3月10日に川柳作家・時実新子(ときざねしんこ)さんがお亡くなりになった。突然の訃報であった。田辺聖子によると彼女は川柳界の与謝野晶子だと言う。 時実新子は、夫のいる女性の恋をテーマにした句集『有夫恋』(ベストセラー)を出版したり、『月刊川柳大学』『乾杯!女と男』(田辺聖子共著)『死ぬまで女』『白い花散った』・・・などがあり、目に、耳に、された方も多かろう。作品とはいえ〔ここまで言い切れる?〕〔川柳の姿勢は誇張?…〕と感じるほどの描写で男と女をうたい上げたりして、川柳界のみならず川柳になじみのない人まで、新風を起こし吹き荒れた感があった。
(毎日新聞から…川柳に造詣が深い作家の田辺聖子さんの話 川柳といえば、俳句、短歌に比べて一段下に見られる傾向があったが、「新子川柳」の登場は文学に携わる者に衝撃をもたらした。日常の俗事をふまえながら、花鳥風月を超えたインテリジェンス(知性)を感じさせ、川柳界に新しい道を切り開いた。若い女性をはじめ川柳の愛好家の裾野を広げたのも新子さんの大きな功績だろう。)
名古屋でその昔、川柳の全国大会が開かれた。その時私は、主催者側の手伝いをした。当時私は30代とは言うものの、もうすぐ40代という微妙な年齢。にもかかわらず乳児がいて、大会当日は日曜日だったので夫が会場まで赤ちゃんを運びきて授乳する我ら母子に協力してくれたことを思い出す。
新子は50を2、3歳くらい過ぎた頃だった。その彼女が「私だって現役よ!」と私に挑発するように言われた。新子は輝いてキラキラしていた。とっさには新子の言われた本当の意味が分からなかったが、その後に再婚され、『有夫恋』という句集を出版されたことから何となく肯いたのだった。
川柳の先輩のMo.さんは「ギンギラさせるのが川柳よ。俳句は景色の上に自分を投影させて婉曲に表現するが、川柳は自分自身が舞台の上で表現するようなもの、煌かせて躍らせる自分を見て頂くのよ。」と言われた。割り切らないとなかなか表現しきれない。私はとうとう〔キラ!〕と小さく瞬いて記念の賞品をもらったくらいで今は休眠中。でも川柳のおかげでものの見方や受け取り方は、確かに昔より広がった。幼く若かった頃の私を知る方のなかに、今の私を評して「凄く変わった」と言う方がおられるが、それはことによったら川柳作句の〔穿ち・軽み・風刺と捉えようとする〕目が、私自身を変えてくれたのかも知れない。
『いちよう』第1号にある川柳を転載してみようかと思う…。
―燦々と― ○田○や○
スタッカートの笑顔 心にもさくら
七重八重やまぶきの黄が濡れている
髪に受くさくらひとひら重たくて
桜舞う あなたからのメッセージ
...50代?の新子... ...句集『有夫恋』表紙... ...新子 近影か?...
新子像をインターネット上で見つけたので、ここに登場してもらおう…。きっと天国では、感激で涙を流されたりニッコニコとされたり、はっきりとメリハリ良く表現しながら過ごしていることだろう。ご冥福をお祈り申し上げます。
―下記は句集『有夫恋』から― 時実新子
妻をころしてゆらりゆらりと訪ね来よ
明日逢える人のごとくに別れたし
死ぬほどの思いも逢えばあっけなし
心読む眼でまっすぐみつめられ
人の世に許されざるは美しき
何だ何だと大きな月が昇りくる
れんげ菜の花この世の旅もあと少し