商店街(麻布十番)
とまりぎ
都営大江戸線の開通によって、しごく便利になったところのひとつが麻布十番だ。過去においても気にいった場所であったから、バスで行った記憶があるし、また、六本木から坂を下って歩いたこともあった。さらに昔は都電が通っていて“一の橋”の記憶がある。
広尾から麻布十番にかけての高台には大使館が多く、普通は用事のある場所ではないから、あまり足を踏み入れない。だが、広尾側から入ると有栖川公園があり、公園内を上がって上の出口から出ると、麻布十番側へ下るところの仙台坂上が近い。寺も多い。
地下鉄の駅近くから六本木へ商店街が続いている。商店街の真中の車道は、六本木方面への一方通行になっている。途中、芝公園から青山墓地の方へトンネルで抜ける太い道ができて、それにぶつかる。越えると六本木に近づくので、麻布十番商店街はこの交差地点までだ。
麻布十番は、弘法大師の開創によるとされる“善福寺”の門前町として発展してきた。現在は浄土真宗に改宗しているそうである。この門前に江戸時代後半、多くの商店が創業され、現在も老舗として商いを続けている店が多い。
さて、その麻布十番における有名店には豆菓子の豆源(まめげん)、白い“御前そば”と市販されていた缶入りの“蕎麦つゆ”で知られている永坂更科。もうひとつがタイヤキの店だ。ここがあの“およげたいやきくん”のモデルとなったそうだが、たしかにテレビの絵で見る店の親父さんの顔は、実物と雰囲気がよく似ている。そのタイヤキだが、いわゆるシッポまで“あん”が入ったというやつだ。人形町甘酒横丁の店と甲乙つけがたい。両店とも客が行列していて、その人気は衰えない。
商店街の中ほどには麻布十番温泉があったが、入ったことがないうちになくなってしまった。しゃれた感じのスーパーマーケットもある。大使館が近いこともあってか、いろいろな人種が日常の買い物をしている。
この近くに巨大な六本木ヒルズが出現してから、出入りのひとたちの一部は麻布十番へ流れる。新しい町と古さを残した町の対比を感じているに相違ない。
昭和34年の春、天現寺橋停留所近く、渋谷川の縁に建つ町工場にいた。近くの有栖川公園は今も同じ雰囲気だ。通りを越えると広尾の商店街。“祥雲寺”が奥にあって門前町の面影がある。
広尾が有名になる以前は、訪れる人は少なく、夕陽が町を歩くまばらな人の影を長く作っていた。それを見ていたのは、ほんの一瞬であったのだが、一枚の記憶の絵として残った。町工場での仕事はおよそ半年、怪我をしてながくは続かなかった。麻布十番から広尾へ歩いて、その町工場の場所へ行ってみるが、ない。そこにはもう無くなっていた。古ぼけたかすかな記憶の断片だけを残して。
とまりぎ
都営大江戸線の開通によって、しごく便利になったところのひとつが麻布十番だ。過去においても気にいった場所であったから、バスで行った記憶があるし、また、六本木から坂を下って歩いたこともあった。さらに昔は都電が通っていて“一の橋”の記憶がある。
広尾から麻布十番にかけての高台には大使館が多く、普通は用事のある場所ではないから、あまり足を踏み入れない。だが、広尾側から入ると有栖川公園があり、公園内を上がって上の出口から出ると、麻布十番側へ下るところの仙台坂上が近い。寺も多い。
地下鉄の駅近くから六本木へ商店街が続いている。商店街の真中の車道は、六本木方面への一方通行になっている。途中、芝公園から青山墓地の方へトンネルで抜ける太い道ができて、それにぶつかる。越えると六本木に近づくので、麻布十番商店街はこの交差地点までだ。
麻布十番は、弘法大師の開創によるとされる“善福寺”の門前町として発展してきた。現在は浄土真宗に改宗しているそうである。この門前に江戸時代後半、多くの商店が創業され、現在も老舗として商いを続けている店が多い。
さて、その麻布十番における有名店には豆菓子の豆源(まめげん)、白い“御前そば”と市販されていた缶入りの“蕎麦つゆ”で知られている永坂更科。もうひとつがタイヤキの店だ。ここがあの“およげたいやきくん”のモデルとなったそうだが、たしかにテレビの絵で見る店の親父さんの顔は、実物と雰囲気がよく似ている。そのタイヤキだが、いわゆるシッポまで“あん”が入ったというやつだ。人形町甘酒横丁の店と甲乙つけがたい。両店とも客が行列していて、その人気は衰えない。
商店街の中ほどには麻布十番温泉があったが、入ったことがないうちになくなってしまった。しゃれた感じのスーパーマーケットもある。大使館が近いこともあってか、いろいろな人種が日常の買い物をしている。
この近くに巨大な六本木ヒルズが出現してから、出入りのひとたちの一部は麻布十番へ流れる。新しい町と古さを残した町の対比を感じているに相違ない。
昭和34年の春、天現寺橋停留所近く、渋谷川の縁に建つ町工場にいた。近くの有栖川公園は今も同じ雰囲気だ。通りを越えると広尾の商店街。“祥雲寺”が奥にあって門前町の面影がある。
広尾が有名になる以前は、訪れる人は少なく、夕陽が町を歩くまばらな人の影を長く作っていた。それを見ていたのは、ほんの一瞬であったのだが、一枚の記憶の絵として残った。町工場での仕事はおよそ半年、怪我をしてながくは続かなかった。麻布十番から広尾へ歩いて、その町工場の場所へ行ってみるが、ない。そこにはもう無くなっていた。古ぼけたかすかな記憶の断片だけを残して。