蛙と蝸牛

本の感想。ときどき競艇の話。

永遠と横道世之介

2023年10月14日 | 本の感想

永遠と横道世之介(吉田修一 毎日新聞出版)

シリーズ第3作。2007年頃、世之介の最後の1年を描く。世之介は吉祥寺と三鷹の境界あたりにある下宿屋を経営するあけみと事実婚状態で、その下宿屋(ドーミー吉祥寺の南)で暮らしている。そこには書店員の大福、大学生の谷尻、営業マンの礼二、ひきこもりの一歩がいて、にぎやかな日常が繰り広げられていた。世之介があけみと結婚しないのは、若死にしたフィアンセの二千花が忘れられないから、なのか?・・・・という話。

前作の終わりで世之介は死んでしまったし、本作のタイトルからして、「もしかして幽霊話?」なんて思ってしまったが、そんなことはなかった。

事件も熱愛も懊悩も、何ならストーリーすらない話なのに、途中で止められないような魅力がある。

あけみちゃんの手料理をにぎやかなドーミーのリビングで食べてみたい、世之介と鎌倉の海に遊びにいってみたい、二千花の墓がある梅月寺の和尚の話を聞いてみたい、エバ夫婦と永遠に会ってみたい、そんな想いが止まらない、世之介ワールドから現実に戻りたくなくなるような、素晴らしい読書体験。

映画の横道世之介も原作に勝るとも劣らない出来だったので、小説を読んでいるとどうしても高良健吾の顔が浮かんでしまう。それも世界観に没入してしまう原因かもしれない。

まあ、こういう小説がいいと思えるようになったのは年寄りになった証拠、なのかもしれないが・・・いや、でもいろいろ悩み苦しんでいる若い人に、まあ、そんなに思い詰めるなよ、と言っておすすめしたい作品だ。

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777

2023年10月14日 | 本の感想

777(トリプルセブン)(伊坂幸太郎 角川書店)

殺し屋たちの殺し合いの話シリーズの第4弾。今度の舞台はホテルで、ホテルの中だけで話が進行する。主人公は「マリア・ビートル」の主人公格だった七尾(天道虫)。殺し屋たちの行動や武器が現実離れしていることや、しょぼい男のような七尾がオールマイティな超人であることは相変わらずだが、安心して読めるとも言える。

しかし、伊坂さんの作品が「安心して読める」のではまずいのではなかろうか。思いもかけない筋立てや、時間や場面転換のズレをうまくいかした初期の作品には、どれもトンデモ風でありながら、新鮮な魅力と驚きがあった。

まあ、あらゆる出版社から作品を望まれていて次々に新作を書かないといけないのだから、オリジナリティをいつまでも追求しているわけにはいかないのだろうけど。

殺し屋シリーズで、私が一番好きなのは、「罪と罰」を愛読する押し屋の「鯨」なのだが、「グラスホッパー」以来登場がないのが残念。

本作では、美人とか頭がいいとかといった「生まれながらのアドバンテージ」を持つ人を「スイスイ人」と呼んで嫌っているモウフとマクラのコンビがよかった。

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フラッグ・デイ 父を想う日

2023年10月14日 | 映画の感想

フラッグ・デイ 父を想う日

精巧な偽札を大量に作った罪で囚われていたジョン・ボーゲル(ショーン・ペン)は裁判を前に逃走して、追い詰められて自殺する。その顛末を警察?の係官から聞いた娘のジェニファー(ディラン・ペン(ショーンの実の娘))は、ダメ男の典型のようだった父との記憶をたどる・・・という、実話に基づく作品。

ジョンは会社勤めが向かなくて、怪しげな商売ばかりを次々と立ち上げるが、失敗続き。愛想をつかした妻は子供(ジェニファーと弟)を連れて再婚するが、義父はアル中?でジェニファーに手を出そうとする、これまたトンデモ男。ここまではいかにもありそうな話なのだが、ジェニファーは同じダメ男でも実父の方は(何度か裏切られても)慕い続けた、ということろが異色。

ジェニファーはこんなダメ父と暮らす中でも大学でジャーナリズムを学んで記者として一本立ちした。それが単なる映画の筋というだけじゃなくて、実話だというのがすごい。高校までろくに学校に行ってなくて、父は前科者であることを知って、なお、(提出したレポートを読んで)才能があると見れば入学を許すアメリカの大学の懐の広さも、またすごいな、と思った。

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月の満ち欠け(映画)

2023年10月14日 | 映画の感想

月の満ち欠け(映画)

大手建設会社に勤めていた小山内堅(大泉洋)は、自動車事故で妻の梢(柴咲コウ)と娘の瑠璃を一時に失い、失意のうちに故郷の漁港で卸商をしていた。そこに三角(目黒蓮)が訪ねてきて、娘の瑠璃はかつての自分の恋人だった正木瑠璃(有村架純)の生まれ変わりではなかったか、と言い出す・・・という話。

筋としては原作通りだが、生まれ変わりというテーマはあまり深堀りせずに、亡くした妻や恋人の思い出の中でしか生きることができなくなった男の悲哀を前面に打ち出した感じ。

見た感じはそういう主題にぴったりなイメージの目黒蓮より、コメディアンというイメージが抜けきらないにもかかわらず、ペーソスを漂わせている大泉洋の方がよりよかったように見えた。生前の妻を撮影したホームビデオを見て涙をこぼしてしまうシーンは秀逸だった。

原作では、正木瑠璃を追い詰める夫:正木竜之介(田中圭)が転落していくエピソードがとても印象的だったが、映画ではスキップされていて、子供を産めない妻をいじめるだけの男、という筋になっていて残念だった。

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サーカスの子

2023年10月08日 | 本の感想

サーカスの子(稲泉連 講談社)

著者は幼い頃、炊事係だった母といっしょにキグレサーカスで1年ほど暮らした経験があった。そのころを共に過ごした人たちを訪ねあるいて、サーカス全盛期の1970〜1980年代の思い出とサーカスをやめた後の芸人たちの人生を綴る。

その頃のサーカスは構成員全員がともにテントや仮設の施設に寝泊まりする共同生活を送っていた。そこでは衣食住は保証されており、給料は小遣い代わりだった。訓練や芸事の修行は厳しいものの、連帯や気遣いがあって暮らしやすい空間だったという。このためサーカス団員の子供としてサーカスで生まれ育った人が、サーカスの外の一般社会に出ると孤独や世間の思いの外の厳しさがこたえたという。

キグレの他の有力サーカスの木下は今でも活動しているが、大テントのまわりで共同生活という形態はとっておらず、皆通い(遠隔地の場合は単身赴任)なのだそうだ。

核家族化など社会の変化により、誰もが顔見知りでプライバシーがない村落共同体的な組織はなくなってしまったが、昭和の終わりになってもサーカスにはそれに似た性格があり、そこに馴染んだ人たちは、後年になっても懐かしさを感じるというのは理解できる。

村落共同体と違ったのは、サーカスは出入り自由で去る者は追わずだったところ。濃密な人間関係が息苦しくなった人はさっさと出ていくことができたというのは、とても素晴らしい長所だったはずだ。

本書を読み終わった日(2023年10月8日)の日経新聞の文化面の寄稿者は、稲泉さんで、本書の後日談を書いていた。本書に登場した主要人物が、著者の母が暮らす那須のグループホーム近くで小さなサーカスを開催した、という内容。偶然に驚いた。

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