いちよう:二千和会だより

 会報「いちよう」を通して、人生がさらに豊かに広がるよう「今も青春!」の心がけで楽しく交流しながら散策しましょう。

うれしいね!

2009年03月26日 | SO-Color

 「ねぇ、パパ!今日は何のお祝いですか?」「私の誕生日祝いはまだしてないのよ。」「今日は卒業祝い? 入試合格のお祝い?それとも遅れてする暇がなかった誕生祝い?」「何も彼も一緒に、“お祝いの会をしたよね!”…は、嫌よ。」
 孫娘は父親に甘えて言う。お台場までの車の中で大笑いの楽しい移動のひととき。
 
 12年前、私たち夫婦にとっての初孫が生まれた。私はこの時から、娘夫婦への協力体制を取り、さびしがり屋の母への親孝行とを多目的にこの機会に為そう…と、単身赴任の形で私はこちらに移り住んだ。

 
 娘の、家庭を持ちたいし研究生活も続けていたいという希望に、協力しようとの夫の提案を、悩みながらも受け入れた。
 夫の提案は、私の若かったころの“二兎追う”姿勢をあらためて、次代を担う子供を一心に育てるために、一番基盤となる家庭をないがしろには出来ないと、決心させ(?)て、私は職業を退き、家庭を守る方向に転換した…長い時間が、夫に家庭の中でも自立出来るような方向に関心をもって、それぞれの努力が実を結んだといえるのかも知れない。
 何しろ、明治生まれの父は、私の就職には理解しても子育てなどに、実は母の手も借りたかったのに、母を自分から離すわずかな時間も「お母さん無しでは暮らせない」といった家庭での男の自立は絶対に眼中には無かった人だった。 

 また夫は、国立大・在外研究員としてアメリカでの1年間単身生活をしたことと、愛知県下の有名私立校「東海中学・高校のPTAの自主学習グループ」の勉強会が、夫を講師に迎え入れたことが夫の姿勢を変えたのではないか?
 比較的長く続いた自主学習の会だったが、夫はその会に参加し、務めさせてもらったおかげで、自分の生き方にある変化をもたらしたと思う。 
 妻の立場からの考えを、私から押し付けられたという感覚ではなく、他の多くのお母さん方の考えを吸収してくれて、“ある考え”が培われたと言えるのではないか。それは夫自身にとって大きい収穫ではなかったろうか。
 私の単身赴任は、唐突に出た意見ではない。彼の提案は、私からの反発する意見交換によって、調整されながらも、結局は大人であり大局を見つめて出された彼の考えに同調するのは、どの場合においても、私の大方の結論となった。結果はいつも間違っていないと感じ取れる、彼のレールの上を順調に歩く羽目にはなるのだが、後悔はしていない。 それで私は幸せなのであった。
  
                                   
 女性が仕事を持ち男性となんら遜色なく働き通すのは並大抵ではない。生涯独身を通すとか、ベターハーフに家庭の仕事をしてもらうか? ダブル インカム ノーキッズ(共働きはするけれど子供は作らない)の姿勢を保つか?
  
 ここはお台場。娘婿の活躍と理解で、娘も非常勤の立場を確保しつつ、母の私の手を時と場合によっては借りつつも、仕事を細々と続けられている。二人の孫娘はパパを恋人のような眼差しで憧れたりパパからも可愛がられ、周りの他の人からの注目度もアップしているようすである(ババ馬鹿だねぇ。それでいいのよ、自覚しているからね!)。
   
 食事がすんだら、また一路下の孫娘のピアノのお稽古日があるため、まっすぐにかえったけれど、フジテレビの丸いドームのあるビルも間近に見て走りぬけた。
 明後日は、二千和会のお花見。水上バスからも、フジテレビの特徴あるビルの脇を通ると思う。今年は桜の開花期が早いと予想されながら、寒さが戻ってきたりして、果たしてどのくらい咲いてくれるのでしょうか?


落ち着かない三月

2009年03月26日 | SO-Color

 1955~'60年代の頃に、青春の象徴のような映画…ジャクリーヌササールや、ジェイムスディーン、アランドロン、ロミーシュナイダーなど若手俳優の主演する映画にうっとりと憧れて、定期試験が済む度に頑張った自分にご褒美とばかりに、友達と誘いあってよく映画館に出かけた。
 その時に見た映画の中で特に印象に残っているわけではないのに、三月になると思いだす映画のタイトルがある。そのものズバリ!の「三月生まれ」。この三月に生まれた者は、気候と同じく気まぐれな子が多いという、おしゃれな女の子の物語だったと思う。
 ほんとうだわ!お天気は気まぐれ!暖かくなったり冷たくなったり、穏やかな日があると思うと急に突風が吹き荒れたり…どうもお天気は気まぐれで通しているようだ。

 これは3月の中旬。遠く高い木に白い花をつけて、あれは何だろうというほどに遠くでさわさわと風に吹かれていた。
      
 一応暖かなある日、遠景で見ると、春よ、春なのよ…と言っているみたいに感じた。

 そしてある青春の1ページの…千葉大文理学部の跡地が、今では市民の憩う公園になっている。あぁ、やはりなんだか遠くを見ているような私の心象風景が、いつの間にか浮かんでいる。歳を取った証拠かなぁ…と、ひとり憂うる気分となった。
  
 お彼岸になる。そうだ!お墓参りに行こう、とやって来たその当日は実にポカポカ良い陽気だった。墓前の枯れた花も、花差しに残っていたので、清めたいと古くなったものを取り除いてみると、なんと蛙!ガマガエルの子供みたいなのだ。お参りにきていた人に、「どうしましょう…!?」と、声をかけてしまった。「いいのよ、ここではやさしい気持ちが勝ってしまい、生き物を追い出すなんて出来ないでしょうけれど、いいのよ…」。
 さすが手を出したくはなかったが、お供えする花を飾りたいので、そっと土の上に乗せて水から出してしまったが、「生きカエルとも言うしね…」と、独り言のように呟いたら、「上手い!そうだよ!」と、蛙を見ていたもうお一方が同意のように応えられたので、安心した。
 
 近くの桜の古木を見上げると、まだまだ硬いつぼみをつけて立ちすくんでいるようす。
  
 母のお昼の食事介助もあるので、私としては早くに家を出発したので、目標の11時40分には、帰りついていた。いつも私の顔を見て安心していたい母が待っている老健施設に着いた。
 帰り道を急ぐその途中に見た土筆。去年もここで、すっかり顔を揃えて明るい日差しのなかでスックと立っている土筆を見たっけ! 高速道路の側道でなかったら、そして時間が気にならなかったら、車から降りて摘んでいたと思う。これもほろ苦い春の味だもの。卵とじにして食べると本当においしい。ここは犬の散歩のエリアでは無いし、きれいな場所なので摘みたいのに…惜しい!!