3月下旬~4月第1週あたりは、恒例のお花見と文学散歩のテーマである。
17日(日)に、「今年の目的地はどこにしようか」、「見所は何か」との話し合いをするために委員会を開いた。
06.4.8小石川植物園で
二千和会では今までに7回のお花見を重ねた。最初が千葉だったので、そろそろこの辺でまた千葉に…ということで、佐倉周辺にお花見と歴史散歩のような形にと話がまとまった。実施日は4月6日(日)。
06年は小石川植物園の桜を堪能。その年の実施日は、ソメイヨシノはもう咲き終わり八重桜が満開となっていた。
印象深い花見だった。ちょうどお昼の宴を開こうとしたときに、雷鳴…やがて大粒の雨で一同東屋に逃げ込みながらも、互いにこれ美味しいよ、食べてみて!など薦めあいしてお弁当も美味しいと思った。そして少しのアルコールも持参の方は旨し旨しと頂いた。
そして割りに早く雨があがり、芝生に腰を下ろしてひと時を楽しんだという具合だった。雨上がりの桜は格別に美しかった。あ~2年前なのに、今思うと若かったなぁ!
そして07年。一昨年の06年はソメイヨシノの時期には遅かったため、3月31日に「鎌倉の桜」を愛でようと設定したのに、その年はまだ桜は硬いつぼみの状態だった。探しながら歩いて一枝ほころびかけた蕾が目に留まったくらい! 花時を当てるのはなかなか難しいものだ。
さて今年08年の桜はどうなるか?ピシャッと当てたいものである。
思い起こせば最初の年の花見は、自主運営となり「二千和会」と名づけての初めての活動であった(2001.4.8)。
万葉の歌の通りを通って雰囲気を醸し、市川の弘法寺(ぐほうじ)や、真間の手古奈の伝説などを訪ね、伊藤左千夫の「野菊の墓」の舞台を訪ねた。そして矢切の渡しを渡って、「男はつらいよ」寅次郎のふるさと東京都葛飾区の柴又帝釈天まで訪ね解散した思い出深い散歩だ。
ちょうどそれは4月8日のお釈迦様の日で、弘法寺で甘茶がふるまわれた。枝垂桜が見事であった。お昼は里見公園の桜の下でお弁当を広げ、これまで忘れかけていた久しぶりの円陣の楽しさに、何か言葉のアルバムを残さねば!と、会報「いちよう」の誕生となったのだ。
しかし、問題の第一は原稿が集まるか?で、写真にしても当時はデジカメもなく、昔からのカメラで撮ってそれをコピー機で写真印刷して切り取って版下を作る…思い返すとよく取り掛かったものよ、と結構大変な作業にも関わらず楽しんでやってのけた。若かったからこそだった。
その会報も8年目、次回発行で30号という号を数えることになった。そろそろ、会報編集への情熱の燈火も、ひところに比べると勢いが落ちてきたと感じている。風を起こし油を足さねば…と思う。