落合順平 作品集

現代小説の部屋。

おちょぼ 第39話 緑色の目の芸者

2014-11-16 07:11:43 | 現代小説

「ちょぼ」は小さい意。
江戸時代、かわいらしい少女につけた名。または、かわいいおぼこ娘。
江戸の後期、京都・大坂の揚屋・茶屋などで、遊女・芸者の供や、
呼び迎えなどをした15、6歳までの少女をさす。

おちょぼ 第39話 緑色の目の芸者




 「頼みごとをするからには、手の内を全部明かす必要があるな。
 これを見てくれ」



 おおきに財団の理事長が、カバンから新聞記事のコピーを取り出す。
『花柳界初 外国人芸者 好きこそ物の上手なれ』と見出しに書かれている。
2011年11月。慶應義塾大学内で発行されている学生新聞の記事だ。


 「オーストラリア出身で、フィオナ・グラハムという女性が
 かつて、東京の花柳界に在籍したという実績が有る」


 「青い目の芸者が、東京の花柳界に実在をしたって?・・・。
 本当か、まったくの初耳だな」


 バー「S」の老オーナが慌てて新聞記事のコピーを手にする。
「ほんまかいな」と勝乃も、コピーに手を伸ばす。



 ・・・・(以下、、当時の記事から全文引用)


 凛とした立ち姿が美しい。着物をまとう女性は、緑色の瞳をしている。
彼女の名前は沙幸。
400年の歴史を誇る花柳界で外国人として初めて芸者になった。


 沙幸さんは慶應義塾大学文学部卒。慶大で初めてとなる白人女性の塾生だった。
日本人ばかりの大教室に入る外国人である自分に皆が振り返った。
「教授が授業を中断し、英語で道を間違えたのではと聞かれることもしばしば。
間違えて迷い込んできたと勘違いされたみたいです」と、当時を思い出し、笑う。
「いつでも第一号は大変なんです」


 塾生時代は日本文化には全く興味がなかった。
自由に学生時代を謳歌し、趣味のフルートを活かしてバイトしていた。
慶大卒業後、金融界に就職。しかし会社勤めに違和感を感じる。
「自分にとって本当に向いていることは何だろう」。


 転機を求め、単身オクスフォード大学に留学し、MBA並びに社会人類学の
博士号を取得した。その時にフィールドワークの大切さを知る。
「実際現場におもむき、体験することは自分には非常にあっていました」
その気づきから、自身が体感してきたことを広げる活動をしようと、
ドキュメンタリー番組を制作することを志した沙幸さん。


 一転、フリーディレクターとなり、国内外のテレビ局に次々と企画書を出していた。
その中で、ある一つの企画書が海外のテレビ局の目にとまった。
テーマーは日本の花柳界について。
「GEISIYA」といえば外国人からの関心も高く、人気が有る。
それならば実際に花柳界へ入って、その中から見た芸者を取り上げようと思った」



 始めは番組を作るために芸者を志した沙幸さん。
しかし厳しい修行の中で、次第に芸者として一人前になることが目標になっていた。
400年の歴史を誇る花柳界で初の外国籍芸者となる「沙幸」の誕生。
2007年12月。多くの人の力添えもあり、晴れて浅草にて芸者デビューを果たした。


 芸者として「芸」にいそしむ傍ら、花柳界の活性化にも取り組む沙幸さん。
「日本女性が着物をあまり着ないのは残念なこと。私が経営する着物店
『沙幸のきもの店』では初心者でも簡単に着けられる帯を販売して、
もっと手軽に着物を着られるようにしています」
また、慶大内でも学部を問わず受講できる「GEISHA」という講義を開講しており、
着物文化を身近に感じてもらおうと試みている。


 それと並行し、自身の修業時代の経験を生かして、芸者を目指す若い女性が
修行と仕事を両立できるビジネスインターン制度を運営する沙幸さん。
「芸者の修業時代はアルバイトも出来ず、経済的に不安定だった。
インターン制度を採用することで、修行の合間に仕事が出来る。
経済的負担も減らせるし、社会経験も身に着く」と熱く語る。



 沙幸さんは「芸者」と言う日本古来の伝統の中に、新しい風を取り入れようと
日々奮闘をする。その行動力の源とは・・・
「その世界に一度は入ってしまえば、後は頑張るしかなかった。
芸者は芸術家。日本の誇れる文化の一つであり、失われつつある世界を守る
大事な仕事です。そこに誇りを持っています」と
仕事に対する情熱を語る。


 昨今の不安定な社会情勢の中で、塾生は何に自らの価値観をゆだねたらよいのだろうか。
「学生生活の中で好きなことをやればいい。さまざまなことに取り組むことよって
自分の好きなこと、向いているものが見えてくる。
今の社会で安定や安心を求めても無駄。『好きこそ物の上手なれ』です』


 大学でも花柳界でも第一号だった。
フリーディレクターとしてテレビ業界にも飛び込んだ。考えすぎたら何もできなくなる。
「自分がすると決めたことをただ一生懸命取り組むだけ」がすべての
行動につながる信念だ。


 「花柳界に入ってきた女性は仕事をしているうちに次第に美しい女性になっていきます。
早く若い芸者衆を連れて海外のお仕事がしたいですねぇ」
そう笑顔で将来の夢を話す沙幸さん。
飽くなき向上心と好奇心をたたえた目は、ただまっすぐ前を見据えていた。



第40話につづく

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おちょぼ 第38話 香港から、帰国子女

2014-11-15 12:11:11 | 現代小説
「ちょぼ」は小さい意。
江戸時代、かわいらしい少女につけた名。または、かわいいおぼこ娘。
江戸の後期、京都・大坂の揚屋・茶屋などで、遊女・芸者の供や、
呼び迎えなどをした15、6歳までの少女をさす。

おちょぼ 第38話 香港から、帰国子女



 
 香港から帰って来る、帰国子女の名前は「サラ」という。
漢字で「沙羅」と書く。サラの髪は栗色だ。目はほんのりと薄いブルー。
母親は日本人だが、父親はイギリス生まれの貿易商。
2年前にすでに離婚をしていたが、バレーボールに打ち込んでいたサラが、
日本人学校を卒業するまで、このまま香港に居続けたいと主張した。


 長身のサラは、バレーボール部の中心選手だ。
2年間、必死で頑張り続けた結果、サラの当初の夢だった香港制覇を実現させた。
この春、中学を終えたため、母親の生まれ故郷である京都へ戻ってくると、
おおきに財団の理事長のもとへ連絡が来た。


 サラの母親は、おおきに財団理事長の末娘だ。
語学が得意で、香港へ英語留学したのがすべての間違いの始まりだった。
英国紳士に誘惑され、留学中に同棲がはじまった。
語学留学の終了とともに、末娘は、そのまま香港で結婚式を挙げた。
サラが生まれたのは、それから2年後のことだ。


 だが、独身だととぼけていた貿易商は、実はイギリスからの単身赴任者だった。
事実が露呈したのが2年前。すったもんだの末、ようやく離婚が成立した。
すぐにでも帰って来いと理事長は連絡を入れたが、サラの都合で2年間
帰国が先送りされた。



ようやく戻って来た娘と孫を笑顔で出迎えた理事長は、有頂天だった。
だがはじめて日本の土を踏んだサラが、とんでもない進路希望を口にした。


 「ウチ。祇園で舞妓になりたい」とサラが言い出した。
自分の孫が、花街の華になりたいと、突然の進路希望を口にしたのだ。
驚いたのは、おおきに財団の理事長だ。


 おおきに財団は、京都の花街が誇る伝統伎芸を多くの人に知ってもらうため、
さまざまな事業を展開している。
都の賑い、「京都五花街伝統芸能公演」もそのひとつだ。
毎年6月に京都の五花街の芸妓と舞妓が、総勢100名で舞を披露する。
贅沢で、見応えのある公演を開催する。それぞれの流派の舞が一堂に楽しめる。
五花街の舞妓20名による「舞妓の賑い」も、同時に披露される。
華やかさに、思わずため息が出るとさえ言われている。



 全国的な花街の衰退にともない、芸妓の数は減少傾向にある。
京都と東京を中心に、数は少ないながら、芸妓や舞妓たちの活動が続いている。
京都には五花街が存続しており、芸妓の数も1995年まで激減をしていたが、
その後、やや横ばいに転じている。
舞妓についてのみ、横ばいからやや増加傾向にある。



 京都五花街のうち、祇園甲部が芸妓総数119人と最も多い。
内訳は芸妓(げいこ)86人、舞妓(まいこ)33人。
祇園甲部に次いで宮川町、先斗町の芸妓が50人以上と多めだ。
上七軒は28人。祇園東は17人と少し少なめだ。
東京の花街のデータは少し古いが、2005年段階で、向島が120人で最も多い。
新橋の80人、浅草の54人、赤坂の39人、神楽坂の34人と続いている。
芳町は、15人とやや少ない。


 とはいえ、帰国子女や外国籍の女性が花街で活躍したという例は、ほとんどない。
いくら自分の孫の希望とはいえ、花街の事情に精通をしている理事長が、
頭を抱えたことは言うまでもない。
だが舞妓は無理だから諦めろと、可愛い孫を説得する自信もない。
困り果てた理事長がバー「S」へ福屋の女将で、同級生の勝乃を呼び出した。



 「帰国子女のワシの孫が、どうしても舞妓になりたいと言い出した。
 何やええ方法は無いか。勝乃、秘策はないか。力を貸せ」

 「帰国子女って・・・末娘が産んだ香港で生まれ育った、あの孫のことかいな。
 生まれてからずっと海外暮らしやろ。
 日本語は大丈夫なんかいな、ちゃんと会話ができるんかいな。
 特徴はどうなんや。まさか金髪で青い目なんてことは、おまへんやろうなぁ」


 「髪は栗毛で、目は薄いブルーや。
 公用語の英語はペラペラやけど、日本語の会話は片言や。
 だが問題は身長や。自称167センチといっとるが、育ち盛りの女の子や。
 たぶんいまは、170センチをゆうに超えとるやろう・・・」


 「あきまへんなぁ。
 170センチの子が舞妓の高いぽっくりを履いて、10センチの高さがある
 日本髪を結うたら、ゆうに190センチを超えてしまいまっせ。
 バレーボールの選手やあるまいし、おっきいにも限度というもんがあります。
 舞妓といえばおぼこさが命や。
 見上げるような大女の舞妓なんか、見たことも、聞いたこともあらへん。
 諦めろとはっきり言いなさい。どだい、どう逆立ちしても無理な話や!」



第39話につづく

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おちょぼ 第37話 福屋の女将

2014-11-14 11:42:01 | 現代小説

「ちょぼ」は小さい意。
江戸時代、かわいらしい少女につけた名。または、かわいいおぼこ娘。
江戸の後期、京都・大坂の揚屋・茶屋などで、遊女・芸者の供や、
呼び迎えなどをした15、6歳までの少女をさす。

おちょぼ 第37話 福屋の女将



 福屋の女将、勝乃はかつて祇園で3本指に入った名芸妓だ。


 唄や舞で、酒席の座を取り持つ女性たちのことを芸妓(げいこ)と呼ぶ。
地域によっては、「芸者」と呼ぶ。
京都の場合、10代の若い芸妓のことを 特に「舞妓(まいこ)」と呼ぶ。
祇園甲部は、京都で最大の花街(かがい)だ。
「花街の母」という歌謡曲 がヒットしたため、「はなまち」と呼ぶ人もが
多くなったが、正式には今でも「かがい」だ。


 勝乃は芸妓として政財界のVIPなどを中心に、多くの著名人たちから
長い間にわたり贔屓にされてきた。
6年間、売上ナンバーワンを確保した輝かしい実績も持っている。
4歳で京舞の井上流を習い始めた。11歳で「置屋 福屋」の跡取りになる。
15歳で舞妓としてデビューし、21歳で襟替えをして芸妓になった。



 4歳の頃、はやくも天分を見込まれた。
祇園甲部の「置屋 福屋」の女将から、跡取りになることを望まれた。
家庭裁判所で「福屋の子になります」と自分の口から言い、養女になった。
一見、順調にすすんできた人生だが、実は、見えない部分で苦労を重ねている。
養女になる意味を上手く理解できず、ふらふらしていた時期がある。
あるとき舞のお稽古の題を間違えて、そのまま覚えてしまったことが有る。
大きいお師匠さんの前で舞って、ひどく叱られた。
題が違っていたことよりも、ふらふらして落ち着かない生き方のほうを叱られた。


 多くのお客に贔屓にしてもらえるようになると、大きい姐さんから
反感を買い、イケズ(いじわる)をされることも有る。



 それでも女将は、
「芸妓は、日本におけるキャリアウーマンの原型です」と笑顔で語る。
「芸妓はみんな、芸を磨き自分の力で生きていきます。
結婚して旦那はんに養ってもらうのも、女の幸せのひとつです。
けど、結婚をしても女性が自分の仕事をちゃんと持ち、働いてお金を稼ぎ、
その中で子どもを育てるという事が、自立した生き方だと思います。
自立して輝く女性が増えていく事を、わたくしは、心の底から願っております」、
といつもにこやかに笑う。


 佳つ乃(かつの)を育て上げたのは、福屋を継いだこの勝乃だ。
「佳つ乃(かつの)に是非、この福屋を継いでもらいたい」と、
口にこそ出さないが、勝乃は昔から腹を決めている。
自分によく似たものをこの子は持っている、おちょぼとして指導し始めた頃から
勝乃はそんな風に、強く感じている。
しかし。当の佳つ乃(かつの)が手塩にかけて育て上げた妹芸妓の清乃は、
わずか7年で次の目標を見つけ出し、祇園甲部を後にした。
咲きかけた大きな花を失ったことが女将の勝乃にも、深い悲しみとして残っている。



 「傷が癒えんうちに、もうつぎのおちょぼの話どすか。
 それがまた、よりによって、帰国子女とは、なんとまぁ頭の痛い話どす。
 おおきに財団の理事長はんからのたっての願いでなければ、
 即決で却下どすわなぁ」


 「まぁそう言わんと、なんとかしてくれ。
 ワシも自分の子供のことでなければ、この話は断っとったが、
 なにせ可愛い孫のことや。
 しかも問題が多いため、こんな相談が出来るのは、お前しかおらん。
 同級生のよしみもある。なんとかワシを助けてくれへんか・・・」


 「都合のええ時だけ、同級生を持ち出して仲間扱いや。
 昔から困った時、要領よく立ち回るところだけは変わりませんなぁ、理事長は。
 そやけど、香港からの帰国子女では、なんとも骨がおれまっせぇ。
 その子は、日本語はできますのかいな?」


 「香港の公用語は、広東語とイギリス風の英語や。
 母親は日本人だから片言での会話は出来るが、いざとなるとやっぱり英語やな。
 あ、目は薄いブルーや。髪は栗色だがな」


 「栗色の髪で、目が薄いブルーどすか・・・頭が痛くなってきましたなぁ。
 そのうえ英語で会話をする子を、舞妓に育ててくれというんどすか、あんたは。
 そんな前例が、いったい祇園のどこを探したら有んねん。
 見たことも、聞いたこともあらへんで。
 まったくもう、理事長ったら。無理難題を言うにも、限度があるわ!」

 


第38話につづく

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おちょぼ 第36話 突然の作戦会議

2014-11-13 11:30:48 | 現代小説

「ちょぼ」は小さい意。
江戸時代、かわいらしい少女につけた名。または、かわいいおぼこ娘。
江戸の後期、京都・大坂の揚屋・茶屋などで、遊女・芸者の供や、
呼び迎えなどをした15、6歳までの少女をさす。

おちょぼ 第36話 突然の作戦会議



 中秋の名月まであと3日と迫った日の夕刻。
路上似顔絵師がいつもの時間に、バー「S」が入っているビルの入り口に着く。
「十五夜」と言うから、15日が中秋の名月だろうと勘違いしている人は多い。
実際には毎年9月の中旬から10月上旬の間に、旧暦の8月15日がやってくる。
旧暦と現在の暦の数え方にずれが有るため、毎年、中秋の日は異なる。


 「十五夜」は満月のことではない。旧暦の8月15日に見える月のことだ。
旧暦で秋は7~9月となっており、真中の日は8月15日にあたる。
これが「中秋」と呼ばれるようになった由縁だ。
空がもっとも澄みわたる時期だ。月がきわめて明るく美しく見えるため、
平安時代から、観月の宴などが開催されてきた。
江戸時代に入ると宴と秋の収穫を感謝する祭事が合わさり、さらに広まりを見せる。
こうして今日の、「お月見」の原型が形成されてきた。 



 「そう言えばお月さまも、だいぶ、丸くなってきたな・・・」
夕暮れの空に輝き始めた月へ一瞥をくれてから、似顔絵師が階段をトントンと駆け上がる。
いつもなら照明が入り、廊下も店の前も明るくなっているはずだが、この日は様子が違う。
今日に限り、うす暗いままの空間になっている。


 「おかしいな」習慣的にドアノブへ手を伸ばした路上似顔絵師が、
ひらりと下がっている短冊に、ようやくのことで気がつく。
「作戦会議中につき、本日、臨時休業」と、流れるような書体で書いている。
流麗な筆使いだ。マスターの字じゃないぞ、誰が書いたものだろう・・・
「聞いていないぞ、臨時休業なんて」
それでも似顔絵師の手は、躊躇わずにいつものようにドアノブを右へ回す。
カチャリと軽い開錠の音が響いて、ドアが苦も無くふわりと開く。


 (なんだよ。開いてるんじゃないか。人騒がせな短冊だな・・・)


 ひょいと現れた路上似顔絵を、3つの顔が同じタイミングで一斉に振り返る。
カウンターで、パイプを手にしているバー「S」の老オーナ。
相対する側で、パイプをくわえたまま固まっている「おおきに財団」の理事長。
その向こうに、妙齢と思えるご婦人の着物姿がちらりと見える。
(誰だ、もう一人は?・・・)

 
 「あ。休みだから今日は帰ってもいいぞ」と言いかけた老オーナを、
「おおきに財団」の理事長が、慌てて手で制止した。

 「ちょうどええとこに来た。埒のあかない会議でええ加減、腹が減ってきた。
 坊主。来たついでや。
 いつものすいとんを3人前、急いで作ってくれ。
 旨いもんでも食って、ちびっと休憩しようや」



 いいから厨房へ入り、さっさと準備しろと理事長が手で合図を送って来る。
(いったい、なんの相談がはじまったんだ。今頃・・・)
いぶかりつつ、似顔絵師がすいとんを作るための準備に取りかかる。
会議が中断したのだろうか。パイプ煙草の煙が厨房にまで立ちこめてきた。


 すいとん作りに没頭しているはずの、路上似顔絵師のとりあえずの関心は、
先ほどかすかに見えた着物姿の妙齢のご婦人のことだ。
着物の着こなし振りから、花街の関係者だろうという事は一瞬にして理解した。
だがチラリと見えた横顔に、まったく見覚えはない。
路上似顔絵師の脳裏を、祇園で出会った人たちの顔が忙しく浮かんでは消えていく。
だが記憶の中に、やはり、該当する記憶は浮かんでこない・・・
(あの人はいったい誰だ。やっぱり、まったく初めて見るご婦人のようだな・・・) 


 
 すいとんが出来上がるころ、おおきに財団の理事長が厨房に顔を出した。


 「お、ドンピシャで出来上がったようだな。
 飯は旨いほうがええが、空腹時には、手早う出来ることのほうが御馳走になる。
 やっぱり坊主は腕がええ。
 絵を書くことより、料理の方におおいに才能が有る。
 とワシは思うんのやけど、美人の佳つ乃(かつの)の意見にはさからえんからな。
 かまわん、かまわん。ワシが運んでいくさかい」


 おおきに財団の理事長は、佳つ乃(かつの)が似顔絵師をバックアップする
という話を、すでに何処かで小耳にしてきたようだ。
五花街を支えるだけあって、情報収集にはまるで地獄のような耳を持っている。


 「あそこに来とるのは、置屋、福屋の女将や。
 ということは、佳つ乃(かつの)のお母はんという事になる。
 あとで挨拶をしておくとええ。
 祇園甲部では3本指に入る怖いうえに、祇園町屈指の実力者や。
 挨拶をしておいて、あとで損は無い」


第37話につづく

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おちょぼ 第35話 舞妓は特別天然記念物

2014-11-12 10:34:46 | 現代小説
「ちょぼ」は小さい意。
江戸時代、かわいらしい少女につけた名。または、かわいいおぼこ娘。
江戸の後期、京都・大坂の揚屋・茶屋などで、遊女・芸者の供や、
呼び迎えなどをした15、6歳までの少女をさす。

おちょぼ 第35話 舞妓は特別天然記念物





 「京都には5の花街がある。
 上七軒(かみしちけん)、先斗町(ぽんとちょう)、宮川町(みやがわちょう)。
 祇園の中に、2つの花街がある。
 祇園甲部(ぎおんこうぶ)と祇園東(ぎおんひがし)や。
 八坂神社より西側の祇園を、東西に走る四条通と南北に走る花見小路通で
 4分割すると、北東の一画が祇園東。それ以外が祇園甲部になる。
 通常、花街の祇園と言えば祇園甲部のことを指す。
 花街の格式は、そこへ通う客の質が決めると言うても過言ではおまへん。
 それぞれの花街は、それぞれを支えてきた客層によって風格が形成されてきた。
 上七軒は西陣が近いせいか、大店の旦那筋が多い。
 先斗町は南座のそばにあるためか、役者筋が多いと言われとる。
 その中で規模、格式ともに別格なのが祇園や。
 客筋は政界、経済界、宗教界、芸能界ともに一流の人たちが集まって来る。
 それが祇園という町や」


 今夜のマスターは饒舌だ。
途中で遮ろうとしても、祇園の裏話が止まりそうにない。
時々この人は、仕事を忘れて飲み過ぎる。
上機嫌で路上似顔絵師と呑んでいるうち、マスターのほうが先に酔ってきた。
こうなるとこの人の饒舌は、誰がさえぎろうと思っても特急電車のように止まらない。



 「祇園には独特の、ハードとソフトがある。
 主なハードウェアは、「おぶ屋」「仕出屋」「屋形」の3つや。
 それぞれのハードの中に「女将」「料理人」「芸妓・舞妓」のソフトウェアが有る。
 おぶ屋というのは、お客をもてなす場所のことや。
 客のリクエストに応じて、場所、お酒、料理、接待する人材を準備する。
 場所とお酒はおぶ屋が用意するが、料理と接待する人は外部に委託をする。
 委託する先が、仕出屋と屋形や。
 仕出屋は料理を作り、タイミングを見計らって一品一品、おぶ屋へ運ぶ。
 屋形は置屋と呼ばれとるが、芸妓、舞妓を抱えているプロダクションの様なものや。
 おぶ屋の女将は宴会の演出家。料理人は小道具係。
 プロダクションから派遣されてきた芸妓と舞妓は、タレントといったトコやな。
 ほんで、何よりも祇園で大切なソフトウェアが、そこに通うお客たちや。
 遊ぶお客無くして、祇園の町は成り立たへん」


 マスターが酔うと必ず、「舞妓は特別天然記念物や」という話が飛び出す。
京都で連想する、世界的に知られる特別な存在が「舞妓」だ。
舞妓の仕事は言うまでもなく、舞を舞う事だ。
舞妓と呼ぶのは京都だけで、その他の花街では未熟を示す、半玉と呼ばれている。
芸妓として一人前になる前の段階が、「舞妓」にあたる。
舞妓は中学を卒業してすぐに花街へ入るため、歳の頃だと16~20歳ぐらいまでが、
「舞妓」としての適齢期にあたる。


 特別の教育を受けるため、同世代の女の子の様に、無神経で不躾では無い。
精神年齢は、見た目以上にずっと大人になる。
実際の素顔は不安定な少女だが、酒の席で相手を不愉快にさせることはまず無い。
不安な気持ちを白粉(おしろい)で隠し、世界的なVIPの前に出ても、
まったく物怖じしない気心は、祇園の格式と伝統に躾られた賜物だ。
祇園にほんの数えるほどしか生息していない、特別天然記念物の様な貴重な存在。
それが舞妓という特別な生き物だ。



 「ほら。かつての特別天然記念物が、お座敷から戻ってきた。
 あとは佳つ乃(かつの)はんに任せて、ワシもそろそろ帰るとするか。
 呑み過ぎたことやし、仲の良い2人を邪魔するのは無粋や」


 「誰がかつての特別天然記念物やて?。」
お座敷から戻った佳つ乃(かつの)が、怖い目をしてマスターを睨む。



 「いやいや。ワシは急用を思い出したから、もう帰るでぇ。あとはよろしく」
と三味線を抱えて、脱兎のようにマスターが逃げていく。
「油断も隙もあらへんなぁ」と目に角を立てて怒る佳つ乃(かつの)に向かって、
「まぁまぁ。ウチに免じて堪忍してや。あれでも大事なウチの亭主や」
と富美佳の女将が、ニッコリと笑う。




第36話につづく

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