流星ひとつ(沢木耕太郎 新潮文庫)
1979年 藤圭子が28歳で引退を決意した時期にホテルのバーでインタヴュー(本作における表記)を収録した作品。全編が藤圭子と著者の会話で構成されている。
執筆当時は発表されなかったが、藤圭子の自死の後で出版された。
藤圭子の父母は浪曲師だった。父はDV系で母は目がほとんど見えず、一家は貧困に苦しみ、生活保護を受け、兄弟は修学旅行にも行けなかったそうだ。
独特のハスキーボイス?(女性らしくないかすれ声)が藤圭子の魅力だったが、のどのポリープを除去してから普通の澄んだ声しかでなくなり、自分らしい歌が披露できなくなったのが引退の原因だと本人はいう。
たった一晩のインタヴューで、ほぼ初見の相手を掌中に収めてしまったかのような著者の手腕は魔術的なほど。冒頭で「すぐれたインタヴューは、相手さえ知らなかったことをしゃべってもらうんですよ」と著者が語っている。これは、”さあ、これからすぐれたインタヴューというものを見せてあげるよ”という著者の矜持をあからさまにしたものだろう。
私の藤圭子に関する記憶は相当におぼろでしかないが、「流行歌手」という(今はない)ワーディングにぴったり当てはまるイメージがある。彼女より後になると「歌手」ではなくて「アイドル」とか「シンガー」あるいは「アーティスト」になってしまう。
しかし、「アイドル」の一人のはずの中森明菜も「流行歌手」というイメージが湧く。ご本人たちには失礼ながら、そこはかとない不幸のイメージがつきまとう用語のせいだろうか。
娘が歌手として本人を超えるほどのスターダムとなって、藤さんは世間を見返したような気分だったのではないか、と、私は下司の勘ぐりをしていた。しかし、本書を読んでいると、生まれつきの歌い手だった藤さんとしては、むしろ対抗心が湧き上がったくらいだったのかもしれないと想像してしまった。
1979年 藤圭子が28歳で引退を決意した時期にホテルのバーでインタヴュー(本作における表記)を収録した作品。全編が藤圭子と著者の会話で構成されている。
執筆当時は発表されなかったが、藤圭子の自死の後で出版された。
藤圭子の父母は浪曲師だった。父はDV系で母は目がほとんど見えず、一家は貧困に苦しみ、生活保護を受け、兄弟は修学旅行にも行けなかったそうだ。
独特のハスキーボイス?(女性らしくないかすれ声)が藤圭子の魅力だったが、のどのポリープを除去してから普通の澄んだ声しかでなくなり、自分らしい歌が披露できなくなったのが引退の原因だと本人はいう。
たった一晩のインタヴューで、ほぼ初見の相手を掌中に収めてしまったかのような著者の手腕は魔術的なほど。冒頭で「すぐれたインタヴューは、相手さえ知らなかったことをしゃべってもらうんですよ」と著者が語っている。これは、”さあ、これからすぐれたインタヴューというものを見せてあげるよ”という著者の矜持をあからさまにしたものだろう。
私の藤圭子に関する記憶は相当におぼろでしかないが、「流行歌手」という(今はない)ワーディングにぴったり当てはまるイメージがある。彼女より後になると「歌手」ではなくて「アイドル」とか「シンガー」あるいは「アーティスト」になってしまう。
しかし、「アイドル」の一人のはずの中森明菜も「流行歌手」というイメージが湧く。ご本人たちには失礼ながら、そこはかとない不幸のイメージがつきまとう用語のせいだろうか。
娘が歌手として本人を超えるほどのスターダムとなって、藤さんは世間を見返したような気分だったのではないか、と、私は下司の勘ぐりをしていた。しかし、本書を読んでいると、生まれつきの歌い手だった藤さんとしては、むしろ対抗心が湧き上がったくらいだったのかもしれないと想像してしまった。