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明治維新は王政復活に成らず

2018-09-30 07:44:03 | 歴史から学ぶ

@明治維新は公家が夢見た王政復活に成らず、返って公家の世界を幻滅させ、縮小させた。 それは薩長土肥の下級武士と一部の下級公家らの不満を「倒幕」と称して我が物に世を変える事に天皇・公家は飾りに祭り上げられた事だ。公家と下級武士との間での「金・格式・位・面子」等に対しての欲と「勢力・武力による脅し・妬み・恨み」等無責任な優柔不断な行動があったからで、孝明天皇、徳川将軍(家茂・慶喜)もそれらの公家衆に右往左往させられ最終的な決断が出来ずあらゆる局面で操られたと思う。結果的に公家の王政復興でもなく、徳川幕府・将軍が望んだ開国安定政治でもなく、「攘夷・鎖国」だと主張していた薩長土肥が自らの過去の主張を曲げ諸外国と親睦、開国、近代化を目指した。歴史から見ると、やはり一部の下級武士の幕府・藩への不満が「独断と貪欲的な行動」で明治維新として作り変え、権力と放漫で贅沢な暮らしを求め、さらにその「貪欲さ」が朝鮮・満州方面への戦争をするきっかけを作り出したのではないだろうか。「金持ちはさらに金を得ようと夢見、権力者はさらにその上の権力を得ようとする」人の「貪欲さ」は時代を超え今でも存続する。

『公家たちの幕末維新』刑部芳則

  • 「ペリー来航から華族誕生へ」
  •             ペリー来航から明治維新までの15年を彩る物語は志士をはじめとする武家を主人公に描かれる。一方、公家たちは屈従を強いられ、歴史のうねりに翻弄された脇役として描かれてきた。だが、実際には公武合体から王政復古まで、彼らが果たした役割は大きい。天皇復権のため、有名無実の公家たちが志士たちを煽り、諸藩を相手に権謀術数を重ねたのである。激動の幕末維新に裏から体制を操った彼らの姿を描く。
  • 「公家」
  •             摂家(5家)、清華家(9家)、大臣家(3家)、羽林家(64家)、名家(28家)、半家(28家)その他、公家の一族として天皇系、藤原鎌足系、その他があり、さらに近衛家(48家)、九条家(20家)、二条家(4家)、一条家(37家)、鷹司家(8家)、非門流(15家)等があった
  • 「朝廷の仕事」
  •             禁中並公家諸法度にある天使への教育、技芸
  •             政治には関与せず、学問と技芸を行うのが朝廷の役割
  •             宮中行事、日記をつける事
  •             毎日午前10時に参内、午後3時に退出
  • 「朝廷の官職」
  •             関白・議奏(5名)・武家伝奏(2名)
  •             三公(左大臣・右大臣・内大臣)
  •             官職(権大納言・権中納言・左近衛権大将・右近衛権大将・中将・少将・参議・侍従)
  • 「朝廷での異変」
  •             外国船への対応「攘夷・尊皇攘夷」幕府への抵抗
  •             ペリー来航(1853年)以降イギリス・ロシア諸国への対応
  •             幕府の開港と通称和親条約(幕府の独断)に対し内裏炎上
  •             孝明天皇・二条・広橋が攘夷意見、他は止もうなしの意見
  •             但し、公家参議23人の回答は18人が開港には反対
  •             幕府老中堀田正陸からの賄賂1500両、毎年200両を贈る
  •             将軍家継承問題も浮上、井伊直弼の判断で慶喜から紀州家茂に
  •             井伊直弼の安政の大獄での廷臣処分が決定
  •                         左右大臣、権大納言等への永久蟄居、落飾、謹慎など
  •                         処罰総数は69人で8人が死罪、皇族は青蓮院宮尊融親王らの永久蟄居、その他関白・左右大臣等の落飾、謹慎となる
  •             公武合体(和宮降嫁)で尽力したのは下級公家の岩倉具視
  •                         和宮は10月20日出発、11月15日に江戸到着
  •                         御所風と武家風との問題、天璋院の上座・下座問題など
  •             長州藩久坂玄瑞らが学習院に集合、公家を通じて攘夷策略開始
  •             朝廷は即攘夷ではなかったことに京都の長州藩等が抵抗開始
  •             慶喜はあくまで天皇の命令による勅許を求めていた
  •                         慶喜は天皇の命令にはタジタジとなる
  •             将軍家(家茂)が229年ぶりに京都に入る
  •             朝廷が独断で幕臣大名に1万石につき1人の禁裏守衛を命令
  •             朝廷は攘夷をしない藩への官位剥奪など伝達を出す
  •                         長州藩は下田でイギリス艦隊への砲撃
  •                         朝廷は長州藩へ退京を促すが薩摩・会津藩と禁門の変へ
  •             薩摩大久保利通等が朝廷への接近、幕府の失望につながる
  •             慶喜の長州討伐継が小倉城敗退、薩摩長州支援と22人の公家列参で長州藩への解兵、過去の公家の赦免
  •             朝廷では4度目の廷臣処分など人事変動、攘夷側が増える
  •             徳川家茂の死亡で慶喜が将軍に、その後孝明天皇崩御(天然痘)
  • 「王政復古」
  •             公家恩赦追加で攘夷派、王政復古への動きが盛んになる
  •             イギリス人・パークスの京都通過ですら問題化させた公家
  •             二条斉敬と徳川慶喜との公家復権問題で衝突
  •                         朝廷は3藩に京都護衛を命令
  • 「討幕の密勅」
  •             正親町三条、中御門経之、中山忠能、岩倉ら薩摩藩の大久保、西郷、小松、長州藩の広沢、品川、福田等へ伝達
  •             大政奉還へと慶喜は動き、薩長らからの暗殺を避けた
  •             岩倉は王政復古の宣言書等諸藩への軍令書を作成した
  •                         国威を挽回し国家の基礎を立てる
  •                         摂政と関白、幕府などを廃止
  •                         総裁・議定・参与の3職を置き、全てを決める
  •                         公家・武家・堂上・地下の違いをなくす
  •                         政党で公平な議論を尽くし、世の人たちと喜びを
  •             3職には皇族の有栖川宮親王、中山・三条・中御門が議定
  •             参与には岩倉が昇格した、その他大原・万理小路・橋本ら
  • 「維新政府」
  •             太政官3院制には三条、岩倉、徳大寺
  •             その他の要職には薩長土肥の藩士が占めた
  •             岩倉具視と伊藤浩史が華族令を公布(公爵・侯爵・伯爵・子爵・男爵)とし、国家に偉勲ある者は爵をあげた。
  •             嵯峨実愛など一部公家は不満をもたらし基準の見直しを図った
  •             明治17年の華族録には136家の内61家が無職、30家が殿掌など実に半数近くが公家華族は何もしておらず名誉だけだった
  • 「維新新政府は世襲門閥制を否定し、実力能力主義の世界となった。公家は再び長崎以外の港を閉鎖し、平安時代の宮中儀礼を復活させる「朝廷権力回復」が夢だった。結果として思い描いていた理想の王政復古とは違うものになった。

人間関係の不満は社会現象に現れる「スライス」

2018-09-30 07:34:56 | 映画から見える世の中の動き

@「映画から見えてくる世の中の動き」Slice・スライス

ピザ宅配が次々に喉を掻っ切られ殺される。事件を暴こうとするジャーナリストの恐れ知らずの取材・探偵活動、その裏にあるどんでん返しの結果・・・ 殺人にまで及ぶ人の突発的な行動、目的がはっきりしない最近の事件はどんな社会への不満が多いのだろうか。最終的には人間関係の不都合だろうか。


美人はより美しくなりたい人間の欲「オーシャンズ8」

2018-09-29 12:34:12 | 映画から見える世の中の動き

@「映画から見せる世の中の動き」Oceans Eight/オーシャンズ8

女性の盗賊集団が世界最高のダイヤネックレスを盗む。女性ならではの大胆さと巧みなチーム捌きで成功する。男性的な銃弾攻防ではないアクションが見応えある。美人はより美しくなりたい、金持ちはより金持ちになりたいと言う人間の欲望は限度がない。

 


正義は不死身・子供から見る魅力「The Death of Superman」

2018-09-29 12:26:17 | 映画から見える世の中の動き

@「映画から見える世の中の動き」The death of Superman animation・オールスター

1978年以降、初回上映からスーパーヒーローになったスーパーマン。人間をはるかに超えた能力は誰しもスーパーマンのようになりたいと思う。空を飛び、誰よりも強く、頭脳明晰で悪人を一瞬にして懲らしめる。だが、それ以上の強敵も現れるのが今回のストーリーだ。米国のヒーローたちが揃って立ち向かえども無敵を誇る悪役暴れん坊野獣。映画のエンドはスーパーマンが死に、皆んなが悲しむ、だが数日後に蘇る。 まさに正義は不死身なのだ。 なぜ不死身なのか? 逆に死んでしまうと、子供達が将来に希望を持たなくなる・・・子供達に希望を持ってもらい、だろう。ヒーローとはそんな凄技を持った不死身のヒーローでなければならないなのだ。

 

 


「他力本願」の本当の意味「詩季織々」アニメ映画

2018-09-27 07:37:25 | 映画から見える世の中の動き

@映画から見る世の中の動き 「詩季織々」(しきおりおり、中国語: 肆式青春、英語: Flavors of youth)3本立て

@詩季織々 婆ちゃんと毎朝の朝食は近くのビーフンから始まった。昔一流のシェフだった人が田舎で起業、そのビーフンは最高に美味しかった。思い出はいつかまた会えるのか?おばあちゃんと一緒に食べたあのビーフンとそのひと時、時は戻らない。 人は寂しさを覚えた時、いつかを懐かしがりずっと昔の心地良い記憶を思い出そうとする。 

@小さなファッションショー ファッション界に生きる姉、裏方で支える妹。いつのまにか天狗になる姉は後輩に先を越され気落ちする。姉の生き様を見ながらいつか姉の好きなドレスでファッションショーを、姉への思いと復帰の動機を作る妹の思いは小さなファションショーで芽生える。  兄弟愛は素晴らしい、永遠の推いは変わらず。

@上海恋 いつも近所の仲間と遊び、なんでも相談していた。その仲間の一人に恋をした。高校受験先選考ですれ違いが心のすれ違いに、彼女から渡されたカセットテープを聞かなかった事が、悔やまれる。あの時の思う心はもう戻っては来ない。良き青春の思い出は戻れないがいつかは昔の場所に来ると。それは時が経ち、忘れかけた頃に現れた。 縁とは不思議で、思っていること、思い続けることが、誰かの導きで現実に現れ達成されことだ。「他力本願」本当の意味は「何でも自分の力だけで頑張るのではなく、他の人からも助力してもらう」ということらしい。



集団的自衛権と戦争関与

2018-09-27 07:35:27 | 世界の動きから見えるもの

@「集団的自衛権」を承認することは日本を世界の紛争・戦争に巻き込み、さらに日本にテロを持ち込む事になる、とはこの書の内容だ。日本の「防衛」の本音と建前はここにある。 冷戦後のドイツの対応(米国基地の削減)、ノルウエーの戦闘力減(国境警備を軽減)でロシアの柔軟な対応に成功した。米軍は安保条約上日本を防衛する義務がないことははっきりしているが、日本はいつまでも米国の言いなり(沖縄基地増強・防衛費増と自衛隊の海外派遣・米軍の手先)から世界対戦での対応を見習うべき時期だ。この書によると、現実、ピンポイントを除き核を搭載した大陸弾道弾など遊撃し、破壊することは不可能であると言う。先制攻撃しても、双方の国は一瞬で消滅すると言う。核保有での優位交渉は時代遅れになり核爆弾・戦争をなくすには常に「いかに戦争を避けるか」と言う「友好交渉」のみであると言う。 民間企業を多く抱える米国軍需産業(約6000社)は米国経済の要になっており、軍の需要を常に世界で模索している事を知るべきだ。(世界のどこかで相手が戦争を仕掛ける仕組みと戦争への緊張感を与える事を考えていると言われる)日本は大国の武装に太刀打ちできないとも言われている中でさらなる武装は何も得るものはない、ドイツ・ノルウエーの例を参考に米国基地を減少させ、自国防衛のみの対応に堅持すべきだと思う。

『21世紀の戦争と平和』孫埼 享

  • 「君が知るべき日米関係の真実」
  •             日本のエリート集団は最高指導者の下日常的に改竄している。知的能力を真実への是正ではなく、党の規定する正しい事をしない・できない「犯罪」を避け、国民は「犯罪ストップ」のために発揮する必要がある。
  • 「日本はこのまま崩壊するのか」
  •             核武装を主張した安倍首相の祖父岸信介だが、歴代の多くの首相が非核3原則を唱え、現在までに至る。だが安倍内閣で憲法改正となると自衛隊は海外の紛争・戦争に参加する事になる
  •             米国戦略に奉仕するべく防衛費を増大、軍国主義を進めている
  •             在日米駐在経費は2016〜2020年総額9465億円
  •             教育の無償化か、オスプレイ購入か。費用効果は軍備と言う
  •             日本は言論弾圧国家になっている(元NHKの国谷裕子など避難)
  •             「安倍政権には日本人の生命を守る気持ちはない。あるのは自分たちがいかに米国の指示をよく聞く政治家であるか」それは集団自衛権の行使を認めて自衛隊を米国戦略のために差し出す事であると。
  •             俳優の渡辺謙「ポケットに忍ばせた拳や石ころよりも最大の抑止力は友人であることだ」
  • 「集団的自衛権こそが平和を壊す」
  •             これは日本防衛とは関係がなく米国の戦略で他国防衛に繋がる
  •             米軍は安保条約上日本を防衛する義務はなく、いつでも撤退可
  •             アメリカが思う在日米軍の目的「米国の世界戦略の為」59%
  •             日本人が思う在日米軍は「日本防衛の為」42%
  •             米軍は支援を行うが、一体となって戦うわけではない
  •             日本は米国の「核の傘」に守られていること最初からない
  •             NATOのドイツは多くの米軍基地を冷戦後返還した
  • 「米国の世界戦略に翻弄される自衛隊」
  •             戦後の警察予備隊は米国によって海外で利用可能性があった
  •             ベトナム戦争で米国は韓国軍32万人を派遣させた
  •             米国の敵はソ連からイラン、イラク、北朝鮮に移った
  •             冷戦後も経済的理由からドイツ、日本に軍事に参加させている
  •             国は自衛隊に人道支援、災害援助を負わせ、慣れたところで戦闘に米国戦略として支援部隊として派遣させる計画
  • 「第二次世界大戦後の国際秩序」
  •             原爆で広島9万〜16万人、長崎3万9千〜8万人死傷者
  •             民間人への犠牲は日本だけでも兵士212万に対し百万人
  •             米国の兵士41.7万人に対し民間人犠牲者は200名
  •             ノルウエーの兵力減少でロシア・ソ連も国境兵力を減少させた
  •             「戦争で相手を無力化させる」から「如何に戦争をしないか」を求める戦略に大国間の姿勢が変わり始めた「抑止論」
  •             植民地も多くが費用に見合わず返還し、独立を果たしている
  • 「日本の軍事力は無力である」
  •             北朝鮮は日本射程のノドンを200〜300発実戦配備
  •             さらに核兵器とともに生物化学兵器等日米軍は防衛できない
  •             日本の核兵器保有で抑止できるのか議論が増えているが、現実議論での抑止は可能でも技術的に遊撃破壊はできない
  •             核利用は双方に国家の破滅を招くだけ、他国が優位となるのを大国は見抜いており、核保有は抑止交渉の武器としてみなしている
  • 「中国の脅威にどのように対処すべきか」
  •             1972年の尖閣諸島の「棚上げ」問題が再浮上
  •             尖閣緊張は米国にとって望ましい状況である。それは集団的自衛権・沖縄辺野古基地建設に優位に働いているからだ
  •             中国の防衛費は世界2位、日本の5倍、米国の3分の1になる
  •             ロシアのスホイ35はF-15Cに勝る
  •         アジア諸国の軍事費増:中国7.4%、台湾0.7%、フィリピン25.5%、ネトナム7.6%、タイ6.5%、マレーシア7.7%、インドネシア16.5%、シンガポール5.6%
  • 「北朝鮮の脅威にどのように対処すべきか」
  •             国際情勢の分析は「最も強い国が特定の地域情勢にいかなる利害を持ち、どう関与していくかが最重要の要因である」メイ教授
  •             米国は敵対国に対して「相手を攻撃する口実を作る政策を求めている、よって敵国の軍事的脅威の存在感を示し常に認識させている
  •             韓国の「太陽政策」は「お互いに兵器をちらつかせる高度な緊張関係からは何も生まれない」の教訓である
  •             安倍政権は米国ネオコングループとの関わり合いは蜜である
  •             「日本は北朝鮮国家、および指導部を武力を持って排除することに組しない」だけで北朝鮮は日本を攻撃する理由は消滅する
  •             キッシンジャーのメッセージは「無条件降伏を求めないことを明らかにし、国家の生存の問題を含まない枠を作ること」
  •             経済制裁で独裁政権が倒れることはない、逆に政権を強くする
  • 「自らテロを呼び込む日本」
  •             日本の集団的自衛権でイスラム社会に軍事協力を深めれば国内にテロを呼び込む可能性が高くなる。西側諸国の実例がある。
  •             テロの回数と犠牲者は増えており、犠牲になった人は黙って泣き寝入りするだろうか。
  •             植民地主義者と植民地現地人との思想、宗教的な違いがテロに繋がっている、その標的がキリスト教VSイスラム教になった
  •             ホメイニ氏は「イスラム教徒はイスラム教を拡大する為に戦っているのではなく、西側の過度な進出と、支配戦略上の宗教迫害に対して信教の自由を守る為に戦っている」
  •             米国はベトナム戦争後徴兵制度をなくし戦闘能力を維持する為に補給部門を大幅に民営化させたことで米国をそれまで以上に戦争をする国にしてしまった。
  •             日本のイラク、シリアの難民支援2億ドルは中に爆弾の費用も含まれていた
  • 「真の平和国家・日本の為に」   
  •             1955年のインドネシアで開かれたバンドン平和10原則
  •             米国・ネオコンはそれらを無視し、国家間の緊張感を煽り、米国戦略を韓国・日本に武器を売り込んでいる
  •             「日本の支援は財政的支援は国際的に評価されていない、従って今後は人的貢献を行わなければならない」とまで言わせている。
  •             米国は、中国との関係も日中の緊張感を高めることによって集団的自衛権を容認させ、防衛費を増大させ、その戦力を米国戦略に利用する。米軍基地の意地拡大に算せさせることを意図している。
  •             1984年ジョージ・オーウエルの小説「1984年」が今のの日本社会そのものになっている。それは全体主義国家が、エリート集団で運営、安倍政権下の党員が上の命令のみを実行する部隊になりつつある。
  •                         国民に対して自分たちの都合のいいように「嘘や詭弁」「騙し」「改竄し」、国民全体の文化的無気力、無自覚、無反省、無責任を作り出した。また、マスコミも抱き込み戦前の言論統制に限りな口数いている。
  •             国民は自分の頭で「事実」「解釈」「結論」の3つの検討能力・リテラシーを高めていくことが必要だ。

アクション映画の見応え「ミッションインポッシブル」

2018-09-25 07:21:42 | 映画から見える世の中の動き

「映画から見える世の中の動き」「ミッションインポッシブル・フォールアウト」Mission Impossible/Fallouts 

アクション映画は、見ていて思わず力が入り、自分の体が自然と動かされている事だ。特に今回はアクションの連続。アクション映画の魅力は自分にはできないことが映画の中であたかも自分が主演として演じていること、それは自分を未知の世界に誘いヒーローにしてくれることだろう。痛快さは映画の終了した後に味わえる、だが映画館を出た時、一瞬にして現実に戻るもの不思議だ。落差があればあるほど体に直に感じ、思わずため息が出てしまう。 幻想の世界は現世を一瞬忘れさせてくれる、だが何か疲労感があるのは「力」を入れて観賞したからなのだろうか、それとも現世の社会に疲れを感じている所為か。


世の権力者の道理

2018-09-24 07:53:39 | 歴史から学ぶ

@世の中は、いくら国民が正しい道理を求めても、世の権力者は、邪魔ものを排除し、自分なりの道理を敷く。 時代の道理はほぼ権力者によって歪められ、曲げられ、国民は横目で見ながら誰かが是正してくれると期待してきた。現代でもその「道理」は違えど権力・権限と言う「武器」で正しい道理を摺り替え、権力・権限を持った「道理」を押し通そうとしている、今の加計・森友事件はその一例だと思う。「国家権力」に対して、誰かが責任を持って是正し、処罰し、国民の意思に沿った正しい道理の通る政治に戻してくれるのか期待したい。

『葵の浪人 松平新九郎』中岡潤一郎

  • 江戸には、筋さえ通れば金次第でなんでもやってのける、命知らずの三人組がいると言う。松平新九郎は口入れ屋から怪しげな仕事を請け負う貧乏浪人。毛ねや権力には縁がないものの、自由気ままな暮らしを謳歌していた。ある日、仲間の浅井幸四郎・筧岩次郎とともに田舎娘から父親探しの依頼を受けた新九郎は、事件の裏に隠された卑劣な企みに気づく。助けを求める娘の必死な訴えを聞いた新九郎たちは、道理の通らぬ悪を退治する「あぶれ組」として、凶悪な窃盗集団に立ち向かっていく。
  • 「あぶれ組参上!」
  •         「取り返しのつかないことさえしなければいいんだ」、江戸には筋さえ通れば、金次第でなんでもやってのける3人組がいる。人ができぬと思ったことをやり遂げ、道理の通らぬ悪人を倒す、命知らずの、その名はあぶれ組。それを上から支えたのが楽翁、隠居後の松平左近定信、かつて田沼意次と政権争いをした老中。陸奥白河11万石。
  • 「妾執」
  •             悪い店主に乗っ取られた店を取り戻し、正当な後継が再興する。この世は金だらけ、金さえ払えば横車は通り、真面目な庶民派泣くばかり。
  • 「謀略の果て」
  •             あぶれ組はお上を気にすることなく好き放題にやれる。何かあっても知らぬ存ぜぬで通る。世間の者は多くが悪を悪とわかっていながら、何もできずにいる。自らの身を守るため、家族を守るため、主家を守るため、懸命に自分たちを押し殺している。それは人としてやむを得ない。だが、いつか誰かが悪に挑んでくれると思っている。正しい道を求める心は、簡単には消えない。実のところ、多くの者は道理の通りを望んでいない。自分がよければそれで良い。他人のことなど知らぬ。自分にとっての都合の良い道理が全てで、ほかは全て邪魔、それが本当のところ。欲しいのは、歪んだ天下をまとめ上げる力、その結果が欲にまみれた天下が出来上がった。力があるものが横車を押し通し、懸命に暮らすものが涙にくれる世界になっている。綺麗事だけでは済まされない。

大切なもの「プーと大人になった僕」

2018-09-24 07:52:12 | 映画から見える世の中の動き

@映画から見える世の中の動き「プーと大人になった僕」Christopher Robin/Winnie the Pooh

ロビンが子供の頃遭遇した言葉が話せるぬいぐるみの熊プーと再会する。ロビンは大人になって職場に不安と行き詰まりを見せる。そんな中、仕事ばかりの父親が「大切なもの」家族愛と人間味を蘇らせる。人には言えない事でもぬいぐるみならばと心の持ちようで人は変わる。プーと家族の純真な行動は何か現代で見失ったものを蘇らせる魅力がある。 日本の高度成長期にはこんな父親の姿(モーレツ社員とか言ったが)があった。その後の景気世代も、仕事はやってもやっても増え続け、早朝から夜まで体力の限界まで仕事に、接待に精力を出しつくした。 それに見合う様に自然と給与も増え、昇格し、部下も増えた時代があったのだ。 物不足時代の満足度と現代の心・感情的サービス満足時代では形は違えど仕事は何れにせよ「創り出すもの」であり「人を満足させるもの」なのだ。家族も一緒だ。

 


人間の生態破壊「MEGザ・モンスター」

2018-09-23 08:28:04 | 世界の動きから見えるもの

@映画から見える世の中の動き

「MEG ザ・モンスター」蘇った巨大で不気味なサメは人も何もかも襲う凶暴な怪獣になる

最近、深海に住むと思われる珍獣が世界の浜で発見されている。自然の摂理での出来事かもしれない、が人間が深海生物に刺激を与え、深海生物の生態を壊し始めている。人間が知らない残された未知の世界「海・深海」、深海にこれから人間は何をしていくのか。プラスティック・廃棄物など海への汚染は守るべき海の自然態を怠ることで何か想像し難い事が今後起こるはずだ。 だが、良いと思われることは海洋開発で狭い日本にも周りの広大な海を利用した人間の住む次世代都市開発も無限に出来る事だと思う。


「花魁」の超が付く魅力とは

2018-09-21 07:49:28 | 歴史から学ぶ

@「吉原」は男の遊郭だが、誕生から約300年も続いた歴史は「遊郭」、「花魁」、「芸者・幇間」等の魅力を知ることが出来る。最盛期の吉原はお馴染みさんには「吉原は建前で生きなければならなかった男たちに、夢を売るところだった」、また「花魁は優しく、吉原には情緒があった」とある。酒をのみ欲求不満を満たすだけの「場」だけではなく、一方「心のゆとり・安らぎ」等の職場・立場を離れた「一時の気休め所・心の憩い」となっていたことである。日本人の社会習慣は「本音と建前」があるが、本音を常に心中に収め、建前が常時にする社会である。だから諸外国人から「日本人が読めない」と言われる。例えば「前向きに検討しておきます」など断りの常套文句であるが外国人には理解できない。さて本書の「花魁」一世風靡させた女性の最高職であり、優雅さのみならず芸のプロだったとある。芸事、礼儀作法は勿論、社会の動きに敏感で、今で言う会話力・交渉力・接客力は群を抜き、更に頭脳明晰で賢い魅力は、社会の長にいた人たちに「心の憩い」を作り出したのだと感じた。 現代は花魁のような魅せる「芸」は無いが、バー・スナック等にも物知り・生き字引人と言われる「社会通・情報通」の方々は「人の扱いを知り尽くし、人を診て、快む」また「時に親のように、親友のように、先輩のように接してくれる」それに話題も豊富で話も楽しい。 特に会長・社長などは社内でも複雑になり相談できない環境になりつつある事を考えると、そこに魅力(助言・聞き手)を求めるのは頷ける。現代人の心の隙間と安らぎ(情緒)を満足させてくれる人の魅力と言うのはこんな「超の付く花魁」だろうか。

『吉原はこんな所でございました』福田利子

  • 3歳で吉原「松葉屋」の養女になった少女の半生を通じて語った書籍
  • 徳川時代、官許の遊郭として発祥した吉原は第二時世界大戦中、女たちが軍に徴発され、戦後は占領軍対策に当てられ、売春防止法によって終焉を迎えた。家の貧困を身一つに引き受けて吉原にきた娘たち、郭の華やぎや情緒を暖かい眼差しで写し取る。
  • 「吉原の終焉」
  •             昭和31年5月21日、売春防止法が国会を通過、昭和33年2月28日をもって不夜城は終焉した。吉原は江戸時代1617年に、京都の島原、大阪の新町とともに幕府公認の遊郭として作られた。吉原は何度も火災にあって明治に入っても8回、大正12年の関東大震災は全焼、昭和20年3月10日の東京大空襲にも全焼した。最後まで残ったのは160軒のお店があった。場所は江戸丁1丁目〜約10万平方メートルに48軒の引手茶屋、大見世、中見世、小見世の貸座敷が101軒、29軒の芸者屋、幇間(太鼓持ち)で成り立っていた。
  • 「遊郭」
  •             男の遊興の地、夢の里として栄えた「遊郭」。花魁たちには行儀作法が厳しく仕込まれ、教養や美しさ、華やかさは歌にも歌われ、芝居にもなるなどした。戦前は身分の高い方や老舗の大旦那から職人さんや小僧さんまで遊びに行った。戦後は赤線地区となり仕組みが変わった。吉原の誕生は徳川幕府公認の遊郭として、庄司甚内が最初の許可を得た遊女屋を開店させた。その土地は現在の日本橋掘留1丁目あたりでよしや葺の茂湿地帯だった。遊女は約2千人いた。
  • 「浅草・凌雲閣」
  •             明治23年に八角形で12階建の建物で、10階まではレンガ作り、11−12階が木造で、麻縄で釣ったつるべ式昇降装置があった。大人6銭、子供3銭、11−12階は展望鏡があり1銭した。富士山や東京周辺の眺めは素晴らしく日本中に知れ渡った。だが関東大震災時に2つに折れて取り壊された。
  • 「花魁」
  •             呼び名の由来は禿(かむろ)や新造が姉さん株の遊女を「おいらがの、え、太夫さん」が詰まって発音した。花魁には上は大名、豪商の相手を務める高級花魁から下は河岸見世などがいた。高級花魁は、歌舞音曲はもちろん、廓言葉ながら話術に長け、生け花、茶の湯、書道、花道、香道などの教養があり品格があり一般の女性の及ぶところではなかった。仙台の伊達公の場合には蘭語もできる花魁もいたと言う。当時、ほとんどの女性は恋愛の経験もなく親が進める人と結婚し、家庭に収まる男の時代で、花魁はお金で買える恋愛場所だった。花魁になる背景には親の借金で身売りが多く、10歳頃から仕業した。入居前には警察への身元届け、健康診断が必要で病院での定期的な検査もした。花魁の鉄則は「相手に惚れない」ことで、 相手に受け入れられる一言として「寒い」、「寒かったでしょう。来てくれて嬉しい」など話術も教わった。花魁の水揚料は飲食代含めて引手茶屋の帳簿に記入され見世に支払われた。中見世での料金は一晩二円とかで見世に入ると花魁の写真があり、そこから選ぶ仕組みだった。「間夫は引けどき」というのは他のお客様を全部終えて最後にゆっくりお相手する仕組みもありお馴染みのお客は好んだ。また時間は約1時間が目処でおばさんや下新さんは時間が来ると「まだ、10時ですよ」と決して「もう、10時です」とは言わない「粋」な言葉を伝えたとある。お見世の仕事始めには神棚に拝んだ後、「見世付け」と行って縁起つけで花魁を見世の前に並び番頭が火打石で打つ。一斉に「お早く」と声をかけ、「下足打ち」は下足の札を柱に753の拍子で鳴らす。花魁のかけ(羽織)は春なら桜か牡丹、夏はあやめ、明は菊か紅葉の友禅、着物は袖と胴とが無地か縞で裾まわりと身八つ口、袖口がかけと映りのいい友禅、という胴抜き。帯は献上かしごきを解きやすい様に前で結びます。その下の長襦袢は緋縮綿だった。
  • 「引手茶屋・大 見世」
  •             引手茶屋は一見客をしないことになっており、お得意様が連れ・お客を常に紹介する決まりがあった。平均して3、4部屋あり、お客の趣味趣向、誕生日、身内の命日などまで知り尽くしていた。引手茶屋は大見世へお客をお連れする待合場所を担っていた。大見世は大文字楼、稲本楼、不二楼、角海老楼の4軒あり、3階建てもあり、20〜30人の花魁を抱えていた。お客は女将の裁量で花魁を決めたもので、好み、馬が合いを女将が段取りをしていた。お客は芸者衆や幇間を上げて花魁の部屋で遊んだ。芸者や幇間は芸が深く、芸者の試験ではしゃみせん、太鼓、子太鼓、唄、踊りの他行儀作法、口の利き方などもあった。幇間は一見物知らず、ぼんやり者、おっちょこちょいだが頭の回転が鋭く、お客への対応能力がすごかった。幇間の凄いところはスケールの大きい芸をたった畳半畳の広さでやってのけること、それは替え歌、曲芸、物真似、手踊り、落とし噺などげ達者だった。花魁は時間ごとに計算されたが、芸者等は半日区切りだった。支払いも半年後、年払いなどで現金の支払いは信用がないということで全くなかった。貸座敷は3時間で6円、一晩泊まると12円、芸者の玉代は5円60銭、当時の大学での初任給が45円、一晩で30円から50円かかるお大尽の遊びだった。引手茶屋は「中引け」深夜12時に表門を閉めて、「大引け」深夜2時に見世閉めた。
  • 「戦争下の吉原の女たち」
  •         昭和12年、日中戦争が始まると「国民総動員」「贅沢をやめ勤倹貯蓄を心がけ、勤労奉仕。前線の兵隊さんの苦労を忘れず、しっかり銃後を守るよう国から達しがあった。学校では週に一度日の丸弁当として、おかずは梅干し一つのみがあった。昭和15年からはお米一人1日2合3勻の割り当てのみで、襷に割烹着姿となった。昭和13年ごろから吉原には兵隊さんが姿を見せ、親子の姿もあった。(若い男が女を知らないまま戦死してしまうことはかわいそうだ)。昭和16年には従軍慰安婦として花魁が集められたが、従軍慰安婦になると年季(借金)がご破算になることもあり必ずしも強制ではなく本人の意思で戦地に向かった。昭和20年焼け跡の吉原は最初の進駐軍慰安所になった。公募は「女事務員募集、年齢18歳以上25歳まで、宿舎、被服、食料など全部支給」、当時女性の仕事は殆どなく白人、黒人と分けたが、性病が多発、1年足らずで消滅した。昭和21年には遊郭から赤線が誕生し、飲んだり踊ったりのホールが増えた。当時中堅サラリーマンの月給が350円、遊女の場合は月1万5千円、多い時には3万円を稼ぎ出し女性の数は3120人程いた。当時はインフレで昭和21年の10kの米が6円、昭和22年には149円になった。GHQにより歌舞伎は「世話物」「敵討ちもの」は禁止になった。
  • 「軍需景気と吉原」
  •             昭和25年、朝鮮戦争が勃発したことで景気が戻り、吉原に特殊飲食店が300店も開店、ファッションショーなる額縁ショー等が増えた。昭和27年、東京都の「青バス」が「はとバス」観光バスを運営したことで観光客が吉原に入り込み、花魁ショー・芸者衆のお座敷など文化を紹介する町と変わった。その後吉原は旅館業が増え団体観光客を受け入れる街に変貌した。「花魁ショー」はベニスにもわたり大好評を得た。
  • 「吉原は建前で生きなければならなかった男たちに、夢を売るところだった」、「君には忠、親には孝、夫婦相和し、兄弟は仲良く」という教育勅語を地で行く「建前」の生活を昔は求められていた。戦前の遊郭は「情」と言ったもの、あるいは「恋愛に似たもの」があってそれに引かれて多くの男は通った。お馴染みさん等は、芸者・幇間等の芸を楽しむ場所で、それは「花魁は優しく、吉原には情緒があった」からだと言う。

「長たる責任」を果たさない日本社会

2018-09-18 08:19:20 | 歴史から学ぶ

@不祥事が起きた場合、企業であればその長、もしくは会社の代表が責任を負うのは当たり前だ。ところが政府・官僚等政府機関を牛耳る「長」は、この書にもあるが、一旦省庁に入れば職務をサボろうと政務が滞ろうが辞職に追い込まれることは稀だ、とある。政治家は国民の投票で落選する場合もあるが、政府機関職員の場合、ほぼ国民から直接監視されることもなく、定年まで安泰だ(一般的にそのように見える)。 要はこの書にある太平洋戦争に突入した諸々の理由・発端は官僚の作り上げた机上の「事由と作戦」で国(天皇)が動かされ国民が犠牲になったこと、その責任の非を認めず、誰も負うことをしなかったばかりか、他を責める立てたことである、同類の仲間意識とは凄い物である。 決定権を持ったごく僅かな中枢人材(机上思考と超エリート族)の決定する仕組みは、今後日本の行く末を危機な立場に誘導れる場合がありそうだ。特に自衛隊の海外派遣から米国誘導の軍事増強、さらに飛躍しそうな予測できない事態では「道は法を超えず」を堅持して欲しいところだ。最悪事態を止める事ができるのは、果たして「天皇の勅語」になるのだろうか。非核・非戦争であるならば、決して人道支援が伴う理由があっても他国への戦闘関与については疑問を持ちたい、それは歴史が教えているから。

『官僚亡国』保阪正康

  • 軍部と霞ヶ関エリート、失敗の本質
  • 「太平洋戦争を決定した10人」は全て「官僚」
  •             政府側:首相、陸相、海相、蔵相、企画院総裁
  •             大本営側:参謀総長、参謀次長、軍令部総長、軍令部次長
  •             官僚論:戦争の見通がないまま戦争を続け、戦中・終戦時には指導者の責任逃れをし、大本営発表など声明文の嘘を連発していた
  • 「軍官僚」
  •             東條英機は敗戦という事態に対して無責任で反省がなく、国民3百万人の犠牲に痛みを感じていなかった「サイパンを失うことは例えて言えば蚊に刺されたようなものだ」、日本の敗戦と国を滅ぼした事態を招いたのは軍官僚であった。軍官僚の正当性は試験、試験で選ばれた能力的な頂点にある存在だから国民を支配し、指導する権利があると言う理論があり、傲慢で国民を軽視、総理の命令さえ無視した事実がある。戦中軍官僚が作った846回「大本営発表」のうち初期を除きほぼ嘘の発表だった。軍官僚は権力を私物化し、気に入らない人物は前線に送りこみ、決して自分たちに連なる人脈は激戦地には送らなかった。実際軍官僚の仲間の死亡率は3%、同年の兵士は10〜20%だった。大本営はまず作戦(戦略・戦術)ありきで「不愉快な情報」は無視し、日本の暗号含め機密情報はすでに米国に解読され、米国は日本の開戦する予測情報を持っていた。実際一部機密情報(開戦予定日)でも巷の芸者も知っていたと言う。さらに戦後ソ連参戦を予期できなかったのは軍官僚の思い違いで北方は占領され、多くの兵士がシベリア抑留となった。軍部では作戦参謀が上位にいて、情報部を一段下に見ており、その情報部とてエリートゆえに他の参謀を低く見る傾向があった。よって作戦参謀が都合にいい情報しか採用しない所以であり、インテリジェンスは人間味を持たない官僚主義からは決して生まれないと断言できた。戦中の参謀一人、瀬島龍三は最後まで沈黙したが、自分たちのメンツをかけ前線の情報を握りつぶし、改竄し、多くの犠牲を伴っても日本本土戦争でも戦闘への執念は変わらなかった。
  • 「2・26事件」
  •             青年将校のテロを陸軍の権力拡大に利用した例であり、決起行動には「国体明徴の具現化」「尊王絶対」「忠君愛国」をスローガンにしていたが皇道派を潰し国の指導権(陸軍)の確率を強化させた。それは武官制を復活させ陸軍の意に反する内閣を退任させることだった。3千人の人事異動含め山下奉文や橋本欣五郎など個性的な軍人は中央から遠ざけられ、中心は寺内寿一、植田謙吉、西義一らの大将三人とした。
  • 「阿南惟幾陸相の自決」
  •         終戦日8月15日未明に切腹、結果責任とされたが、天皇の忠臣として模範的な軍人であり常に「道は法を超えず」を貫いた。阿南の尊敬した乃木希典も明治天皇崩御を追って切腹している。「責任観念」を明確に持った人格であり、大差のある東條英機や杉山元とは違っていた。
  • 「東條英機」
  •             東條は陸軍次官、陸軍大臣、総理大臣と進み軍人人生で、敗戦をまじかに発した言葉が「蚊が止まったようなもの、泥道で泥が跳ねたようなものだ。日本人が本気に、真剣にならぬかと天の掲示があるだろう」と言った。妻のカツ夫人は「夫は戦争を避けることができなくなった事態に、昭和天皇に申し訳ないとの思いで泣いていた」と言う。東條は3将軍の一人として軍部では「カミソリの東條」として恐れられ、中国人からは未知の将軍として扱われていた。その他中国に恐れられた板垣と俊敏な岡村がいた。
  • 「天皇の決意・勅諸」
  •             太平洋戦争への指示・勅語、一部大本営発表内容は天皇自らの意思があり、多くの犠牲の下、8月15日の勅語で終戦を迎えた。多くの戦中の勅語は陸軍軍務等からのもので、後半は天皇も軍事指導者等も相互に不安になり悲惨な戦いを続けていた事実があり、終戦の天皇の「戦争責任」は不問となった。
  • 「官僚亡国論」
  •             5・15事件で官僚が狙われた事件
  •                         政治家は選挙によって国民から信を問われるが、官僚は一度入れば職務をサボろうと、拙劣な政策しか策定し得なくとも責任を取って辞職することはない。
  •             外交官試験が2000年に無くなった
  •                         外国語を知らないキャリア組が増えた
  •             社会保険庁の年金記録改竄事件=組織ぐるみの行為
  •                         マニュアルがなく十分な教育もできなく責任を問えない等の言い訳、言い逃れ答弁の繰り返し
  •             全国13ヶ所のグリーンピア建設費用の説明
  •                         厚生省「19百億円プラス金利の投資」だけと主張したが、実際調査後「その金利は16百億円にも及んでいた」と判明。気に入らない事、立場が不利になるものは隠し、伏せる
  •             埋蔵金論争の嘘
  •                         社会保険庁「システム上できません」と言う返答においても、自分たちの都合のいいように解釈、説明は省庁常識にしている
  •             増税一辺倒の意識
  •                         財務省「予算確保、予算増」は当たり前、国益より省益を優先する。財務省としての利権として減税、予算減は、各省庁との交渉利権を失う事になりあえてやらない姿勢が見える
  •             天下りの常識
  •                         利権確保から将来の立場確保へと戦争継続は必須だった

個人の恨みが尾をひく

2018-09-17 09:26:25 | 歴史から学ぶ

@「斗南藩」とは戊辰戦争後に戦争で敗れた会津の家臣・家族が処罰をうけ流された荒野の地(現在の下北半島)である。 明治初期、官軍木戸孝允(長州藩、医者の長男・桂小五郎)個人の恨みをもろに受けた情け知らずの処置は「勝てば官軍ー何をやっても良い」、その最悪の処罰である。仕返しが絶対無いようにと徹底的に仕組んだ極端な処分、人が住めないような場所に敢えて敗者(恨みを引き摺り)を送り込んだ、3傑(会津藩では3姦と呼ばれた)の一人木戸の行動は異常な程である。そこまで会津藩を恨んだ理由は、「蛤御門の変」京都で会津藩に捕らわれたことが起因しているが詳細はどこにも無い。世の中にはいつまでも心の底に何かを気にしている人がある。「恨み・妬み・陰口」は前回投稿したが、いつかはそのまま自分に帰ってくるんだと・・・そう思うことで、陰口・悪口・醜態的な姿勢は言わない、しないようにした方が良いという教訓だ。今回のこの書籍で得たのは人間食べるものが無くなるとどの様に振る舞うのか、特に人間関係と食べ物、また生き抜くために様々な工夫をした会津の人々の精神力の強さ、現代人にはとても出来そうも無い。

『斗南藩』星亮一 

  • 28万石を誇った会津藩は戊辰戦争に敗れ、明治二年、青森県の下北半島や三戸を中心とする地に転封を命ぜられる。実収7千石の荒野に藩士とその家族1万7千人が流れ込んだため、たちまち飢餓に陥り、斃れていった。疫病の流行、住民との軋轢、新政府への不満と反乱。凄絶な苦難を経て、あるものは教師となって青森県の教育に貢献し、また、近代的な牧場を開いて荒野を沃土に変えた。知られざるもう一つの明治維新史。
  • 「戊辰戦争」
  •             1868年9月22日、会津藩は降参、開城となる。松平容保は会津若松の妙国寺に謹慎となり、城内にいたのは、藩士、兵士、婦女子、奥女中、鳶の者など4956人、城内の武器は大砲50挺、小銃2845挺、弾薬23万発、槍1300余、薙刀81と言う。会津城落城で喜んだ人物は薩摩の大久保利通と長州の木戸孝允である。特に木戸に対しての因縁は下北半島に移動(斗南)命令が決まった時点から旧会津藩士、家族にとっては怨念を持つものが多かった。それは京都時代、会津藩の京都取締役で木戸を捕らえたが逃げられた。その時の憎しみが、会津藩士を極端に恐れ蝦夷地に移住させようと考えていた。その地は原野で開拓は不可能な場所であり、流刑以外何物でもなかった。その他老中とは切腹、重鎮等は東京にて牢獄、家臣・家族を分散させた。奥羽越藩同盟も一様に処分を受け、南部藩は金70万両、庄内藩も60万両(数百億円)を献金させる厳しい処罰を与えた。
  • 「斗南藩」
  •             計画では1万2千人だったが会津人4千戸のうち移住者は約2800戸となった。牧畜、狩猟が生業とするものしかなく衣食は粗悪で、北部は不毛の地で風激しく草木は成長せず、雑穀しか実らない地で、秋霜が早く降り、融雪は遅く、民は貧しい場所であった。 全体の村数は70、石高は3万4747石だった。何日も食べるものがなく人の死骸に食いついた者もいた。新政府は詐欺行為をして資金、支給物を極端に減らす命令を出し、住む所もなく老人や幼児、子供等、移住者の半分近くが飢えと寒さで死亡した。食べるものはわらびの根を集め、水にさらしてすすぎ、水の底に溜まる澱粉を取り出し、乾燥させ粉にして米ぬかを混ぜ塩を加えて団子にして食べた。その他海藻、蕨の根、蕗、山牛蒡、山椒、ウコギ、アカザ、ぜんまい、ヨモギ等で栄養失調となり死んでいった者も多かった。斗南藩は約廃藩置県の発令となる1年強の時期であったが、大参事山川浩(保科衆の上級武士)、広沢安任、永岡久茂等が立て直しを図るべく尽力、生業は蝦夷地での出稼ぎ、樵、漁労を進めた。また、多くの書籍を持ち運んだことによる漢学、和学、神学、天文学、算術、医学など勉学を進めた。中でも十和田湖開発の功労者新渡部伝、「武士道」を伝えた新渡戸稲造の祖父は、農機具を提供し農民を支援した。
  • 「版籍奉還と廃藩置県」
  •             当時の国家予算は6500万両のみで収入がなく統一国家を誕生させ、廃藩置県を実行することであった。が、新政府の役人らは、豪華な邸宅に住み、大人数の使用人を雇い、美妾を蓄えるなどまるで大名さながらの生活していた。また、権力を笠に着て、民に対して横暴な処置や振る舞いをする者も多く、薩摩と長州出身者に厚く、他藩の者は軽んぜられた。その中各地で民の不平不満が渦巻き、農民一揆も起こり、政府藩兵として政府は薩摩と長州が中心とり8千人が揃え鎮圧した。
  • 「熊本鎮台の乱・秋月の乱・萩の乱等」
  •             山川浩は東京に陳情で何度も行き大隈重信等に接触、戊辰戦争では敵だった谷の誘いで陸軍に職を得た。その後佐賀県庁を襲った元参議江藤新平と戦い手を撃たれ、帰国。同心の永岡久茂、前原一誠も萩の乱で木戸孝允、伊藤博文、井上馨等(三姦と呼んだ)らの権力者を批判し暴動を起こした。反乱を起こした理由は旧士族への待遇で長州・薩摩・会津が同時に蜂起すれば現政権は潰れると読んでいた。だが密告者があり逮捕され処刑された。その後山川は薩摩西郷と西南戦争で戦であったが岩倉具視からの寝返ったような要求を拒否した。
  • 「斗南に残った人々」
  •             広沢安任は広大な土地に政府の資金を利用して牧場を開始、馬牛、合わせて180頭あまりに事業を成長させ、明治天皇も一度巡行した。会津遊撃隊の一部は榎本武揚ともに蝦夷地へ、 北海道に新天地を求めた。国家老中の西郷頼母は皆に嫌われた老中で、身分で差別化し会津藩を悲劇に陥れた一人である。梶原平馬なども一度も戦わずして城を放棄し、失踪した旧家老だ。
  • 「明治維新150周年」
  •             「戊辰戦争150周年」とあるべき姿に対して、安倍晋三は薩長土肥連合を讃えた賛辞であった。明治新政府の「敵は官軍に在らず姦賊である」は会津猛将の佐川官兵衛の言葉。会津藩主松平容保等の新政府に対して恭順する主旨を何度も訴えたが家臣・家族等を 下北へ流刑するという厳しい姿勢を貫いたのは単に木戸個人の恨みだった。

女の妬みは怖い

2018-09-16 08:27:19 | 人生を「生かす」には

@「女の妬みは怖い」とはこの捕物小説である。女と女の妬み、自分たちより可愛く、美人と言われた女が自分たち以上の格上の旗本奉公先の話が出た事で、その女を妬み、傷物にするべく遊び人に暴漢依頼、それが原因で女は死んでしまう。女・娘の死を恨んだ育ての親が暴漢した者を殺害していく複雑に仕組まれた捕物小説だ。ここで思うことは「人の妬み、恨みは終わりが無い」程に人の心も動かされることである。やはり人間はどうしても「妬み」が何処かにあるものだが、それを表に出す事でいい事は無い。初めは些細な妬みことで事でも、思った以上に最悪な状態になってしまう事は人生何度かあるものだ。それに自分の思い違いなども多々ある、気が付いた時には取り返しのつかない事になる場合もある。ただ、結果が最悪の場合、人生のやり直しは非常に難しく、時に時間が必要な場合すらある。現代は、特に目先の事ばかり(嫉妬、妬み、陰口)気に掛かける人も多くなった気がするが、自分を知り、他人を思いやり、何事も急がずじっくり考え、欲を出さず自分ができる範囲で行動したいものだ。

『江戸の検屍官 女地獄』川田弥一郎

  • 夜鷹の稼ぎ場所・柳原堤で凍りついた男の死体が発見された。男の自業自得なのか、それとも凍死に見せかけた殺しか。探索で謎の夜鷹、紫の影が浮かび上がるのだが。 江戸の検屍官こと北町奉行所定町回りの同心北沢彦太郎が医師玄海、絵師お月とともに事件の隠された真相に迫る。
  • 主な登場人物
  • 彦次郎・同心
  • お竹・お玉と市次郎の娘
  • お弓・商人の娘
  • 卯吉・商人の次男・遊び人、仲間がもう一人
  • 市次郎・職人
  • 八重・商人の娘
  • お玉・市次郎の年の差がある妻・お竹の育ての母親(名前を変える)
  • 館・同心・お玉と関係を持つ
  • 二人の男の他殺事件を同心彦次郎が捜査するが、浮かび上がったのは美人の女。証拠も手探りするものが少なく、別件の他殺事件の依頼があり捜査する。それは美人のお竹が強姦にあい破傷風で亡くなる。それから他の二人(お弓と八重)の娘の話からお竹の奉公先が旗本で、それに妬みを持ったお弓と八重が卯吉と仲間にお竹を強姦するように依頼、それが思いもよらず死亡した事で、父である市次郎が恨みで卯吉とお弓を殺害、お玉も仲間を殺害、最後に残った八重を暗殺を実行するが別の同心館に捕らえられ拷問される。お玉が死亡したと報告したがお玉も館の弱みである枕絵(淫乱絵)を餌に偽装させ逃した。