大國魂神社の鳥小屋が完成しました。
先月12月20日に骨組みを完成。
今日はここから鳥小屋を建て始め完成させました。
前回刈りましたかやを貼り付けていきます。
かやを抑える竹をわっていきます。
上からもかやを下げます。
4メートルの高さがありますので大変な作業です。
遠くに甲塚が見えます。
いよいよ竹でかやを抑えていきます。
入口も出来上がり
ほぼ完成。
ボンデンを立てると完成です。
周りに飾りつけを。
神棚・囲炉裏も作りますし
自在鍵も吊るし鍋を作ります。
自在鍵は100年以上使われているものです。
禰宜さんによります「火入れ式」を行ってから
炉に火を付けます。
しし鍋が出来上がりそうですね。
昨日
早朝は雨もようでしたが、
天気予報通り、雨も降らず
2日がかりの「大國魂神社の鳥小屋」が完成しました。
いのししも今回で7年目の参加となりました。
これも健康で居られたからだと感謝しながら、
参加してきました。
昨日造り
明日8日夜、7時ごろ
「どんと焼き」でお焚きに。
二日間のみ見ることができる
ある意味
本当に贅沢な建物と言えるでしょう。
「どんと焼き」でお焚きを浴びますと
風邪をひかないという
無病息災と言い伝えられてきましたので、
大國魂神社に参拝しながら
参加されてはいかがでしょうか。
鳥小屋造りは
私達が現代文に訳しました
今から217年前のいわきの農民・長谷川安道著
「寛政十一年農家年中行事」にも記述(P10・下に載せてみました)がある
ずいぶん長い間続けられてきた行事です。
寛政十一年 農家年中行事から
一.十四日には、
小歳といって、
餅をつき諸神は言うに及ばず
鍬・鎌・斧・臼(うす)・摺(する)臼(す)・土摺(どする)臼(す)
・碓(からうす)・磨(いしうす)、
打(うち)杵(きね)・手(て)杵(きね)
・唐萁(とうみ)・ふるい・机・鑑・脇差・破魔弓・矢・羽子板・
囲炉裏(いろり)の鎰(かぎ)・扉・障子・襖(ふすま)にいたるまで、
餅を供える。
木まじない、野地焼き、鳥追は子供の行事である。
※「鳥追い」:
「歳時民俗記」には、
「鳥遂ニハ男子ハ手々ニノトキぼんでんヲ振立て女子ハ羽子板ニ四手ヲ持添へ、
「ほういほういの鳥をば、かしら折って、しほつけてさんどがしまえほういほうい」
とみえる。
これは「作毛ニ鳥ノツカザル除外ナリト」ある。
昭和20年代まで盛んだった「鳥小屋」がこれであろう。
鳥小屋と田楽(でんらく)・・・内郷郷土史 下巻 P679より
旧正月十四日各ごとに、田や畑の一部に竹や樫の木などで、
八畳から十畳ぐらいの小屋を立て、
十五歳以下の者が小屋長となり全てを司った。
夜になり小屋の中央に神を祭り、
田楽・お神酒を供え、の人々の参詣を待つ。
村人は七小屋詣りと言って七つの鳥小屋を詣で、
お賽銭を上げ、お神酒や田楽の御馳走を受けたりする。
こうして夜を明かして、
夜明けとなり、
正月飾りや古い神社のおふだなどを焼却する。
この時、
神棚の持ちを人知れず焼いて食すれば「力持ち」となると言われた。
・・・
さらに七小屋を廻ってお詣りをすれば、
この一年間風邪をひかないという言い伝えがある。
無病息災・家内安全を祈願する行事で
いわき地方各地で行われた。
と書かれています。
田楽(でんらく)とは:
鳥小屋で食べる、こんにゃくに味噌をつけたもの。
石城北神谷誌
高木誠一著
P95~98にかけて
明治から大正期時代の鳥小屋について詳しく書かれています。
正月も十二、三日ごろになるといずれの作でも
七、八才より十三、四頃までの子供たち等が
一戸から藁二束」くらいづつ、竹藪のある家からは大小の竹を
取り交ぜて、十本位づつ貰ひ集める。
作中の者総出て、この鳥小屋をかける。
このように
いわきの鳥小屋は
昔からいわき各地で行われてきた子供たちの行事です。
大國魂神社・鳥小屋造りに参加して、
今年も元気で
一年
頑張りたいです!!