飯田橋から日本橋
とまりぎ
JR中央線の飯田橋西口を出ると、法政大学の高いビルが見える。ここから日本橋、さらに東京駅まで歩く。
結婚願望を叶えるとのうわさで、若い女性が多い。
通りを越えて、中へ入る。
場所が通りから奥まっているので、客は少ない。
神田駅に近づくと、学生街らしく自販機には50円のものが。高くても100円まで。 日本銀行
この自由さがいいな。
東京駅まで歩いて帰る。
飯田橋から日本橋
とまりぎ
JR中央線の飯田橋西口を出ると、法政大学の高いビルが見える。ここから日本橋、さらに東京駅まで歩く。
長崎屋の本店が見える。そのほか西友があり、駅ビル内には商店街があり、JR線路脇には安売りのABSがある。周辺には食事どころやいっぱい飲み屋が点在する。
三線が入っているためか、客は多い。
線路の幅が狭いJRと広い京成、そこへ後から入ってきた都営地下鉄新宿線は中間的な幅のため、この三つは相互乗り入れができない。都営地下鉄新宿線は京王線との相互乗り入れから延長したためだ。
京成線は都営浅草線に乗り入れ、さらに京浜急行線とつながっている。そのため、成田から羽田まで一本で空港間を移動するのには便利だ。
今回の楽しみは、中のカントリーマムでの昼食。
看板には”鄙の里”とある。
阿弥陀仏
東京の柴又でベテラン職人が飴きりを実演販売しているアメはもっと堅く丸いが、ここは板状になっている。似たような製造工程だと思った。
そこから数百メートルほど馬車に乗って別の店へ連れられ、民族音楽と思われる演奏と歌を聴きながら出されたパイナップル、キンカン、竜眼、マンゴーなどの果物を食べる。
馬車の前を自転車に乗った女学生が行く。
ベトナムはタイとおなじくアジアの仏教国だから、日本人には感覚が近いかもしれない。機会があればまた行ってみたい国のひとつだ。
(企業と国の関係機関訪問については省略した、ベトナムについてはひとまず終える)
ベトナム7
とまりぎ
いよいよベトナム戦争に関係してくる。旧南ベトナムの大統領官邸だった建物。ベトナム戦争では極秘の軍事施設として使われた。現在は一般公開され、統一会堂といわれている。
フランス植民地だった時代にノロドム宮殿として建設されたが、フランスの撤退により、ゴーディンジェムはドクラップ(独立)宮殿と改名した。
ベトナム戦争の終結は、
1975年4月30日解放軍の戦車が正門から入り、同年11月ここで国家統一政治大会議が行われた。ドクラップ宮殿はトンニャット(統一)会堂となった。
ベトナム6
とまりぎ
昼食にフォーが選ばれた。”フォー24”という全国チェーンの店は地元の人たちにも人気があるらしい。
東京でも大崎明電舎ビル1階で、フォーのある店に入ったことがあったので、そう大きく変わったところはなかったが、別に出てくる香草の種類が多い。
東京では”もやし”が多かったが、コリアンダー(パクチー)、ノコギリアンダー、リモノフィラ、バジルなどが皿にのっているので、味を見て結局全部食べてしまった。
店に入る時から気になっていたのは、道の端にある電柱に、日本では見たことがないほど電線が多い。これはものすごく目障りだ。 町の風景のいくつかを撮影した。 単線の電車が踏み切りを越えるときを期待していたのだが、出会わなかった。
バイクが多いことも半端な数ではない。マスクをしていると月光仮面か仮面ライダーの集団のようだ。 比較的排気量は少ないが、さすがに白バイは750ccを使っていた。
30秒ぐらいしか青信号が続かないから、子供には横断できない。ということは小学校の通学はひとりではできない。行き帰りを親が毎日バイクで連れて行く。
アルコールもある。
市場の中は通路が狭く、来る人を避けながら歩くのは疲れる。
暑いので外へ出たら子供が絵葉書を売っているのに会った。
日本人だと見ると、日本語で話しかけてくる。カタコトではあるが。
沖縄の国際通りにある市場も、大阪の黒門市場も、京都の錦通りも、東京のアメ横もそのほかにも札幌などの都市にある市場は似たようなものかもしれない。
ホーチミンにはスーパーマーケットがまだない。コンビニはサークルKがあるのは確認した。これからいくつかのコンビニが進出することになっているようだ。
「これが象の耳だ。」と言われ、これでそれぞれ一匹まるごとだから、ちょっと小さくなっちまったかな。
”333”ビールも旨いが、”象の耳”は白身であっさりとした中に味があり
なかなか旨い。淡水魚だとは思えないくらい骨が硬い。
象の耳とは結びつかないのだが。尾びれの動きが似ているのかな。
その後も市内での食事に出てくる魚介類は多く、海に面しているから、海老の輸出量は大きいようだし、日本人には馴染の帆立貝、はまぐり、しじみなども出てきた。
日本人には抵抗がないどころか旨い旨いの連続だった。
醤油と良く似た味のヌクマム(ニョクマム)がいいのかもしれない。大豆でなく魚で造った魚醤で、日本にも”しょっつる”があることを思い出した。タイにはナンプラーがある。
チャングエンハン像
チャンフンダオ:元寇を撃退した英雄。サイゴン川を向いている。
チャングエンハン:中国の明を撃退した将軍。ベンタイン市場の前にある。
ここで、ベトナムがどのようになっているのかを、もらった資料からのデータで示すと次のようになる。
ベトナム概要
国名 ベトナム社会主義共和国(共産党一党独裁)
人口 約8,616万人(2008年推定)
宗教 大乗仏教(80%)、カトリックなど
行政 58省と5直轄市(ハノイ、ホーチミン、ハイフォン、ダナン、カントー)
識字率 アセアンで2番目に高い(教育熱心だ)
ベトナム略史
紀元前~ 北属(中国支配)と独立闘争の時代
1010年 ハノイ建都(李朝)
1225年 陳朝
1258年 元寇襲来(3回)1288年まで
1414年 明の支配
1428年 後黎朝(ベトナムの南北を統一)
1788年 阮朝(フエを首都に)
1858年 フランスの植民地化開始
1941年 日本軍進駐
1945年 ホーチミン独立宣言(南北分裂)
1946年 インドシナ戦争
1965年 ベトナム戦争(アメリカ軍による北爆)
1975年 サイゴン陥落(ベトナム戦争終結)サイゴンをホーチミン市に名前を変える。
その後、カンボジア侵攻、中越戦争、ドイモイ(刷新)政策開始、カンボジアから撤退などを経て現在に至る。
中国、フランス支配と、ベトナム戦争での米軍というたびたびの混乱を続けた歴史がある。
地理的には北から、中国、ラオス、カンボジアと接していて、東は南シナ海に面している。
ホーチミン市の人口635万人は全国で最大。
タイと比較されるが、経済力ではおおよそタイの半分程度とのこと。
ベトナム2
とまりぎ
案内の人は日本の大学を卒業した若い主婦で、初日にマイクロバスが連れて行ってくれたのが、ホーチミンから70kmほどのメコン河デルタ地帯のミトー。
地図で見るとメコンデルタは広大で、一辺が50kmはある。
ミトーはメコン河が大きく分流したその東の端で、海までは40kmほどある。
全長4000kmある上流からの水は、土色で魚がいるようだが何も見えない。
この支流のミトーには大きな島が4つあり、そのうちのひとつへ船で渡る。
島にはそれぞれ数千人の人たちが住んでいて、晴天で11月というのに日差しは日本の真夏と同じで30度以上になる。
島の中は、かなりむし暑い。
帽子のない人は売っている帽子を買って被る。
さらにほかの島の間を船は抜けて対岸へ上陸する。
支流の幅でも約2kmほどあるのだが、そこは広いデルタ地帯のまだ端の方だ。メコンデルタの大きさは想像をはるかに越えていた。
上り下りの船の合間を縫うように横断するのは、それなりの規則に従っているのだろうが、中には明らかに違った動きをする船もあるから、緊張感がある。
深いところでは水深15mほどあるそうで、けっこう大きな船が行く。
アオザイを着た女性の絵画
ベトナム1(アオザイ)
とまりぎ
到着したのは、南ベトナムにあるホーチミンのタンソン・ニャット国際空港。2007年に日本の援助で開港したまだ新しい空港で、出迎えの人たちが出口にいっぱい待っていて、人口の多いところだと直感する。
一行15名は出迎えの人を探し、マイクロバスに乗り込む。20分ほどで市内サイゴン川すぐ近くのレジェンド・ホテルへ入る。日本料理の店も入っていて、日本人客が多いホテルだった。
日本との時差2時間が微妙に睡眠時間を減らし、睡眠不足ながら写真に撮れるところは社会主義国(といっても昔の中国ほどではない)の制限内で撮ってきたつもりだ。