自分はバカかもしれないと思ったときに読む本(竹内薫 河出書房新社)
著者は小学校3年の時、親の仕事の関係で何の準備もなくアメリカの学校に通うことになる。英語が全くできなかったが、算数を手がかりにして(アメリカでは九九がなく、九九をマスターしていた著者は大きなリードがあったそうである)「バカ」を克服していく。その体験(だけではないが)をもとに「バカ」を克服するにはどうしたらよいのか?の具体論を書いた本。
ここでいう「バカ」とは純粋に学習能力に関するもので世間知とか要領の良さみたいなものとは関係ない。肝心の「バカ」の克服法は、有体にいうと平凡。「まあ、おっしゃる通りだけど、それができれば苦労しないよなあ」と感じてしまった。
世の中で、自分のことをバカだと思っている人はそんなに多くないと思う。例え学習能力が極端に低かったとしても多くの人は別の点でプライドを持っていて、第三者から見るとそうしたプライドはたいてい「イタイ」ものなのだが、本人は決してそうは思っていない。というかそういうものが皆無の人は生き続けていくのが難しいのではなかろうか。
「多様性を失うと、集団はバカになる」、覆面算(かなり考えたけど解けず)、フェルミ推定、フィードバックに鍛えられて著者はTVのナマ放送に対応できるようになった、という話が面白かった。
著者は小学校3年の時、親の仕事の関係で何の準備もなくアメリカの学校に通うことになる。英語が全くできなかったが、算数を手がかりにして(アメリカでは九九がなく、九九をマスターしていた著者は大きなリードがあったそうである)「バカ」を克服していく。その体験(だけではないが)をもとに「バカ」を克服するにはどうしたらよいのか?の具体論を書いた本。
ここでいう「バカ」とは純粋に学習能力に関するもので世間知とか要領の良さみたいなものとは関係ない。肝心の「バカ」の克服法は、有体にいうと平凡。「まあ、おっしゃる通りだけど、それができれば苦労しないよなあ」と感じてしまった。
世の中で、自分のことをバカだと思っている人はそんなに多くないと思う。例え学習能力が極端に低かったとしても多くの人は別の点でプライドを持っていて、第三者から見るとそうしたプライドはたいてい「イタイ」ものなのだが、本人は決してそうは思っていない。というかそういうものが皆無の人は生き続けていくのが難しいのではなかろうか。
「多様性を失うと、集団はバカになる」、覆面算(かなり考えたけど解けず)、フェルミ推定、フィードバックに鍛えられて著者はTVのナマ放送に対応できるようになった、という話が面白かった。