東京時間旅行ミニ荷風第18号
とまりぎ
東京都の交通100周年で6月には花電車が走るようだが、このミニ荷風18号では「都電1系統」跡を巡っている。
1系統は品川から北へ、上野までが出ている。
都電は荒川線しか残っていないが、昭和42年12月9日で消えていった系統を、これからの号で次々に紹介してくれそうだ。
表紙の写真は100年前の銀座4丁目交差点で、左には服部時計店の時計台がある。
永井荷風(壮吉)は東京についてよく書いている。
荷風随筆集(岩波文庫)日和下駄を見ると、電車通という書き方をしているから、都電(市電)にはよく乗ったに違いない。
1879年から1959年まで生き、都電の前の馬車鉄道から見てきたのだろう。
このミニ荷風は江戸から東京へ変わって以後、東京の変遷を知るいい資料だ。
表紙に
「東京の町を歩くこと、それは人生の追憶の道を辿ること。」とある。
立川
とまりぎ
いつも通過してしまう立川で降りる。
駅前にはデパートと駅ビルが視界をさえぎるほど林立している。
南北にモノレールが通って、多摩ニュータウンから多摩湖の手前まで通勤通学に便利になった。
以前からあったのかどうか、駅の並びに始めて見る「第一デパート」があった。
中には衣料品店や薬局などがあって、デパートらしさがない。
立川の北、モノレールの高松駅近くの国立災害医療センターへ入院中の人を見舞いに行く。
ここの医師は東北関東大震災で、被災地へ行っているそうだ。
8階の窓から西側の山々が見える。
立川から南武線で分倍河原には新田義貞の銅像が駅から見える。
この辺りは、小手指原とともに鎌倉時代末期の古戦場だった。