今年は気がつかずに、時期を通り過ぎたかもしれない。
雰囲気がちがうなと思ったら、ご近所さんたちが店を出していたようだった。
町内会のお祭のようで、面白さがない。
今年も同じだったんだろうな。
今年は気がつかずに、時期を通り過ぎたかもしれない。
雰囲気がちがうなと思ったら、ご近所さんたちが店を出していたようだった。
町内会のお祭のようで、面白さがない。
今年も同じだったんだろうな。
9月30日の日経新聞によると、東京五輪へ向けて新しい交通構想が相次ぐ。
都心直結線:泉岳寺ー押上を地下路線で結び、羽田ー成田を直結
東京モノレール延伸:東京駅まで延長
JR東日本の羽田アクセス線:東京、新宿、新木場を発着駅とする3ルート
蒲蒲線:仮称、東急と京急の両蒲田駅をつなぐ
中央区が構想する地下鉄新線:築地から勝どき、晴海、豊洲、有明一帯を想定
そのほか、
ゆりかもめの延伸:豊洲から大江戸線勝どきを結ぶ
大江戸線の延伸:光が丘から大泉学園まで
多摩モノレールの延伸:上北台から箱根ヶ崎まで
小田急多摩線の延伸:唐木田からJR横浜線、JR相模線に接続
メトロセブン、エイトライナー:環七、環八の地下利用の環状線
横浜市営地下鉄の延伸:あざみ野と新百合丘を結ぶ
埼玉高速鉄道の延伸:浦和美園から岩槻まで
の構想だ。
同じ紙面で、六本木ー渋谷間で2013年12月から始めた終夜バスの試験運行を10月末で終えるそうだ。
計画はいくつも出てきたが、実るのはどれだろうか。
9月20日に87回蘆花忌が行われ、そのとき頂いた資料によると、蘆花は明治元年より昭和2年までの生涯で、
熊本県水俣市に生れ、明治11年京都同志社英学校入学、明治30年逗子の柳屋へ転居、明治33年原宿に転居、
明治40年千歳村粕谷に転居、昭和2年病気療養のため伊香保に転地。
そのため水俣、逗子、伊香保にも資料館がある。
中央高速道路の近くでもあるため、高速道路の下の道を通ると、この神社へ寄ることが多くなる。
神社は比較的平らな高台にある。
低地へ降りるとまた上り道になるため、できるだけ高いところを通る。
昔からの街道は高台を通ることが多い。
それで自転車で移動していると、いつも同じようなところを通ることになるようだ。
清洲橋
とまりぎ
下町人形町から箱崎T-CATへ行く。
利用客が減ったのか、昼近くでも人がまばらだ。
二階にすし屋と蕎麦屋がある。
蕎麦の砂場へ入る。
ランチメニューに蕎麦と小丼のセットがいくつかある。
鳥天丼と蕎麦のセットが770円という低価格で、これが砂場かと驚いた。
量が多いから満腹になり、ほかの雑貨店もまわって外へ出る。
隅田川へ出ると、清洲橋だ。
姿のいい橋だから、記憶に残っている。
橋から北にはスカイツリー、南には佃島のマンション群が並ぶ。
さらに橋を越えて江東区へ入ると、清澄庭園。
池の奥に、涼亭が見える。
足元には亀。
奥の富士山の麓から、入口の大正記念館。
清澄庭園は、東京都指定名勝のひとつだ。
いつも人通りが多い、楽しい街だ。
ハモニカ横丁を通り抜けることはあるが、店へ入ることはなくなった。
遠慮しておこう。
代々木倶楽部へ行ったのは、ずっと昔のような気がしていた。
明治神宮へも入っていたのだ。
参宮橋に近い広場は、小学校の図工の時間に写生に来たところだった。
今ではドコモビルが正面に見える広場だ。
象は記憶力がいいそうだ。
観客の顔をどこまで覚えているのだろうか。
こちらが手を上げると、鼻を上げてこれに答えてくれる。
偶然だろうか。
長寿の花子がまだ健在なのだろうか。
確認していないが。
同じ時期に同じところへ行くもんなんだな。
今年は、蚕に気がつかなかった。
大勢の人がいたのは、その作業中だったのだろうか。
彼岸
とまりぎ
彼岸で茨城県まで行ってきた。
バスを降りると、いつもあるタクシーが一台もない。
同じところで降りた若い女性が携帯電話で、家族に車で来るように話している。
しばらくして、水道の検針員の女性がメーターを見ていく。
車が来た。
親父さんらしい。
若い女性が乗り込むと、車は出て行った。
ここまでは彼岸とは関係ない日常の風景だ。
ようやくタクシーが来る。
久しぶりの親戚の家へ着く。
ゆったりとした時間が過ぎる。
この雰囲気が彼岸だ。
丸の内側のビルが地下でつながり、五階程度まではレストランや店舗が入って、観光地の雰囲気になってきた。
観光客が休日のランチに入るのも、店にとっては効率がいい。
丸の内側を巡回するバスもあって、有楽町までも移動範囲になっている。