立ち食い蕎麦とは言うが、立ち食いうどんとは言わない。
やはり蕎麦屋なのだ。
だが、蕎麦とはいっても、蕎麦粉がどれだけ入っているのかわからない。
ちょっと黒めの麺が蕎麦らしさを感じさせてはいるが。
それでもやっぱり、うどんを頼むことはなく、いつも蕎麦だ。
立ち食い蕎麦とは言うが、立ち食いうどんとは言わない。
やはり蕎麦屋なのだ。
だが、蕎麦とはいっても、蕎麦粉がどれだけ入っているのかわからない。
ちょっと黒めの麺が蕎麦らしさを感じさせてはいるが。
それでもやっぱり、うどんを頼むことはなく、いつも蕎麦だ。
日本橋から約16kmなんだ。
甲州街道の先には高井戸があり、大宮八幡近くの杉並区郷土博物館には模型が置かれている。
現在の道路と比較すると、ほぼ場所が想像できる。といっても、環八は昭和になって何もないところへ造ったので、これは別だが。
秋葉原から御徒町、さらにアメ横というなつかしい道をあるいた。
おもしろいのは、駅の間にある新しい店だが、アメ横の変化も見のがせない。
商品が高級化している。価格だけの高級化ではないだろうな。
巣鴨
とまりぎ
明治通りの歩道橋を越えて、都電学習院下停留所へ行く。
三ノ輪橋方面の停留所には、すでに人が立っている。
電車が来るのは、まもなくだろう。
早稲田行きの電車が通り過ぎる。
三ノ輪橋行きが来た。これに乗る。
大塚で降りて、訪問先へ寄る。一時間ばかりの間だったが、外へ出ると夕方が迫っている。
都電で、さらに三ノ輪橋方向へ乗る。庚申塚で降りる。
暗くなりつつある、地蔵通り商店街を数分歩く。
ときわ食堂だ。日本酒でカキフライ。
なかなかいい味で、ポテトサラダのミニも追加して来た道を戻る。
途中の店で、粟大福をみやげにして都電に乗る。
夕暮れの都電がレールの音を響かせて走る。
この短いが、のんびりしたひと時が落ち着いていて、いい。
神田駅周辺は、変化が早い。
しばらく見ないでいると、景色が大きく変わっている。
だからおもしろいとも言えるのだ。
ちょっと見た感じでは、新橋の雰囲気とも似ている。
よく見ているうちに、だいふ違うことに気がつくのだが。
柚子の木があった。
羽根木公園の梅まつりのときに、金柑と書いてあったので、キンカンと思って植えていたら柚子だったという木だ。
木だけを見ると良く似ているから、植木屋さんも間違えることがあるようだ。
それも去年までのことだった。
今では柚子の木はなくなったから、柚子が実るのを見ることもなくなってしまった。
残念・・・
マッサン
とまりぎ
外苑中学の同期会で、新宿伊勢丹向いの会場へ行った。
集ったのがおよそ百人というから、会場の部屋には空きがないほどだった。
椅子席なので、決められた席から動けずにいた。
終了間近に小さな別室へいってみると、NHK朝ドラのマッサンの顔。
ニッカウヰスキー竹鶴の広告だ。
現在のニッカはアサヒビールの傘下で、それでもニッカのブランドは残っている。
ひげのニッカも美味い。
それにしても政孝の風貌に、リタがよくついてきたものだと感心する。
武蔵中原
とまりぎ
南武線の武蔵中原駅で降りる。
東急東横線武蔵小杉駅からは一駅だ。
駅の前に富士通の敷地が広がっている。
昔、グラモフォンというレコード会社へ何回か訪問したことがあるから、おおよその土地勘はある。
縁を通る感じで東側へ抜ける。
正面に寺が見える。真言宗と書いてあった。長福寺だ。
中へ入ってみる。
脇に小さなお堂がある。
古くからこの地にあったのだろう。
裏手方向へ遠回りすると、小川がある。鯉と鴨が橋の下に来た。
訪問した会社の屋上から富士通を見る。
駅前で見えた、正面の大きなビルの後ろは、新しくビル建設になるのか、更地になっていた。
電車に乗っていてほんのわずかの時間だが、その光景を見るこができる。
今年も名古屋の手前まで行ってきた。
この手前が意外に遠いのだ。
途中で止まる「ひかり」の時間を確認しておかないと、待ち時間が大きくなる。
名古屋、大阪へ行く場合には、大変便利なのだが。
時間の経つのは早いもので、うまい鰻から一年になる。
車で連れていかれたから、どこをどう通ったかわからないままだ。
蒸さない鰻のわりには、比較的あっさりしている。
もう一度行ってみたいと思っている。
家康ゆかりの地がこんなところにあったのか、という思いだ。
家康の手形があって、自分と良く似ている。
世が世ならば、どうにかなっていたのかもしれない。
そう思うと、家康がずっと身近になってくる。