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「心の健康」で生産性も、企業も伸びる『ウエルビーイング』

2023-02-03 17:29:46 | 世界の動きから見えるもの
@これからの社会は個人(達人)の才能を発揮する社会になる、と感じる。所謂、「専門家」が専門の事を議論し、改善し、改革していく社会のこと。特に「健康・メンタル」を重視した社会構造が最も相応しい人間社会を求めていくのかと感じた。だが、日本の場合、伝統的な慣習、年配・上司への尊敬・尊厳、さらに既得権など頑なに守ろうとする社会で個人の才能を伸ばすのり代があるかどうかである。「幸福度」が伸びないのはそこにもある
『ウエルビーイング』日経BP
「概要」 ウェルビーイングとは、ひとが身体的・精神的・社会的に“良好な状態”であることを指す概念です。人生の満足度だけでなく、幸せを生み出している複合的な要素を組み合わせ、一時の感情に左右されない「持続的幸福度」を指標にしていこうと考え出されたものなのです。
世界の幸福度(World Happiness Report)
    日本は先進国最下位56位、トップはフィンランド、デンマーク、スイス
「人間性の競う達人になる」社会
    身体の健康から心の健康へ=幸せ・健康・福祉
    「幸せな人」創造性が3倍高い、生産性が1.3倍高い、寿命が10年長い
4つのマインド(幸福度を高める方法)
    「やってみよう」:やりがいや強みを持つ
    「ありがとう」:つながりや感謝する気持ちを持つ
    「なんとかなる」:前向きかつ楽観的に思うこと
    「ありのままに」:自分らしさを保つこと
ーポジティブな感情を持つ
    ワクワクすることを計画、行動、感謝を忘れず、ゴールを追求してみること
ー社会の歪み
    77年~80年経つと社会に歪みが発生し、混乱する(史実)
    限界を迎えつつある資本主義から見えるVUCA(不安社会)
ーソサエティー5.0
    狩猟採集社会・農耕社会・産業革命(工業化社会)・情報化社会
    ソサエティー5.0とはサイバー空間とフィジカル空間を融合させた人間中心の社会
地位財vs非地位財
    地位財:金、モノ、地位(他人と比べられる財産)
    非地位財:幸せ、健康 (他人と比べるものではなく自分の中で昇華させる財産)
ー心理学「PERMA」幸せ論
    「Positive Emotion」ポジティブ感情    
    「Engagement」何かへの没頭
    「Relationship」人との関係
    「Meaning」生きる意味
    「Accomplishment」達成
幸福度=生産性向上(経営への広がり:会社の成長につながる)
    OECDの調査報告によると北欧、北米など日本、韓国の幸福度より高い
ー「幸せ」は夫婦円満、家族の幸福度を上げるコツ
    「愛の地図を強化する」互いの夢、希望、興味を知ること
    「褒める」個性を認め、言葉で褒め、良いことの行動をする
    「寄り添う」相手を大事に思えば自分も大切にしてくれる
    「影響を受け入れる」譲歩すること
    「放置せず解決する」歩み寄り会話・コミュニケーションすること
    言ってはならない言葉「勝手にしろ」過度な沈黙


「金持ち優先」の明治初期の公使選び『お殿様、外交官になる』

2023-02-03 08:24:28 | 歴史から学ぶ
明治初代の主要国公使(主に元藩主達)は人物の有能無能は第二として、明治政府の「財政難」対策が為に「財産持ち」であるがゆえに選ばれたとある。更に多くは幕府時代に密航留学の経験者=罪人(外国語堪能)であり、後年は榎本武揚のような元幕府側が実務・実力・実績を求められる役割へと変化する。現代、外務大臣の鶴の一声で民間からの大使採用は厳しく、過去伊藤忠元社長の中国大使となった丹羽氏と極少ない。どの元藩主・公使も「内助の功」で諸国からの評価は高い、のには驚きだ。
『お殿様、外交官になる』熊田忠雄
「概要」明治政府は、藩主出身者、いわば「元お殿様」を公使として奥(妻)同伴イタリア、フランスなどの外国へ派遣していた。
ー主要国公使は人物の有能無能は第二として、「財産持ち」であるがゆえに選ばれたとある。それらの人材は幕府時代に密国し、留学した人材が選ばれた。その後明治26年(1893年)まで外交官の任命試験制定が無く「つるの一声」で決定された、という。その後試験は実務的な事からさらに「見た目の良さ」まで求められた、と言う。概ね公使の役割は「条約改正」だが接待、夜会、晩餐会、国主との謁見が主な仕事だった。特に日本からの要人への待遇接待は、任期後の重要ポストへの踏み台として重要だった、とある。
□鍋島直大(なべしま・なおひろ)
    圧倒的な財力で外交の花を演じる「肥前佐賀藩藩主」から「イタリア駐在公使」に
    帰国後、夫婦と共に鹿鳴館にて海外用人との外交接待役をこなす
□浅野長勲(あさの・ながこと)
    洋行経験なく、外交官生活も二年で終了「安芸広島藩藩主」から「イタリア駐在公使」に
    井上馨(外務卿)に「外から日本を眺めてみることが重要だ」との一言で決定
□戸田氏共(とだ・うじたか)
    私学留学(アメリカ)で言語、鉱山学を学ぶ
    当代一の美人妻が醜聞に見舞われる「美濃大垣藩藩主」から「オーストリア駐在公使」に
    女好きの首相伊藤博文と妻のスキャンダル事件、天皇からの忠告で伊藤曰く
    「恐れながら、他の者達は陰でこっそりやっていますが、博文は堂々とやっております」
    醜聞の後、公使として夫婦共々海外へ飛ばされたと言う
    戸田極子は琴でブラームスとの交流を盛んにした(前任者の浅野貞子は三味線だった)
□蜂須賀茂韶(はちすか・もちあき)
    私学留学(イギリス)、妻の不倫位より離婚、新たな妻を迎えたが、妾もつける条件
    妾を同伴で海外赴任を敢行「阿波徳島藩藩主」から「駐仏公使」に
    当時妾を抱える公爵は100%、侯爵85%、伯爵77%、子爵51%もあったと言う
    妻と妾一緒に赴任し、掛け持ち生活をフランスでもする
□岡部長職(おかべ・ながもと)
    高い能力で明治の世をみごとに渡る「和泉岸和田藩藩主」から「駐英公使館参事官」に
    私費留学でイエール大学の心理学を学ぶ、帰国後外務省、イギリス公使参事官、都知事
    旧藩主で大臣になったのは3人:蜂須賀(文部)、堀田(逓信)、岡部(司法)
□柳原前光(やなぎはら・さきみつ)
    ライバルに水をあけられる「公家華族柳原家」から「駐清公使」「駐露公使」に
    1884年華族と認定された家:427家、内大名は271家、公家は137家
    若干20歳で外務大丞、23歳で駐清公使に抜擢、30歳で駐露公使、その後皇室復権に努力
□榎本武揚(えのもと・たけあき)
    朝敵から一転、引く手あまたの「使える男」「幕臣」から「駐露公使」「駐清公使」に
    陸軍参謀黒田清隆(33歳)の要請、榎本(37歳)が復帰、北海道では石炭開発に従事
    内閣制度で仇敵側の大臣は榎本のみ、農商務、文部、外務など歴任