どうするのでしょうか、
そのたび○○語脳を作るのかなと
疑問に思います。
ただ、英語を話すときの語順、
私はこうする 何々だから…
何がどうした いつこんな時…
文頭 主語のすぐ後に動詞がきて
環境、理由、状況は後、
文で伝える趣旨を始めに言う
英語の基本が
日本語の
私は何々だからこうする(+かもしれない。
+のはやめた。+か、ああするか考え中etc‥)
文の終わりに述語が来て
文の趣旨が語尾で変化、場合によっては逆転可能
な特性で話す習慣が邪魔して
英語話す、会話が苦手になる
これも二つの言語の距離をつくるポイントの一つですが
この日本語マインドセットを英語マインドセット
に変える、調整するための思考回路を作る
という意味合いではありだと思います。
実際、言語を使うときどこ脳のどこが活発に動いているか、
測った脳の血流チェックのデータがあるのですが
それによると
日本語を使うときは右脳、英語は左脳、中国語でその中間
が活性化しているそうです。
いわゆるバイリンガル、二つかそれ以上の言葉を使う習慣の人は
脳の新しい箇所が活性化するとの記事も見ました。
(どの箇所か詳細忘れました、すみません。)
今このページで書いていることはもちろん
個人差のあることで、二つの言語の距離を
やすやすと超える方もおられることでしょう。
生徒さんの中にも、特別にハードな英語学習をしてこられた
わけではないのに英語の感覚をすでに持っている子もいます。
また、外国語は英語だけでなく
世界中にたくさんの言葉があり、国際交流
ということになれ、英語のことだけ
考えればこと足りるということでもないですし
きっとそれぞれの言葉にそれぞれの魅力が
あることでしょう。
英語は高校・大学受験では理系文系問わず重要科目、そのうち私立中
でも入試に入ってきそうです、また
ニューノーマルの社会、コロナ対応下でのビジネススキルとしても
必要とされる機会はいや増してきます。
喫緊の現実的課題があるときに
あまりふわふわしたことは言えないので
ケースバイケースを忘れてはなりませんが、
外国語の講師としてご一緒する皆様と、
二つの言葉が出会いから見える奥行き、世界の広がりを
感じるときの心躍るような確かな体験を
共有する機会がこれからもより多くあり
英語?楽しそうだねと言われる機会が増えれば
とても幸せと思っています。