印象派で「近代」を読む(中野京子 NHK出版新書)
なぜ日本人は、印象派が好きか?
という問いに対して著者は
「印象派以前の絵画には意味があり、その意味がわからなければ感じることさえできない。そのためには、肖像画であれば、それが誰でどんな功績のあった人物か、歴史画であれば、それがどの時代のどんな事件か、神話画であれば、それはギリシャ神話のどの物語か、宗教画であれば、それは聖書のどの場面か、そういった知識が不可欠なのに、とてもまだそこまでは手がまわらない。また印象派以降の絵画は、それこそ百科繚乱のうえ抽象性と個別性が強くなりすぎて、どう感じていいのかさえ謎。そこで、すんなり理解できる印象派への殺到、という状態なのかもしれません」
という。
印象派という名前には、絵画を見る前提となる(西洋的)教養がなくても見たまま感じたまま鑑賞できる、という侮蔑のニュアンスをふくんだもののようだ。
掲載されている絵で、気に入ったのが「ラ・グルヌイエール」(モネ)。
著者も指摘しているが、あらあらしい筆使いなのに本物の「印象」そのままの波の描写がいい。
また、広重の「箱根・湖水図」をモチーフにしたと思われるスールの「オック岬」を上下に並べて前者が圧倒的にすぐれていることを指摘していたのも印象的だった。
なぜ日本人は、印象派が好きか?
という問いに対して著者は
「印象派以前の絵画には意味があり、その意味がわからなければ感じることさえできない。そのためには、肖像画であれば、それが誰でどんな功績のあった人物か、歴史画であれば、それがどの時代のどんな事件か、神話画であれば、それはギリシャ神話のどの物語か、宗教画であれば、それは聖書のどの場面か、そういった知識が不可欠なのに、とてもまだそこまでは手がまわらない。また印象派以降の絵画は、それこそ百科繚乱のうえ抽象性と個別性が強くなりすぎて、どう感じていいのかさえ謎。そこで、すんなり理解できる印象派への殺到、という状態なのかもしれません」
という。
印象派という名前には、絵画を見る前提となる(西洋的)教養がなくても見たまま感じたまま鑑賞できる、という侮蔑のニュアンスをふくんだもののようだ。
掲載されている絵で、気に入ったのが「ラ・グルヌイエール」(モネ)。
著者も指摘しているが、あらあらしい筆使いなのに本物の「印象」そのままの波の描写がいい。
また、広重の「箱根・湖水図」をモチーフにしたと思われるスールの「オック岬」を上下に並べて前者が圧倒的にすぐれていることを指摘していたのも印象的だった。