落合順平 作品集

現代小説の部屋。

連載小説「六連星(むつらぼし)」第89話 

2013-06-08 09:59:11 | 現代小説
連載小説「六連星(むつらぼし)」第89話 
「原子炉内での作業・その2」






 原子炉内の壁に設置をされている探傷ロボットの形状は、
一辺が40センチほどの正方形で、その厚みは20センチほどあります。
「蜘蛛型ロボット」と呼ばれている非破壊検査用の機器です。


 日本非破壊検査の責任者は、マンホールの入口間際まで顔を近づけ、
どうかすると内部に顔の3分の1ぐらいまで差し入れて、炉心内を覗き込みます。
そのままの体勢で、作業についての手順を事細かに繰り返します。


 今から20数年前の原発では、放射線の危険に関する認識には、
かなり非科学的なものがありました。
どうかすると、いい加減そのものといえる解釈さえ、現場で横行をしていました。
そのひとつの例が、この非破壊検査の社員たちです。
防護服の着用はおろか、エアーマスクの装着もせずに、平然と
炉心の内部を覗きこんでいる、この非破壊検査の社員の大胆さには度肝をぬかれます。
彼には、放射線に対する恐怖心と言うものが無いのでしょうか・・・・



 この当時より、さらに10数年以上も前の話になりますが、静岡に有る浜岡原発で、
非破壊検査の仕事を長くしていた担当の労働者が、顎のガンを発病したことがありました。
彼と同じ職場で働く同僚たちは、放射線を浴び続けることによって、
ガンに侵されたのだろうと噂をしあいましたが、当の中部電力は浜岡原発での作業と
ガン発症の因果関係については、一切認めませんでした。
やがて同僚たちも、後難を恐れて彼の病気が原発での作業ゆえという発言を
なぜか、次第に控えるように変わってきます。
こうした因果関係を一切認めない中部電力に、この先で無用に睨まれるのを
本能的に嫌ったためです。


 この人は、裁判に持ち込んで闘かいましたが、結局、この裁判にも破れてしまいます。
顎から絶え間なく血を流しながら、無念の思いを深く抱いたまま、
彼は死んでいったと聞かされています。
この事例を取り扱った、静岡市の鷹匠法律事務所の大橋昭夫先生は、

『あの件はいま考えても浜岡原発内での作業が原因だった』



 と、強い確信を持ち、悔しそうな表情で裁判の経緯について語っています。
いずれにしても30年も昔には、こんな不条理ともいえる横暴が各地の原発内で、
日常的に平然と、まかり通っていたのです。
しかし非破壊検査の会社では、今でも似たようなこうした事例は続いています。
かれらは検査のプロですが、放射線に関してはまったくの素人たちです。
定期点検中で停止中とはいえ、炉心内には計測不能なほどの放射線が飛び交っているのです。


 それでもこの作業責任者は、初めて炉心に入る私のために、
マンホールに顔を近づけては臆することもなく、作業の要点を延々と説明をしてくれています
彼の顔面には目に見えない放射線が、いっぱい突き刺さっていたのに違いありません。
私よりもいくらか年上の人でしたが、もうすでに生きてはいないだろうと、
このボイスレコーダーを吹き込みながら、しみじみと感じています。


 炉心内部での作業の説明を詳しく受けたあと、
いよいよ検査ロボットが待つ、炉心内へ突入することになりました
マンホールの真下には踏み台が置かれ、マンホールの斜め下にしゃがんで
待機していた私に対し、非破壊検査の社員が大きくうなずいてその合図を送ってきました。
私は立ち上がると、まず一度、大きく深呼吸をしました。



 頭を低くして踏み台に上がると、体を大きく伸ばしてまず上半身を
マンホールの内部に勢いよく突っ込みました。
その瞬間、グワーンという感じで何かが襲いかかってきて、なぜか、
何者かによって頭が激しく締めつけられました。
すぐに、強烈な耳鳴りまでも始まります。
だが、乗りかかった船です。もう引き返すわけにはいきません。
恐怖と闘いながらマンホールの縁に両手を置き、勢いをつけて内部に全身を入れました。
その瞬間に耳鳴りも、さらに激しくなります・・・・
炉心内でのこうしたさまざまな、異常と思えるような体験は、実は
数かぎりなく噂をされています。


 たとえば福井のある原発では、同じように炉心内で作業をした作業員の一人が、
炉心に飛び込んだ直後に、蟹の這う音を聞いたと証言をしています。
「サワサワサワ・・・・」という、まるで蟹が這っているような不気味な音は、
作業を終えたあとも、いつまでも耳元から離れなかったそうです。
それどころか定期検査の工事が終わり、地元に帰ったのちもこの音からは解放されず、
完全に、ノイローゼ状態に陥ってしまったそうです。



 この話を伝え聞いたあるライターが彼を取材して、その体験話をヒントに、
推理小説を書きあげました。
その本のタイトルが、「原子炉の蟹」です。
1981年に出版されたこの本は、その当時、原発で働く人たちの間で、
かなりの話題になりました。


 私の場合は、蟹の這うような音は聞こえませんが、頭を激しく締めつけられる感覚と、
かなり早いテンポの読経のような響きが、ガンガンと耳の奥で響きました。
原子炉の内部に飛び込むと、急いで立ち上がりました。
あまりにも勢い良く立ち上がったために、ヘルメットが狭い天井に当たってしまいました。
やむなく首を傾けた姿勢をとり、薄暗い中でロボットを両手でしっかりとつかみ、
「オッケー!」と大きな声で叫びました。



 外部からのリモコンが作動をしはじめると、ロック状態が解除をされて、
移動をするためのロボットの足が、それぞれの穴から飛び出しました。
検査用のロボット本体は、思っていたほど重くありません。
足の位置を正確に穴に合わせると、再び『オッケー』と外部へ合図を送りました。
カチャリと足のすべてが、穴に差し込まれるのが見えました。
うす暗い闇の中で慎重に、すべての足が穴に入っているかをあらためて確認をすると、
再度『オッケー』と叫び、後はあわてて、マンホールから外に飛び出しました。


 その間に費やした時間は、わずかに15秒足らずです。


 私が逃げるようにマンホールから外に出ると、責任感の強い日本非破壊検査の社員は、
またもやマンホールに顔を近づけてというよりも、顔の上半分を内部に差し入れて
ロボットの位置関係を、つくづくと確認しています。
眼球ガンという病がもしあるとするならば、彼はいち早くその患者となる資格を、
有していると、私には思えてならない光景そのものです。



 役目を終えた私は、急いで炉心部から離れました。
防護服を着脱するエリアへと、ひたすら走ります。
防護服はいちじるしく汚染されているために、脱ぐには慎重を要します。
ゴム手袋を何枚もつけた作業員が、ぐるぐる巻きにしたガムテープをハサミで切ってくれ、
タイベックスーツと呼ばれている防護服は、2名の作業員によって
慎重に脱がされました。
そのあとに、タイベックスーツは裏返しに折りたたまれたまま、2次汚染をふせぐために、
素早く、ビニール袋の中へ収納をされてしまいます。
エアーマスクは、私の荒い呼吸で白く曇っていたものの、タイベックスーツ内は、
エアラインで空気が送れ込まれていたので、比較的に涼しく、手先以外は、
あまり、汗をかくことなどもありませんでした。


 半ば放心状態で、アラームメーターを取り出してみると、
最高値を記録できる200のアラームメーターで、180余りという数値が記録されています。
たった15秒足らずの作業で、180ミリレムという、信じられないような
高放射能を浴びてしまいました。
いまではシーベルトという単位を使用してますが、この当時はいまと違って
放射線の数値は、ミリレムという単位が採用されていました
この時の定検工事では1ヵ月余りにわたって作業に携わり、このあと私はもう一度
原子炉内に飛び込みました。
2度目に入った時も、やはり恐怖心を克服することはできずに、
同じように、やはり不気味な耳鳴りを体験しました・・・・。





 「壮絶すぎる山本さんの体験だ・・・・
 技術や機械がどれほど進歩をしても、どこかで必ず、人の手は常に必要とされる。
 すべてを見通して、すべてのものを想定して開発がされてきたものでも、
 どこかで必ず、予期せぬ別の問題が発生をして、
 やはり、人の手による修正が必要となる。
 そのたびに、人の命が危機や危険に立たされることになる・・・・
 原子炉は核燃料を燃やしているはずが、
 私たちの知らない処では、おおくの原発労働者の命までも燃やしてしまっているだ。
 いいのだろうか、こんなことで・・・・」

 ボイスレコーダーのヘッドホーンを外しながら、
響の潤んだ瞳が、山本と約束をした散骨の地、福井がある西の方角をしみじみと見つめています。

 
 



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