旅路 とまりぎ

いくつかのグループでのできごと(主に旅)

霜降銀座

2009年06月16日 | 商店街
商店街(霜降銀座)
                             とまりぎ
駒込駅は、六義園、旧安田庭園が近くにあるので、またそれぐらいの記憶しかないところだったが、営団地下鉄南北線も通り便利になった。寒い季節には旧安田庭園へ行ってもバラは咲いていないだろうと思いながら、六義園のあと駅を越えて山の手線の外へ緩やかな坂の本郷通りを下ると霜降橋というところがある。その左側に霜降銀座と書かれているので入る。

霜降の名前は、「しもふり」とひらがなで書かれたところもあって、牛肉のしもふりと勘違いしそうだが、霜降橋の名からつけたようだ。巣鴨地蔵の近く、現在の豊島市場あたりから豊島区駒込と北区西ヶ原の間を流れ、台東区谷中と文京区千駄木の間から上野不忍池へ注いだ、今は暗渠になって現存しない谷田川にかかる橋であったそうだ。
その橋が木製から石の橋に架け替えられたときに、霜がついたので霜降橋と呼ぶようになったそうだ。谷田川の名は、今も谷田川通りとして残っている。
そのまま商店街を先へ歩くと、あまり太くない車の通る道を横切るたびに染井銀座、西ヶ原銀座と商店街の名前が変わって、ひと続きになった全体はたいへん長く、だんだん店が少なくなったところで商店街がなくなり、車の通りへ出ると都電荒川線滝野川一丁目停留所がすぐ近くに見える。
商店街には昔からの商店のほかに、スーパーマーケットもいくつかあって、共存しているようだ。染井銀座の途中には中華饅頭が格段に安い店があって、女学生が歩きながら食べているのが目につく。
染井の地名は染井霊園の名で知られているが、また桜の「染井吉野」にも縁があり、江戸時代に染井の地からオオシマザクラとエドヒガンの雑種が「吉野桜」として広まったのを、明治時代に「染井吉野」と呼ぶようになったらしい。だが、現在において染井の地名はない。染井霊園のあるあたりは、豊島区駒込になっている。
商店街を少し戻って、途中から昔の谷田川が流れていたと思しき道をたどり、都営霊園の中では最も小さい染井霊園へ入ってみる。染井吉野らしき桜の木が多くあり、高村光雲・光太郎・智恵子、水原秋桜子、二葉亭四迷、岡倉天心、若槻礼次郎、安岡正篤など明治以後の墓がいくつかある。
墓地を抜けて白山通り方面へ登ると、徳栄山本妙寺の門前には遠山左衛門尉景元と書かれているので入ってみる。ここには千葉周作成正の墓もある。染井霊園よりさらに歴史がありそうだ。

寺の門から真正面に続く道を行くと、豊島市場の脇を通って白山通りへと出る。通りを越えれば、巣鴨とげぬき地蔵の高岩寺はすぐ近くだ。

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