蛙と蝸牛

本の感想。ときどき競艇の話。

流星ひとつ

2022年09月01日 | 本の感想
流星ひとつ(沢木耕太郎 新潮文庫)

1979年 藤圭子が28歳で引退を決意した時期にホテルのバーでインタヴュー(本作における表記)を収録した作品。全編が藤圭子と著者の会話で構成されている。
執筆当時は発表されなかったが、藤圭子の自死の後で出版された。

藤圭子の父母は浪曲師だった。父はDV系で母は目がほとんど見えず、一家は貧困に苦しみ、生活保護を受け、兄弟は修学旅行にも行けなかったそうだ。
独特のハスキーボイス?(女性らしくないかすれ声)が藤圭子の魅力だったが、のどのポリープを除去してから普通の澄んだ声しかでなくなり、自分らしい歌が披露できなくなったのが引退の原因だと本人はいう。

たった一晩のインタヴューで、ほぼ初見の相手を掌中に収めてしまったかのような著者の手腕は魔術的なほど。冒頭で「すぐれたインタヴューは、相手さえ知らなかったことをしゃべってもらうんですよ」と著者が語っている。これは、”さあ、これからすぐれたインタヴューというものを見せてあげるよ”という著者の矜持をあからさまにしたものだろう。

私の藤圭子に関する記憶は相当におぼろでしかないが、「流行歌手」という(今はない)ワーディングにぴったり当てはまるイメージがある。彼女より後になると「歌手」ではなくて「アイドル」とか「シンガー」あるいは「アーティスト」になってしまう。
しかし、「アイドル」の一人のはずの中森明菜も「流行歌手」というイメージが湧く。ご本人たちには失礼ながら、そこはかとない不幸のイメージがつきまとう用語のせいだろうか。

娘が歌手として本人を超えるほどのスターダムとなって、藤さんは世間を見返したような気分だったのではないか、と、私は下司の勘ぐりをしていた。しかし、本書を読んでいると、生まれつきの歌い手だった藤さんとしては、むしろ対抗心が湧き上がったくらいだったのかもしれないと想像してしまった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

愛なき世界

2022年09月01日 | 本の感想
愛なき世界(三浦しをん 中央公論新社)

T大学の生物科学専攻の研究室に属する本村紗英は、(植物研究によく用いられる)シロイヌナズナの変異体を作り出す遺伝子の研究をしていた。非常に手間がかかる実験がなかばまで進んだ頃、致命的なミスに気がつくが・・・という話。

上記の本筋にくわえて、T大の近所の食堂の従業員である藤丸陽太の(本村に対する)恋が描かれる。

お仕事小説の巨匠?である著者らしく、植物研究に関する詳細な取材を、読みやすい物語にうまく変換させている。多分、上記の本筋の中の実験の失敗原因は実際に似たような事実があったのだろう。

研究に打ち込むと、それ以外のことはどうでもよくなって日常生活にもさしつかえる、なんて話は、森博嗣さんの作品で読んだことがある(「飯島先生の静かな生活」やエッセイ)。主人公の本村もそうした一人で、実験室にいる時間が最も長くて、何度も熱心にアプローチしてくる藤丸を軽くフってしまう。

そうした、没頭できるものを見つけられた人は確かに幸せである。
しかし、研究が順調で、あるいは順調でなくても偶然本作のように成果が出ればいいのだけれど、世の中の大半の研究はそういうコースをだどっていないはずで、思い込みが深かった分だけ挫折した時の不幸感も相当なものだろう。そういう挫折した研究者の話も読んでみたい、と思えた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする