落合順平 作品集

現代小説の部屋。

連載小説「六連星(むつらぼし)」第88話 

2013-06-07 12:20:21 | 現代小説
連載小説「六連星(むつらぼし)」第88話 
「原子炉内での作業・その1」




 その日、原子炉内に入ってロボットを取り付けるという作業は
実は、他の人が受け持っていました。
そして、その取り付けは完了したものの、ロボットが外部からの操作に
反応しないというアクシデントが発生してしまいました。


 原子炉内の壁面には、無数の小さな穴が等間隔に開いていて、
その穴にロボットの6本の足が入り、遠隔操作で移動する仕組みになっています。
しかし、どうも足が完全に正規の位置に入っていないようだというのが、
取り付け作業を監督する立場にある社員たちの結論でした。


 足が完全に入っていない状態だというのが本当ならば、
そのままロボットを放置していると、いつ落下してもおかしくない状態になります。
落下をすると、数千万円と言われている精密機械が破損することになってしまいます。
そうなる前に正規の位置にロボットをセットし直すために、
私が急遽指名をされ、原子炉内へ入ることになりました。



 原子炉近くのエリアで、炉心に入るための装備の装着を始めました。
すべてを装着するために、2名の作業員が手伝ってくれます。
原子炉の周辺では、高度の放射線が飛び回っていて常に危険な状態がつづいていますが、
原子炉内部での作業ともなると、それはまたさらに一気に別世界へと変わります。
作業着は2枚を重ねて着ていましたが、さらにその上に、紙でできた
ビニール製のタイベックスーツを着用します。


 
 注釈)タイベックススーツ(簡易防護服)とは。
 タイベックスーツは、ポリエチレン繊維から生まれた不織布のことで、
 軽くて、丈夫なので作業性がよく、使い捨てとされる防護服です。
 高濃度の放射線管理区域内での作業には、最適のものとされています。
 また、タイベックスーツは、ケミカルテープ等で手袋や靴などとの隙間を
 簡単に目止めが出来ますので、放射性物質が直接皮膚に付着するのを
 防ぐことができるとされています。




 さらにその上に、エアラインマスクをかぶり、
首の部分や手首の部分、足首の部分など少しでも隙間の生じる恐れのある個所は、
ビニールテープでぐるぐる巻きにされて、完全な密封状態を作り出します。
まるで宇宙服かと思われるような重装備の装着が完了をすると、
炉心部に向かって案内をされます。

 炉心部の周辺に到着をすると、そこに2名の作業員が待機をしていました。
日本非破壊検査という会社から派遣をされた社員たちです。
しかし驚ろくべきことに、そこで待機をしていたこの2名は、ここが極めて危険な、
高放射線エリアだというのに、彼らはまったくの無防備のスタイルです。
制服と思われる普通の作業着を点けたままの姿で、汚染を避けるための
エアラインマスクさえ、装着をしていません。



 非破壊検査とは、“物を壊さずに”その内部にある傷や、
検査しにくい部分に出来る傷、あるいは劣化の進行状況などを、
特殊な機械を用いて調べ出すための検査技術です。
人類が将来的にわたって健康な生活を送るためには地球規模で、自然環境を
維持することが不可欠といわれています。
そのために、工業製品や各種設備の分野において、それらの安全性を確認しながら、
可能な限りの長期間にわたって利用することが不可欠となります。
こうした検査の結果が、産長期的には業廃棄物などを減らす事にも通じます。


 非破壊試験は、素材からの加工工程や、完成時における製品の検査、
設備の建設時の検査などに適用することにより、製品や設備の信頼性を高めて
稼働のための寿命を長くすることが、その主な目的にしています。
また、保守検査の一環として非破壊試験を適用することにより、使用中の設備などを
長期にわたって有効に活用することなどが可能となります。
原子力発電所や各種のプラント、鉄道や航空機、橋梁やビル、
地中に埋設した物質の探知まで幅広く応用がなされ、かつ運用がされています。



 定期点検中の原子炉の内部状況の検査のために、
彼らもまた、非破壊検査の会社から検査用のロボットとともに派遣をされてきたのです。
その中の一人で、責任者らしい人物が私を手招ねきしました。
責任者の彼は、マスクの中の私の目を何度も執拗に丁寧に見つめたあと、
やがて、『これなら大丈夫』と、納得のうなずきを繰り返します。
おそらく、私の目を見ることによってこれからさきの、炉心内で行われる作業に
耐えられるかどうか、目視によって判断したのだろうと思われます。


 その彼に先導をされて、生まれて初めての原子炉へ接近をしました。
下請け労働者として採用されて以来、原子炉周辺でたくさんの種類の作業を
こなしてきましたが、原子炉自体に侵入するのは全くの初めての体験になります。
原子炉というものはある意味では、配管のおばけのような代物です。
無数の配管が複雑に入り組み、それらが不規則に縦横に走り、複雑に交差をしながら
原子炉の建屋内をびっしりと埋め尽くしていきます。

 近づくにつれて通路の幅は狭くなり配管やコードなどが、さらにびっしりと隙間を埋め、
視界が悪くなり、うす暗くなってきた空間には、なんともいえない息苦しさと
異質なものへ接近をしていくと言う圧迫感などが漂ってきます。
蒸気管と思われる巨大なパイプを時間をかけて迂回をすると、目標の炉心の外壁が
ようやくその上方に見えてきました。



 炉心は直径と高さが約3メートルほどで、球形にちかい楕円形をしており、
私たちの立っている狭い通路よりも、少しだけ高い位置に設置をされていました。
原子炉の最底部と思われる位置は、私の肩とほぼ同じぐらいの高さで、
床からは、推定で1・5メートル弱といったところです。
腰をかがめて覗きこむと、その底部にマンホールが見えました。
マンホールの口は開いたままで、そこから原子炉の内部へ飛び込んでいくであろうことは
私にも、すぐに理解ができました。

 日本非破壊検査の作業責任者が振り返ります。
無言でマンホールを指さすと、そこから内部へ侵入しろと身ぶりをしました。
待機の場所からここへ歩いてくるまでの間、私たちに会話はありません。
作業の結果を急ぎたい責任者と、まったく未知の世界へ侵入する作業者は
お互いの思惑だけを胸に秘めて、ただただそれぞれに背負った使命感だけを頼りに、
たんたんと原子炉に近づいてきました。
気がついたときには、私の胸の心拍数は最大限に上がっていました。
呼吸はすでに浅くなり、どこかで息苦しさなどを感じています。
完全に密封をされている防護服の内部は、すっかりサウナのような状態となり、
二重に覆われた手袋の内部は、すでに汗でびっしょりです・・・・



 日本非破壊検査の作業責任者は、私の肩を抱き一緒にマンホールへと近づきました。
マンホールの入口ぎりぎりまで顔を近づけて、見上げるようにして中を覗き込みます。
内部は薄暗く、空気は幾重にも濃厚によどんでいて、まるで、何か邪悪なものでも
住み着いているような、そんな気配と印象を受けました。
かすかな恐怖心が、思わず脳裏を走ります。
一瞬にして顔の表情がこわばったのが、自分でも明快に解りました。



 たじろいだわずかな時間が、数分から10数分と思われるほど長い時間に感じます。
一呼吸、ふた呼吸と繰り返すうちに、動悸が鎮まってきたのが解りました。
だがそれとは裏腹に、今度は顔につけてエアーマスクの内面が、吐き続ける
熱い呼吸の繰り返しのために、みるまに曇り始めてきました・・・・


 マンホールへ近づくに連れて、やがて耳鳴りまで聞こえてきました。
仕事を遂行しょうとする自分の意志とは裏腹に、身体の中のあちこちからは、
『入るな』という拒否をしたがっている反応が、時間と共に潮のように
次から次へと容赦なく湧き上がってきます。

 自由にならない四肢を駆使して、ようやくの想いでマンホールへ辿りつきました。
内部を覗いて目を凝らしてみると、社員が事前に指示をしていた壁面には
たしかに、検査用と思われるロボットが斜めに取り付けられています。
その取り付け方が不完全なために、修正のために私がこれから入ることになるのです。


 しかし内部には、何とも不気味な雰囲気が漂よい続けています。
この場から逃げ出したい衝動から、必死でこらえている自分も居ます。
だが、いくら嫌でも、いまさら入るのを拒否できるという立場には、すでにありません。
飛び込む決意が自分の中で固まるまで再びマンホールから、目だけで炉心内を覗き込み、
私は、ふたたび深い深呼吸を繰り返すことになりました。
だが、それでもエアーマスクの視界はますます悪くなり、白く曇り続けていきます。
聞こえ始めてきた耳鳴りも、さらに激しくなるばかりです・・・





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