新年会
とまりぎ
4人は雑司ヶ谷霊園MAPを見ながら、小栗忠順(ただまさ・上野介)、永井荷風、小泉八雲、羽仁もと子、泉鏡花などの墓へ行ってきたようだ。合流して荻野吟子、尾上梅幸、市村羽左ェ門、夏目漱石を見たが、通りがかりの地元の人が案内図がもう一枚あるからそれを見たほうがいいと言ってくれた。
管理事務所まで行ったところたしかに案内図が置いてあって、有名人の名前と場所が出ている。このまま続けると暗くなっても廻りきれないことに気づき、4人はまだ行っていない吉祥天へ行くという。
それでは既に行ってきたこちらのふたりは、都電雑司ヶ谷で待つことにした。何か近くにあるかとあたりを探したが、都電の近くには何も無い。要らなくなった家具の木を燃やしている店があったので、当らせてもらう。初春の陽が傾き寒くなってきたので、火はありがたい。
ようやく4人が戻ってきたので、都電で王子を目指す。店はむかしに入ったことのある大衆割烹「半平」。割烹だから開店の午前11時から夜11時の閉店まで、いつでもアルコールを頼めるというたいへんありがたい店だ。6人という人数を告げると、ちょっとの時間に準備してくれたのが入口からは見えない奥の方の席へ通された。
乾杯のビールの後王子名物たまごやきを頼んで、やきとり、蒟蒻でんがく、牡蠣鍋とぞうすいなど、歩いたあとだからことのほか美味い。日本酒組約3名はその後ずっと日本酒だった。いつも会うことが少ないから、こんな会があるとつい酒量が多くなるのだろう。
万歩計を持っていた人たちのおよその数字は、一万歩をちょっと越えたくらいだったからそう多くはない歩きだった。
後で霊園案内図を見てみるとほかにも有名な人がずいぶん多い。愛知揆一、江戸家猫八、大川橋蔵、大町桂月、尾上菊五郎、川口松太郎・浩、金田一京助、窪田空穂、サトウハチロー、島村抱月、竹久夢二、千葉定吉・重太郎、東郷青児、東條英機、ジョン万次郎、久松保夫、古川ロッパなどまだまだある。
ジョン万次郎(中濱万次郎)が明治31年72歳で亡くなっている。アメリカ文化紹介者と説明されているが、実際は江戸から明治への変革期に大いに貢献したことだろう。永井荷風が亡くなったのは昭和34年ということは、昭和33年に東京タワーができた後だから、登ることはなかったろうが見ていたに違いない。
墓地がこうして残る。都内には新しい墓地をつくる土地がないから、どんどん遠くになる。老人は墓参りへ行けなくなる。そのうちに雑草に覆われ、無縁仏になる。そういう先のことを考えて、墓はいらないという人が増えてきたような気がする昨今である。