ライトフロウズ ノウト:Lightflowz-Note

音の和 彩の波 響き合う
五感豊かなひとときを♪ 

記憶たちの名前

2020-09-24 | ライトフロウズノート...

ライトフロウズノウト 今日の一ページにようこそ♪

 

お彼岸明けて今週はずいぶんと朝夕涼しく雨勝ちな日々、

台風が離れて通ってくれたので雨はここ数日

しっとりと降っていて秋霖の季節始まりかなと思います。

秋の花がちらほら綺麗な色で雨に濡れています。

SNSなどでは真っ赤な彼岸花と秋の野原の景色など見られますが

北摂の住宅地ではその鮮やかな赤の景色は見られないので

記事の写真たちで楽しんでいます。

九月は長月、どうしてもどこか落ち着かない空気だったこの春夏を

振り返る時間も少しできるでしょうか

 

そういえばこのページで書いてみたいのは

「記憶」についてのちょっとした私的なお話から…

 

記憶の種類が何通りかある、「記憶」の仕方が一つではない

ということを私が具体的に最初に知ったのは大学の時でした。

 

心理学科の友人に、彼女のゼミの宿題だった英文教材の和訳を頼まれて、

ひとつB4見開き1~2ページほど、三件くらい訳した中に

「記憶について」の文章がありそれがその時の私に興味深いものだったのです。

 

この和訳作業はアルバイトまでもいかなくて、一件につきケーキセットひとつが報酬^^

自分でやりなよと思いつつもまあいいか、という感じで

当時それなりに時間はかかったけれど わりと気軽に引き受けたものでした。

 

その内容は、短期記憶 (short-term memory, STM)と長期記憶(long-term memory, LTM)

についての文章(論文の一部だったか)でした。

短期記憶とは、大まかにいえば時間がたつと忘れていく記憶のこと、

昨日何食べた?何時ごろ何をしていた?など、出来事から近い時間には覚えていても

3日~10日・・・と日がたつにつれて忘れていくような、

情報を短時間貯蔵する脳のシステムの中にある記憶、

一方長期記憶は時間がたっても忘れない記憶、

例えば自分や家族の名前、住所や電話番号、一生忘れない思い出など

自らに根本なところで、あるいは深く関わるものが多いようです。

短期記憶は”維持リハーサル”によって情報の保持時間を伸ばしたり

長期記憶に移行させたりできることもあるそうです。

(今、小・中・高校での勉強はこの作業の学習が多いでしょうか)

 

ひとの記憶には”短期記憶”と”長期記憶”がある、というお話は

皆様どこかで聞かれた、あるいは詳しく知っているよ、というかたも

おいでだと思われます。けれど友人の宿題を代わりにやった

(これは本当はイケナイですね^^;時効ということで…)

当時の私には新しい知識で新鮮でした。

その記事は確か、長期記憶のほうに重点をおかれた内容で

[narrative] ナラティブという言葉が幾度となく文中に出てきて

素人の学生(私)にもそれが長期記憶に関わるキーワードとわかったのでした。

 

この言葉単独で辞書を見ると、

☆ narrative:【名詞】物語・話・説話・語り(形容詞形もあり)

  ★「story」も”物語”の意味を持ちますが違いは、というと

  「story」は本や映画など、語り手本人以外の物語も指すが 

  「narrative」は語る本人の物語、という要点が本来あるそうです。

「ナラティブ」はジャストぴったりの日本語がなく、そのまま外来語で

 種々の分野で使われているとのこと。

同じ”narra---”(物語る)で始まる言葉、ナレーション・ナレーターなどは

身近ですけれど”語り手本人の物語”とは意味が離れてきますね。

 

この代理宿題の英文を読んでからこのかた、

私はずっと「物語記憶」というものがあると思っていたのですが、

今調べてみても同じ言葉が見つかりません。

webであちこち探しても、臨床心理学試験準備中の若者に聞いてみても。

 

「紐付け記憶」「エピソード記憶」というのは「記憶」の種類にあり、

解説も色々出てきますが、この時の宿題の英文はこれらの

内容に近いところの記述だったかなとぎりぎり残っている脳内記憶を

たどってみて思います。

 

説明があまり上手くなくて、また正確には本来、心理学の専門分野の領域の

ことで曖昧な部分申し訳ないのですが(下に記憶と暗記のwikiのリンクを貼ります)

 

短期記憶:長期記憶 単純暗記:紐付け記憶による暗記は

とりあえず、身近なところでは学習の現場の中で時おり取り上げられる

一対の暗記法に関連しています。

 

例えば、漢字を覚えるときに同じものを繰り返して書いて覚える

いわゆる「単純暗記」~丸暗記に対して

その漢字を含む熟語や例文を自分で作って、その漢字と

それに繋がる知識・情報をつける工夫・加工して覚えるのが

「紐付け記憶」「エピソード記憶」を使う暗記の方法、

 

単純暗記・丸暗記はどの教科でも知識の習い始め、勉強するには

だれにも必須で、得意な子どもさんはすぐに学校の成績に反映します。

暗記に強いのは学習全般に有利で、その素晴らしい利点は

これまで~これからも変わりはないのですが、

 

今現在この単純暗記に関してはIT機器・AIなどが遥かに、桁外れに

量とスピードでひとより優れており、代理で働きパソコン~スマホの利用も

日常使いになった今、暗記学習の強化だけでは十分でなく、

将来実用に生かせる学習として創造的で個性を生かす学習が必要

という指摘は数年、もしかすると十年以上も前からありました。

 

それが実は、何人かに一人、子供さんたちの中に

誰かが特に教えたわけではいないのに

自ら紐付け記憶を使う子、自然に工夫して学習する子がいる

ことを、塾~英語クラスなどの講師の仕事現場で見てきました。

 

例えば英単語カードを覚えるのに、

自分でその単語を使って物語を作って覚える・・

全く初体験、初出の英単語五枚~七枚、全体でその場ですぐに覚えて

何番目に何がある?というのも正確に言えるタイプ、

 

そして、その子たちは長期記憶に強い様子も見られました。

具体的には 範囲の狭い小テストや定期テストよりも

範囲を定めない、広く~習っていないかも

しれないところまで聞かれる実力テストでより

高い点を獲得する、

 

ただ、概ね小テスト、定期テストで良い成績でないと

「優秀」の位置づけには本人や周りの大人(先生・家族)の中でも

ならずで学業成績に自信を持てず、本来持っているその良い力に

気づきにくくて惜しい、と思われたケースもありました。

(英語クラスではそのオリジナルな長所を褒めて伝えられるけれど

主要の他教科で接点がほとんどない非常勤講師だった時あり)

 

けれども 今年の特殊な環境下で教育の分野も確実に変化があり

もしくは流れが加速し、従来の学力審査の形式が新しい型に

移行し、筆記試験重視の入試から、筆記プラスアルファの新しいスタイル、

すでにAO入試はありますが、その進化系(ざっくりな表現ですみません)が

開発~設定・採用されていきそうな気配で

 

自分で作る~創る、自らの学習を組み立てていけるタイプには

この先新しい可能性がより広がりやすくなり

工夫型暗記に強い子供さんが力を伸ばす機会も増えることでしょう。

 

withコロナは歓迎したくはないではないですが

新常態~ニューノーマルができつつある今この時が

転換点にあるのはもう周知の事実、私が言うまでもなく

教育関連もしっかりと情報収集・選択をしていくのが大事、

とは現場の誰もが感じていることでありますね。

(と日々ニュース見つつも、オンラインや技術系関連の記事には

目が回りそうとも時々思う)。

 

記憶暗記

もしよければWikipediaの確かな知識のリンク先にどうぞ。

 

記憶ページの中に

「自伝的記憶」の項目があって、代理宿題の”ナラティブ・・・は

この内容だったのかなとも思いますが、説明少ないのでここは

はっきりしませんm(_ _)m

 

このナラティブ という言葉に出会ったとき

”ふ-ん、そうなんだ”と感心はしたのですが

後々まで残るインパクトがあるとは当時思いませんでした。

でもこれは‥記憶は家でも仕事でも、遊びでも日常的に使うので

折に触れこの言葉と文章を思い出していたのかもしれません。

 

実際、記憶の深さと出来事のインパクトの強さはほぼ比例するはず

なのですが 時おりほんとに何げない、ふとしたワンシーンが

心の奥底に残っていてふとしたきっかけで蘇る、

ということはないでしょうか?

 

子どものとき遊んだジャングルジム、そこから見た青空や

友達と描いた絵(ほぼ落書き)

電車でたまたま隣に座ったお姉さんが読んでくれた本

(「ノンちゃん雲に乗る」だった)

これまででいちばん美味しい紅茶を飲んだと思った時

 

福引で一等が当たった^^!などはもちろん覚えていますが

日常の風景の切れ端が残っていているのが不思議な時が

あります。無防備なときの記憶が残りやすいのかな?

人の心は、これまでの思い出でできているのじゃないかな

と思う時もある。

 

言葉や語り掛けが日常生活の中で深層心理の深いところに残りやすい

タイミングについては何度か、カラー心理や塾講習などで習った

ことがあります。それはいわゆる一次的欲求を満たそうとしている…

”生存”のために必要な身体的なことをしているとき、

呼吸・食事・睡眠etcの時、ひとは心の底まで無意識にオープンに

しているそうなので、気を付けなくてはならないのは

「食事」しながら喧嘩などしない、子供さんを叱らないようになど。

その時のマイナスな言葉が心の奥に入って消えない

可能性が高いので。とすると「睡眠」学習は効果があるかもですね。

寝ている人の耳元では良いことをささやかなくては、ですね^^

心身を整えよい集中をするために「呼吸」とよく言われますが

よい言葉を伝えるときにも呼吸は大事、ともわかります。

実際 朗読の時には呼吸はとても大事、合唱練習でも

指揮者の先生は常にそう仰っていました。

 

・・このまま書き続けると

声・音声・呼吸など書きたい気がしてきて

また長くなっても…なので、あとは次の機会に、

ただこのあたりは、私は修行中でもあり文字で残せるかどうかを

自問自答しますがこの先どこかでお会いして、その時もしよければ

続きのお話をご一緒いたしましょう

 

今年の秋冬 皆様に幸せな記憶がより多くと願いつつ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


ピアノレッスンの思い出話 音の原体験など♪

2020-09-14 | ライトフロウズノート...

ライトフロウズノウト 今日の一ページにようこそ♪

 

先週あたりから、日ごとに風が涼しく

朝の小鳥の声、夜は虫の声がよく聞こえてくる…と

思っていましたら昨日今日は蒸し暑く、時おり雨風で

夏と秋の交代にまだ少し時間かかるようです。

来週もお天気マークmix、季節の変わり目なので

体調など気を付けてまいりましょう♪

 

今週末もう秋分~お彼岸、ありふれた日常でも非日常でも

時間は等しく過ぎてゆきます。

どんな秋冬が待っているのか、

 

不確かな季節にもいつも希望を持てるように、

備えていきたいと、ふと思うのでした。

 

見えない明日、そしてイメージで見える過去の思い出、

その中で先日から何度となく浮かんでくる記憶のお話をいくつか…

ピアノを習っていたころのよもやま話です♪

 

♪)ショパン ピアノ曲 ロンド第一番op1

先日訪れたホテルのレストランでかかっていた

ピアノのBGMのうちの一曲でした。幼稚園から高校までピアノを

習っていたのですが、最後から二回目(確か中三のとき)の発表会で弾いた曲で、

その頃の私には難しかったけれどとても魅力的でよく覚えている曲です。

それほど有名な曲ではなくて一般的にはCDやコンサートでもあまり聴かれない、

(ピアニスト・音楽ご専門のかたはご存じと思います)

外できくのは初めてかも、という曲でしたが

聴いたのが八月末・奈良ホテルのフレンチ・節目のお祝い、

”今ここで聴こえている”タイミングが、私にとって何か象徴的な気がしたのでした。

この曲では本番演奏後 後々まで残る記憶が二つありまして、

 

ひとつは「緊張」について、

発表会の曲は普段のレッスンより一~二段階レベルをあげて

先生が選ばれるのですが、このときは”ちょっと(=かなり)難しいけれど”と

仰りつつ曲をくださったのでした。前年に、いつも私の前の時間レッスンの

しっかりもののお姉さんが弾くのを聴いていて馴染みのある好きな曲、

それは良いのですが 難しいよと言われ、練習時間十分に

とるべきだったのに、よりによってこのタイミングで

学校の音楽の先生が有志でつくる合唱団に参加してしまい

どこかの合唱コンクールに出るための練習あり

週に何回か帰宅が遅くて

むしろ例年よりピアノほうは練習が少なくなりました。

この学校の合唱団は私が歌が上手で呼ばれたのでは全くなく、

進んで参加したのでもなかったのですが

仲の良かった友達がひとりで入るのが心細い?という理由で

本当に文字通り腕ロックで引っ張っていかれたのでした。

(合唱好きだけれど時間ないというのは無視しやる子)

参加したら途中でやめるのは思いつかなくて、こちらは

よい体験でとても楽しかったです…が、

 

このころピアノは普段の練習で一日二時間x週6あと一日は先生のレッスン、

週七日弾いていてそれが習慣でした。

発表会前は毎日三時間ほど弾くはずで帰宅後そんなに

余分な時間はなかったのに、週何回かの合唱練習に参加していては

普通に考えて練習不足、

 

案の定不安をかかえたまま本番の日を迎えてしまい、

本番前の舞台袖で言葉にすれば「どうしよう」のひとことしか浮かばず

冷や汗さえかかないほどド緊張で固まっていて 

多分顔面蒼白のすごい顔をしていたと思います。そんな状況で

椅子に座っている短い時間の、

本当に出番直前の先生の短い叱責の言葉、

「そんなに緊張しなくても弾けます!」とピシャリ。

不思議なものでその瞬間 ふっと我にかえりいつもほどの緊張感、

あるいはむしろリラックスに近いなかで演奏できたのでした。

ピアノは私は上手ではなくて発表会の曲もそれほど好きに

なれない年もあったのですが本番のミスは一度もありませんでした。

ピアノ‥あるいはほかの楽器でも子供一人で大勢の観客の前で

舞台に立つことで鍛えられる部分はあるなと思います。

 

ショパン ロンド第一番を弾いた直前の緊張の落差、

特に先生の言葉ですっと何かが落ちて

目が覚めたような感覚はいまも鮮明に残っています。

この時の先生は普段は鷹揚で生徒をきつく叱ることは

滅多にないかたでした。

私のあまりの様子を見かねて懸けてくださった的確な言葉、

…弾けます!の力は先生への信頼感からも速攻有効な効果があった

と今ではわかります。

過度の「緊張」その元の「プレッシャー」が本来の力を奪うのは

オリンピックなどの本当の大舞台で世界最高のアスリートでさえ、あるいは

それだからこそ起きること、(比べるところが高すぎますが)

 

この時のとんでも緊張の元は”練習できていない””仕上がっていない”

と自分でわかっていて自らにかけたプレッシャー、

「緊張状態」今は色々よいメンタル維持についての研究あり

対処法アドバイス・実践も多く見受けますが、それでも一旦陥ると・

なかなか自分でコントロールできない厄介な代物、

これが一・二秒の数ワードにより一瞬で解ける、その体感と

意識の不思議は今も印象強く残り、もしかしたら

何かの本番前の私を今でも助けてくれているかと

ここで書きながら気づきました。

 

もうひとつも「緊張」そして「体のリンクとちょっとした時間」になるでしょうか、

この曲は出だしで右手の速い細かい指の動き、5連の装飾符が入ります。

(曲のリンクを下に貼ります)

その出だしがどうしてもスムーズにいかない、何度練習してももつれて綺麗ではない、

特に最初の中指~薬指~中指、本来の細やかで均等なエレガントな響きには

及ばないけれども、なんとか本番までに どうにか弾けたという感じ…

だったのですが、終わって数日後なんとなくもう一度弾けるかな?と

ふとその部分を弾いてみると、それが軽く弾けるのです。

その理由が何となくですがわかり、その時”そんなものなんやな”

と思いました。具体的には無駄なところ、要らない力を入れたまま

繰り返していた、また弾けない弾けないと刷り込んで練習していたこと

←解消・リセット&日(時間)を置くのが有効なこと全体を感じたのでした。

これがちょうど昨日 朗読のレッスン中に「練習」についての

のお話で先生が仰ったこととも重なったのでした。

 

この曲のリンクを貼ります♪ショパン15才の時の作品だそうです。

魅力的なフレーズとメロディー、豪華な和音、天才の記念すべき作品1、

のちのポロネーズ・バラード・スケルツォの美質も内包される

とても素敵な曲。(へたな人=私が弾いて良かったのかどうか、

そしてこれをよく暗譜できたと思う)

 

2015年ショパンコンクール第六位入賞のかた

Dmitry Shishkin - Rondo in C minor Op.1(second stage) の動画が

見つかりました。9分弱です。

ショパン ピアノ曲 ロンドop1

 

もうひとつ同じ時のノクターンの動画も合わせて、もし良ければ‥

Dmitry Shishkin - Nocturne in E flat major Op.9No.2(second stage)

 

他に良い動画もたくさん上がっていますね^^♪

ショパンの協奏曲は長いのでどうしようかなと迷いましたが

今の季節によくあるのでお時間があればどうぞ(44分ほど)

 
動画はいずれもYou Tube Chopin Instituteリンク先へ。
 

♪)音の響きの原体験

家にいれば何かは聴きながらする ながら族ですが

(と今も言う?)ライフワークとして英語講師であり、そして

朗読に携わるようにもなった頃から 声・音の響きや広がりのことは

始終考えているのですが、その中でも折に触れよみがえる

小さい時の記憶があります。

 

先日奈良ホテルのBGMでかかっていた懐かしい曲のおかげで

また色々思い出したもので、

音の響きについて、初めて子供なりに感じて考えた

原体験といってもよいかもしれません。

 

それは本当にピアノを習い始めてすぐ、幼稚園の年長の頃のこと、

 

上記の先生の前で初めてピアノを教わった先生との体験です。

とてもしっかり教えてくださった良い先生でした。

習い始め、ピアノを弾くお稽古に入る前に

音符とト音記号とヘ音記号を書く練習があり

横長の画用紙で子供用の大きな五線は母が書いてもらって

その上に、五歳の頃の私にはト音🎼記号が難かしく、先生のチェックも厳しくて

線との接点、クロスの位置、形など何回も練習したのも懐かしい思い出です。

 

そして同じころ弾く前にお指の体操もあり、

この時の先生の説明が音の原体験なのですが

確かピアノの蓋で、ピアノを弾くつもりの手の形で

両手を丸く伏せて…卵包むような形にして

指を付け根からしっかり上げて、

そこから力抜いてトンっと落とす、のを指一本ずつ

十指でします。

 

ここで、指を落とすときに肩や手に力を

入れないように…というのがポイントで

先生でそれはなぜか、を見せて聴かせてくれたのが

鉛筆を持って音をだす二つの動作、

 

ひとつは力を入れて鉛筆を握りしめたかたちで、

鉛筆底でピアノ蓋叩く、

 

もう一つは鉛筆は持っているけれど

軽く持って、手全体の力は入れないで鉛筆を

落とすようにする、

 

鉛筆と音の響きをだすピアノの蓋とは

ほんの二・三センチ、ピアノに傷がついても

いけないしでほんの小さな動作の中での違い、

 

「力を入れすぎるとこんな固い音、

そのまま落とすとよく響く音、わかる?」

と先生の二通りの説明がありました。

 

確かに前者では、擬音語ではお伝え難しいのですが

コン、とかクン、というような

つまった広がらない、子供の耳でも耳障りな音、

後者では

コォン‥とただの鉛筆と蓋でもきれいな

小さくても響きが広がる音、

 

手や体のどこもかしこも力んでしまっては良い音がでない、

小さな音でも自然な「響き」は心地よい…

 

そういえば、今思い出しましたがピアノ弾き始めの頃、弾いている途中で

時おり先生がふっと手を下に入れて私の手首をすっと

持ち上げられたことも数回ありました。

余計な力が入っていなければ先生の手とともに私の手も軽くあがって○、

力が入っていて先生の手とともにあがらないのは✖、

力をいれなくても手首から肘を水平に保つことは

子供でもできてくる頃のことだったかと思います。

 

徒な力みは、もし大きく鳴らせても良い響きをもたらさない、

演奏のために必要な良い姿勢を保つため整える体の位置以外、

抜くべきところの力は抜いて柔らかく などは大人では、

楽器、声楽、そのほかの分野でもよく知られていることで、

プロの演奏家やアマチュアの音楽愛好家のかたがたは

会得されていることではあります。

 

けれどその時はまだ幼稚園児だった私、

その小さな実験で教わったことが新鮮な驚きだったのでした。

確かこの時 音の”大きさ”と”響きの良さ”

は別、という先生の教えもあったと思います。

 

今でも先生の鉛筆を持った手、

その時の音もはっきり記憶に残っています。

 

先週日曜日、奈良の、とある新刊発売記念の催事の中の

朗読でお呼びいただき貴重なひとときを

過ごすことができたのですが

 

この時も朗読をどのような声で?と自問し何点か思案したのち 

自分の音の響きの原点にやはり還ってきたのでした。

 

もちろん、表現の手法で思い切り力を入れて音を出す、

濁った響き、潰れた声、不協和音などを選んで使うこともありますね。

綺麗なだけでは成り立たない、ひとの心と体・感情、環境があり

その表現に引き込まれることもあります。

 

けれど私の場合は、今そしてこれからも

音~声の響きの原点に帰る作業があるとき

この小さな鉛筆と響きのシーンをきっと思い出すのです。

 

朗読のレッスンの中で、ごく最近

「一音一命」

という言葉に出会いました。

また息子がピアノを7年ほど教わったピアノ教室の

スズキメソード、そのある年のグレード修了証の

創始者 鈴木鎮一先生の

「美しき音に命を」この言葉も今も心に残ります。

(息子は忘れているでしょう)

なぜか残って胸を離れない、それは本質に同調するから

ということがあるのでしょう。

 

しかし理想は彼方、終着点のない道程の半ばなので

普段は外向けに言わずにしまっていく

言葉かもしれませんが

blogの訪問者みなさまと分かち合えるのも

きっと佳いご縁、おつきあいくだされば

とても嬉しいです。