みかづき(森絵都 集英社文庫)
昭和36年、小学校の用務員だった大島吾郎は、放課後、用務員室で子供に勉強を教えていた。教え方がうまいと評判になり、ある子供の母親である赤塚千明にそそのかされ、学習塾を開くことになる。吾郎の指導によって学習塾は発展していくが、千明はさらに拡大を目論んで、吾郎が目指す補習塾としての位置づけを変えようとする・・・という話。
吾郎・千明の子供や孫に至るまでを塾を中心とした教育との絡みで描く大島一家の年代記のような内容。地味な素材なのだが、著者によって波乱万丈の面白い物語に化けていて、文庫本で600ページという長さを感じさせない。
私自身、塾や予備校に通った経験がない。浪人すれば予備校に行く人もいた(それもあまり多くはなかった)が、現役時代から学校以外の所でお金を払って勉強する、というのは昭和時代においてはむしろ奇異なイメージだった。
これは私が田舎育ちということも大きく、東京や大阪では本作に描かれたような塾同士の血みどろの戦いが繰り広げられていたのだろう。
そうした競争の中で、異端視されていた塾や予備校は発展し、今時は「塾に行ったことがない」というの子の方がむしろ珍しいものになってきた。
戦中にあって「神風なんか吹かない」と言ってしまうような開明的な父に育てられた千明は、教育によって国の方向を過たないような人間を育てたいという高い志を持っていたのだが、子供の指導を吾郎に任せるうちに、経営を拡大したいという欲望に駆られるようになってしまう。
これもまた高度成長期の、あまたの業界や企業で観察された経営者の姿だろう。事業拡大が続くうち、創業の理念は忘れ去られ、トップラインのシェアや利益だけを追い求めるようになってしまった例は多かったように思う。
昭和36年、小学校の用務員だった大島吾郎は、放課後、用務員室で子供に勉強を教えていた。教え方がうまいと評判になり、ある子供の母親である赤塚千明にそそのかされ、学習塾を開くことになる。吾郎の指導によって学習塾は発展していくが、千明はさらに拡大を目論んで、吾郎が目指す補習塾としての位置づけを変えようとする・・・という話。
吾郎・千明の子供や孫に至るまでを塾を中心とした教育との絡みで描く大島一家の年代記のような内容。地味な素材なのだが、著者によって波乱万丈の面白い物語に化けていて、文庫本で600ページという長さを感じさせない。
私自身、塾や予備校に通った経験がない。浪人すれば予備校に行く人もいた(それもあまり多くはなかった)が、現役時代から学校以外の所でお金を払って勉強する、というのは昭和時代においてはむしろ奇異なイメージだった。
これは私が田舎育ちということも大きく、東京や大阪では本作に描かれたような塾同士の血みどろの戦いが繰り広げられていたのだろう。
そうした競争の中で、異端視されていた塾や予備校は発展し、今時は「塾に行ったことがない」というの子の方がむしろ珍しいものになってきた。
戦中にあって「神風なんか吹かない」と言ってしまうような開明的な父に育てられた千明は、教育によって国の方向を過たないような人間を育てたいという高い志を持っていたのだが、子供の指導を吾郎に任せるうちに、経営を拡大したいという欲望に駆られるようになってしまう。
これもまた高度成長期の、あまたの業界や企業で観察された経営者の姿だろう。事業拡大が続くうち、創業の理念は忘れ去られ、トップラインのシェアや利益だけを追い求めるようになってしまった例は多かったように思う。