雛祭り①―よりさらに以前の年の、2005.2.25に愛知県の香嵐渓“中馬のおひなさん in 足助”という新聞記事を見たので、訪ねて見た。この辺りはカタクリの群生地で、3月下旬頃には山の北側斜面一帯が薄紫色に染まってなかなか見応えがある。
ここ三河地方足助町はもみじの名所、香嵐渓。その足助は塩の道になっていて、ここで船から信州・北陸の山地に運ぶため、馬に乗り換える地点だったという。この足助商店通りで、民家をそれぞれ開放してお雛様飾りを公開していた。愛知県は徳川家康の出身地。特に徳川様の習いが民衆にも濃く反映されていて、嫁入りとかお雛様が、徳川様をある種モデルにしていたのではないかと見受けられる。可愛い娘の嫁入りには(徳川様みたいに?)超豪華にしてあげようと日ごろは節約してその時のために備えるとか…。
徳川美術館の2~3月の特別展示「桃の節句」を見ると、お姫様方は嫁入りの雛形としてのお雛様持参なさりお道具も然り…で、お輿入れされている。ままごとのお道具にも、子どもの遊び道具にしては勿体ないような細工が施されていたりするのを、見るにつけ「名古屋の嫁入り」が全国的に有名なのは、理想を徳川様に形だけでも近づきたいという民衆の心の表れのような気がしてならない。
香嵐渓のもみじの樹は川沿いに添ってず~っと続く。
秋の頃はまた素晴らしい眺めでかなり全国からの人が訪れて賑わう。
また観光客の足が途絶えがちな春浅いころ、周辺の山道をドライブしたが、キブシやハンノキやその他木々には黄色や白、桃色などの花や若葉を輝かせて、それを見ては良い句が浮かばないかと…う~ん、努力したね!
昭和30年ごろまで初節句には、親類、ご近所から「三河の土びな」が贈られたという。鯉のぼりの習慣が無くて男の子も女の子もこの土雛で祝ったそうだ。そして第1子は男の子であっても母親の実家からお雛様が届いたそうである。
写真左は郷土資料館の入り口 右は民家での土ひな展示(左=加藤清正の虎退治)(右=豊臣秀吉・肩に居るのは信長の孫、三法子丸)
御殿飾り お店のショーウィンドウに飾られていた。
(わずかに右下端に見えているプレートには昭和34年と記されている。)
民家での雛飾りを見せていてくれていた。親、娘、孫と1軒で幾組ものお雛様を飾るのである。
この飾り方はお内裏様が御殿の中にいるという飾り方。
上のショーウィンドウ内の御殿飾りと同じ、昭和34年あたりのもの。
あまり見かけない上品な色使いの衣装、派手ではなく落ち着いた感じでしっとりと素敵…と
見惚れていると、ここの家のおばあちゃんが見えて
「お雛様の髪の毛は娘(すなわち孫の母)のなんだわ。長い髪を切ったので
記念にお雛様の髪に作ってもらったんだわ…」と言われた。
「手にとって抱いていきなン!」と、その大事なお雛様を私の手のひらに乗せてくださった。