新洋亭のソースカツ丼と女将さんの上信電鉄「おてがみ電車」は、製糸場へ来る人が多くなれば、それだけ知られることになる。街の発展を期待している。
横浜中華街で昼食
とまりぎ
キリンビール工場から30分ほどで、バスは中華街入口へ着く。
みなとみらい線本町・中華街駅側から中華街へ、歩いて入る。
横浜大世界のビルが近い。
目指す店は招福門だ。飲茶で食べ放題とのことだが、追加注文はだいこん餅ぐらいにしておいた。待ち時間が長いからだ。実は一週間後のとまりぎ会で会う幹事へ渡そうと思っている中国製の寿老人を探す時間が必要だったから、早々に外へ出る。
中華街大通りの店の二階にそれらしき焼き物の像をさがして、聴いてみると坊さんとのことだった。昔の寿老人や福禄寿はすでに販売を止めてしまったようだ。それではこの坊さんにしようと、買って店を出た。
関帝廟の前を通る。
招福門方面へ、中華街の中心地を一周してきた。
山下町公園へ入り、媽祖廟を裏側から見る。けっこう凝った造りだ。
平日の中華街が、意外に人通りが多い。
ここから、またバスで次の目的地「森永工場」へ行ったが、撮影禁止だった。1899年(明治32年)設立という、日本で最も歴史のある洋菓子製造会社であることだけ記しておく。
キリンビール⇒中華街⇒森永製菓という順番になったが、ビールのあとの昼食が旨かったからこれで良かった。キリンと森永が逆になっていたら、昼食後のビールになって味わえなかったかもしれないからだ。
麒麟ビール工場
とまりぎ
工場見学会で、午前中に鶴見のキリンビール横浜工場へ行く。交通事情が良く、予定より早く着いたので見学開始時間を早くしてくれるという対応をしてくれた。原料になるホップと麦がサンプルとして触ることができる。
仕込釜が並んだ部屋。清潔な雰囲気がある。
最近のビール瓶は605gから475gへ減量している。強度を保つためセラミックコーティングしていて、ちょっと光ったような感じだ。
試飲できる部屋は、この左にある。
ひとり大きめのカップで三杯以内。一番搾りと黒ビールのスタウトとツマミを少々。一番搾りの人気が高い。
鶴見という工場地帯にあって、庭をこれだけ手入れしている。
日本のビールでは最も古くからで、1888年(明治21年)にキリンビールを発売している。
群馬県の川原湯温泉。その後八ッ場ダムは工事続行が決まって、温泉の人たちの次の目標ができたことは喜ばしい。
有楽町から銀座を抜ける
とまりぎ
東京駅がきれいになったが、有楽町駅は全く変らない。変ったのは駅周辺だ。ふたつのデパートがあったビルが変ったが、通り抜ける人の流れは変わりがない。
となりには、朝日新聞とも書かれたビルが並んでいる。この地下へ入る。成城石井が店を出している。
有楽町駅のところを、新幹線が通る。このあたりには昼食を安く提供してくれる店が雑然として多かったはずだが、きれいになっていくにつれてそれがなくなっていく。
土佐の高知のアンテナショップへ入る。となりが沖縄だ。
さらに銀座通り方面へ歩く途中に山形県がある。鷹山公の教えが今も生きている。
ウコギも売っていた。食べたことがないので買わずに出たが、どんな味かちょっと気になるところだ。
その先に「がんこ」銀座一丁目店の看板があったので、昼食に入る。相変わらずいい味だ。
昭和通りまで出る。銀杏並木はまだ緑が濃い。
八丁堀まで歩く。酒豪氏が昔このあたりに勤めていたが・・・・・
世田谷市場まつり
とまりぎ
環八沿いの砧公園隣に、世田谷の市場がある。普段は関係者の車や人が出入りしていて、中へ入ることはなかった。その市場内へ、なにやら大勢の人が入っていく流れに従って中へ入った。「世田谷市場まつり」をやるらしい。
すでに大勢の人が整然と並んで10時の開店を待っている。この雰囲気がさすが日本だと思わせる。
会場は外から見るだけではわからない大きさと構造になっている。大きな円形の会場は野菜だけでなく、衣料品、靴、日用雑貨品まで並べている。
中心になる野菜は、大量に積み上げられている。たしかに、入場者が多いからすぐになくなってしまうかもしれない。
それまで沈黙していたのだが、開店の10時とともに太鼓が勢いよくなりはじめた。
偶然通りがかって、入場のときにカテキン茶をもらって、なんだかトクをした気分になったのはいうまでもない。