SO‐Color 担当
東京メトロ日比谷線、人形町駅下車。甘酒横丁の通りを先へ進むと浜町公園や明治座へ向かう道となります。
3台のトラックは右側にある緑道の整備にやってきた車です。ちょうど小川を浚ってきれいにしていたところでした。この浜町緑道内に和田啓十郎の顕彰碑があります。(⑥漢方医学復興の地)
甘酒横丁を通り、ちょうど弁慶像があるところが目印で、左に曲がります。明治座に通ずる緑道《文化と歴史の散歩道》の切れる場所辺りに、以前会報「いちよう」にも登場した祖父、和田啓十郎の業績を示す顕彰碑が、あまり目立たない感じで建っています。
昔この所在地近くで漢方医として開業していましたので、碑には「漢方医学復興の地」と刻まれています。裏側は車道でそちらに回ると、啓十郎の業績を讃える言葉が彫ってあります。
「和田啓十郎先生は漢方医学がまさに絶滅せんとしたとき、この地において衣を薄うし食を粗にして得たる資金を以て明治四十三年、「醫界之鐵椎」を自費出版し、漢方医学の復興に起ち上った。
今や漢方再興の気運に際会し先生の旧趾に碑を建て、その偉業を顕彰するものである。 日本東洋医学会 東亜医学協会 日本医史学会」
実は徳島文理大学の准教授庄子昇先生が、祖父啓十郎の周辺をも、検索されているとのことで、なんでもいいので啓十郎を知っている、ゆかりの人たちに会って話を聞きたいと、夫からの知らせを通して話がありました。夫を通しての関係もあり一応お会いすると、庄子先生への信用度をアップさせて(失礼!)…の判断でした。一人では偏った話や見方になるのを恐れて、妹も呼び出しました。妹と私は、父から聞いていることなど、聞かれるままに取材を受けたわけです。
庄子氏は薬草の方のご専門がきっかけで漢方医学に関係しておられます。私たち親族の関係など、かなり詳しく調べられており、「医界之鉄槌」は大変に難しいので現代語訳に直して広く皆さんに読んでもらえるようにと思っている…とのことでした。啓十郎の直系長男(開業医)が、もっと知っているので、この取材は単なる話題と多面的に捉えようとなさる先生の姿勢によるものだと、思いました。
ここ人形町日本橋界隈―甘酒横丁。
二千和会の伊藤会長が、「いちよう34号」で七福神巡りのことを載せてくださった際に、麻布十番街通りの“名物たい焼き”の元祖「浪花家総本店」を紹介されていましたが、あと、新宿の「わかば」、人形町の「柳家」が“たい焼き”の、東京での御三家だとの文章がありました。
その「柳家」も回りたかったけれど、たい焼き屋の探検は残念なことにできませんでした。
取材を受けたあと、娘から頼まれていることも気になり、時間に限りがありましたので、お昼を急いで食べたのちに慌てて帰ることにしました。
下の写真は、この近くの水天宮さま。向こう角に見えましたので、カメラを構えておさめたのみとなりました。