杉並郷土博物館
とまりぎ
井の頭線永福町駅の北、善福寺川近くに杉並区の郷土博物館がある。
奥へ抜けると民家があって、中を見ることができる。
屋根は本来藁葺だったのだろうが、手入れが大変でその上から金属製の薄板をかぶせている。
そのため、毎日火を入れる必要がなく、囲炉裏はあるが見せるためだけの時間を決めているようだ。囲炉裏に火がないのはちょっと寂しい。
江戸時代の杉並区南の甲州街道あたりを縮尺模型で展示している。現在の上高井戸と下高井戸の地名あたりだ。
表示によると、医王寺がこれだ。ちょっと埃っぽい雰囲気だがよくできている。
お目玉池が手前に見える。
医王寺に行ったときに書かれた説明には、現在地よりも南にあったようだが、確かにそのような位置だ。
甲州街道に近い。
高井戸という地名は、地下水が地表近くにあることからつけられた。
今でもこのあたりの農家では、地下をちょっと掘ると水が出て来るそうだ。
現在では見つからなくなった「おめだま池」があったということは、そんな土地柄だったのだろう。
もうひとつ、親子連れの人たちが見ていて、ここに墓があると言って寺が長禅寺であることを説明文から読み取っていた。
甲州街道との位置関係は今と同じだ。
現在、墓のすぐ南には京王線が通っている。
深川江戸資料館
とまりぎ
都営地下鉄大江戸線の清澄白河駅で降りる。
地下通路に「深川江戸資料館」の案内が出ている。
5分ほどで、資料館の前まで来る。
江東区役所の白河出張所と同じ建物にある。
資料館の受付では、大人個人300円を払って中へ。
地下にある常設展示室は、江戸時代末(天保年間)の深川佐賀町の街並みを実物大で再現している。
大きく目につくのは、火の見櫓だ。
手前の長屋の屋根に猫がいる。
作り物だが、少し動くようになっていて、鳴声を時々館内に響かせている。
奥の方に卵もある八百屋「八百新」と店の前に米を広げた米屋「上総屋」。
二軒の間の路地。
船宿の相模屋と升田屋。
舟は猪牙舟(ちょきぶね)。
疲れたら休める。
江戸の雰囲気を楽しめるところは少ない。貴重な施設のひとつだ。
和田堀池
とまりぎ
善福寺池から流れ出る善福寺川は、杉並区の大宮八幡近くを流れている。
このあたり一帯を和田堀公園というのだそうだが、その真ん中あたりに和田堀池がある。
南北に100m、東西に50m程度の大きさだが、島が二つあって人間は入れないから、そこは野鳥たちの楽園になっている。
カワセミもここにはいるようだ。それをカメラで構える人たちが多い。
池の真ん中あたりには噴水がある。
鴨が泳いでいる。
亀もいる。
池の周囲を遊歩道がとりまいていて、そこへ猫が来た。
毛並みを見ると飼い猫のようだから、園内の釣堀で飼っているのかもしれない。
公園から川の向こう側を見ると、大きな檻の中にカラスが数羽入っている。
増えすぎたカラスの捕獲実験をやっているようだ。
その近くに数羽のカラスが檻を見ている。賢いようだから、入って行かないかもしれない。
中野
とまりぎ
中野駅の北側へ真っ直ぐ続く中野サンモール商店街、その先にある建物が中野ブロードウェイで、紹介文を引用させてもらう。
[サンモールは賑わいのあるアーケードの付いた商店街で色々な店が並んでいるが,徐々に奥に進むに従って新種文化の伏線が感じられるようになる.そして最頂点を極めるのが中野ブロードウェイの2階より上階のフロアーに広がる「オタクワールド」である.何故ここに!?という感じだが,都心よりちょっと離れることによって,緊張感の解けた安らぎが得られるのかも知れないが,賃料が安くて都心に近いといったことも実情としてはあるような気がする.男性も女性もレアなものを探しに足を運んでいる.この世界(?)を知らない人間でさえ,ディスプレイを見ているだけでも楽しい異空間(!?)である.]
サンモールの店は入れ替わりが頻繁な気がする。
最近では、チェーン店が進出してきている。
中野には中野サンプラザがあって、催し物があるから人が集る。
この西の先に、元陸軍中野学校があったようだ。
その後警察大学校として使われていたがそれもなくなり、どう開発されていくか見ものだ。
叔父がこの警察学校卒業から交番勤務になって、しばらくしたら退官した。
何かあったのだろうが古いことなので、闇の中だ。
あきば
とまりぎ
電気街として知られる秋葉原へ行く。最近ではAKBが有名になって、アキバで十分に通じる。
人形町でお菓子の店を出していたおばさんが、秋葉原(あきはばら)のことを「あきばはら」略して「あきば」と言っていたことを思い出した。
あるいは秋葉神社の「秋葉」を呼んでいたのかもしれない。
新御徒町の佐竹商店街近くにも秋葉神社はある。
東側の昭和通り口は古くは電気街ではなかったのだが、西側がいっぱいになってこちら側へも進出してきている。
改札口のすぐ脇に入口のあるヨドバシカメラの存在は大きい。
ヨドバシカメラの前を抜けると道路があって、向い側には「つくばエクスプレス」の地下駅への入口が見える。
JR中央改札口の前を通り抜ける。
西口へ行くには東西自由通路を通る。これが意外に長く狭いので、混んでいる。
電気街口の改札の先には、並んでアトレがある。
秋葉原デパートだったところだ。
アトレの先に部品市場の看板があって、このあたりの通路には部品屋さんがあったのだが。
特に、真空管をいつまでも並べていた店があったのだが、なくなってしまった。
この一角を抜けて大通りを渡ると、ラジオデパートが見える。
そうか、60年にもなるのか。逆算すると戦後色の強い昭和26年だ。
このラジオデパートの中に、ようやく真空管を見つけた。
まだ残ってくれていたんだ。
真空管が残っていたことで思い出したのが、この近くで取扱商品に真空管も入っていた反面教師の先生が勤務していたことだ。
時々思い出すことはあったのだが、「とまりぎ」の伊豆旅行のときに酒豪氏から亡くなられたことを聞いた。
特別に話をしようと思っていたわけではなかったが、記憶の断片から抜けるような感覚だ。
鳥居原ふれあいの館
とまりぎ
丹沢の北西側に宮ヶ瀬ダムができて以来、宮ヶ瀬湖の周りが観光名所になった。
むかしは宮ヶ瀬ダムのあるあたりは中津川渓谷の流れがあって、大勢でBBQをやっていたものだった。今は湖の下だ。
湖の北側に津久井町の鳥居原ふれあいの館(いえ)ができて、湖の周辺観光場所が多くなった。
やまぼうしがピンクの色をつけている。
湖に架かる橋。虹の大橋もよく見える。
雨上がりで、観光客が少ない日に湖の向こう側に見える丹沢の山々をみる。
丹沢で思い出すのは4人で表尾根から登って、ユーシン沢の下でテント一泊、翌日沢を上って桧洞丸を越え犬越路から中川温泉へ下ったことがあった。
桧洞丸のことをボラと呼んで、よく登った。
中央線藤野駅から東野までバスがあって、便利だったことも行きやすかったのかもしれない。このあたりのバス路線は縮小して、登山客には不便になった。
あるときは犬越路から大室山の草原のような山頂へ出て、道志川へ降りたものだった。
今はもうそんな体力はなくなって、仲間との昔話にたまに出てくるだけだ。