2015年 あべの

外交官の千畝は諜報員として、1934年北満鉄道のソ連との交渉に成功、
しかし、関東軍の手荒い処置に失望する、
かねてからの希望のモスクワに赴任する予定が、このことからソ連からの拒否で(「ペルソナ・ノン・グラータ(歓迎されざる人物)」)リトアニアへ行くことになる、
1934年カウナスでドイツとソ連の情報を収集し、ドイツの猛攻に懸念を抱き始める、
ドイツが独ソ不可侵条約を破り、レニングラードへ侵攻していくなかで、
日本の状況がそのうちアメリカと開戦することを確信し、具申するが本国では情勢を受け入れず、
ナチスドイツのユダヤ人迫害が始まっていく、
やがて日本領事館にも多数のユダヤ人がビザ申請に並び始める・・
・.・*・.・*・.・*・.・*・.・*
もう20年くらい前ですかね、ドキュメンタリー番組で彼のことを知って、
日本にもこんな人が居たんや、と感動しました、
「シンドラーのリスト」みたいな、反ナチ、反大日本帝国の肝の座った人ですね、
その印象が強くて、正直そこまでの感動はなかったです、
映画はそれほどドランティック仕立てではなくて、
彼は戦時中日本に帰ることなくヨーロッパの各国に赴任、
最後、ソ連に抑留されるけど、ちょっと特別待遇みたいに見えましたけど、
その後日本に帰り、貿易会社に就き、86歳の生涯を終えたみたいですが、
日本政府は彼のことはシークレットになってて、カミングアウトは戦後ずい分と過ぎてからのようです、
千畝の母校・ハルビン学院のモットー「人のお世話にならぬよう、人のお世話をするよう、そして報いを求めぬよう」
この言葉が生きてます、
そして千畝の二期後輩であったウラジオストク総領事代理・根井三郎が日本通過ビザを認める、~ここは感動~
救われた人は6000人、いまではその子孫が40000人?とか、
「サイドウェイ」の監督さん、チェリン・グラックだったんですね、
唐沢寿明、ウ~ンちょっと線が弱いかも・・

外交官の千畝は諜報員として、1934年北満鉄道のソ連との交渉に成功、
しかし、関東軍の手荒い処置に失望する、
かねてからの希望のモスクワに赴任する予定が、このことからソ連からの拒否で(「ペルソナ・ノン・グラータ(歓迎されざる人物)」)リトアニアへ行くことになる、
1934年カウナスでドイツとソ連の情報を収集し、ドイツの猛攻に懸念を抱き始める、
ドイツが独ソ不可侵条約を破り、レニングラードへ侵攻していくなかで、
日本の状況がそのうちアメリカと開戦することを確信し、具申するが本国では情勢を受け入れず、
ナチスドイツのユダヤ人迫害が始まっていく、
やがて日本領事館にも多数のユダヤ人がビザ申請に並び始める・・
・.・*・.・*・.・*・.・*・.・*
もう20年くらい前ですかね、ドキュメンタリー番組で彼のことを知って、
日本にもこんな人が居たんや、と感動しました、
「シンドラーのリスト」みたいな、反ナチ、反大日本帝国の肝の座った人ですね、
その印象が強くて、正直そこまでの感動はなかったです、
映画はそれほどドランティック仕立てではなくて、
彼は戦時中日本に帰ることなくヨーロッパの各国に赴任、
最後、ソ連に抑留されるけど、ちょっと特別待遇みたいに見えましたけど、
その後日本に帰り、貿易会社に就き、86歳の生涯を終えたみたいですが、
日本政府は彼のことはシークレットになってて、カミングアウトは戦後ずい分と過ぎてからのようです、
千畝の母校・ハルビン学院のモットー「人のお世話にならぬよう、人のお世話をするよう、そして報いを求めぬよう」
この言葉が生きてます、
そして千畝の二期後輩であったウラジオストク総領事代理・根井三郎が日本通過ビザを認める、~ここは感動~
救われた人は6000人、いまではその子孫が40000人?とか、
「サイドウェイ」の監督さん、チェリン・グラックだったんですね、
唐沢寿明、ウ~ンちょっと線が弱いかも・・
