ちょっと気になるいい事、言葉、最新技術

書籍、映画、旅、最新技術から選んだ心に残るもの。速読者向けは、青文字表示。内容は小学生でも理解できる表現使用

豊かさも貧しさも「その人の感じ方次第」

2018-07-30 08:03:10 | 人生を「生かす」には

@「身の程」、「量より質」、「自分なりの贅沢」。どれも「欲」を捨てる事でできる人生の満足度アップにつながる。 「比べる事」でなんとなく満足していた若い頃の思い、モノを捨てる事で違った満足度が生まれる。それは「豊かさも貧しさもその人の感じ方次第」とある。 修行の一つ「断、捨、離」を実行する事で人生の整理ができる感がする。「物欲」世界から、人と事による繋がり、人と人との繋がりで豊かな人生を構築する時代になってきた。 前にも記述したが、インスタグラム等の料理写真で人が知りたいのは、「どんな料理かより、『誰と一緒に食事しているのか』だと。

『老後のシンプル生活術』保坂隆

  • 老後に大切にした物に順位をつけると必要な物がわかる、そして捨てる
  • 現役の70%で生きる工夫、残り30%のゆとりの暮らし、忙しいはもう美徳ではない
  • ストレスに強くなるには「気にしない」こと。 禅の「不思善」「不思悪」
  • 「欲しがり」を卒業、今ある物で満たされていることを知る
  • 誘いに「ノー」と言える勇気で相手も気軽になることがある
  • 「頑張って」ではなく「気楽に」の方が良い場合も
  • 長生きは「できないこと」を恥じる必要はない、できることを長く続ける
  • 物を捨てることで新たなスペースを利用する感覚をもつ
  • 「断、捨、離」インドの修行。断行、捨行、離行。 人間の所有欲を管理する修行のこと、「断」入ってくる物を止める、「捨」手元にある物を捨てる、「離」物の執着から離れる
  • 「折水」作法。 精進料理の食べ方、水を分けて最後まで利用すること 最後までに無駄にしない、受けた恵みを分けあう
  • シンプルライフのコツは「自分なりの贅沢」を一つこだわる
  • 豊かさも貧しさも「その人の感じ方次第」
  • お金では買えない「喜び、幸せ、思い出」あなたの気づき次第
  • 次世代への贈り物は、食事のマナー、目上の人に対する言葉使い、刃物等を渡す方法、他人への心遣い、礼儀、接し方、もある
  • 友達も「量より質」心の負担になる関係は徐々に整理
  • スエーデン生まれの名女優グレタ・ガルボの言葉「結婚をしないなんて、なんて私はバカだったのでしょう。これまで見たものの中でもっとも美しかったものは腕を組んで歩く老夫婦の姿でした」
  • 「しすぎる」よりも「しない」配慮も大事 親子の近所付き合い
  • 「独居」と「孤独」は別物 家族の中でも孤立する高齢者もいる
  • 「ほど」を知ることで楽しみを上手に 遊び心が豊かさに、美味しい卵だけの食事でも幸せを感じる、自然と上質なものを求める
  • 「1日1知」の教え 毎日新しいものに出あう
  • 毎日小さな発見を見つけること
  • 多趣味は無趣味と同じで忙しいばかりで身につかない
  • 「LIVE」の強さはリアルの持つ力だから心に強く響く 
  • 他人と比べることもほどほどに、劣等感という救いのない感情は比べすぎるから生まれる

求められる人材

2018-07-28 08:58:19 | 歴史から学ぶ

@世渡り術が下手で左遷も多く、外国視察も拒否された続けた幕臣水野忠徳。功績は、外貨為替の見直し、小笠原諸島の日本領土化、諸外国からの江戸攻撃回避、横浜・横須賀開港・造船所設立など多くある。 さてこの水野忠徳、老中の政策に見直し意見し何度か左遷されたが、新たな老中から次々と大役を受ける事になる。ここの「世渡り下手」とは不正を断じて許さない、曲がったことはしない正直者だ。「モノとカネ」で如何様にでもする貪欲な、しかも悪賢い者とは全く違う性格の人物だ。(江戸時代は、出世のためにのカネ「賄賂」は当たり前だったと言う)で、この水野忠徳は、世渡り下手でも並外れた豊富な情報・知識力と経験・行動力が重用されていたと推測できる。現代でも求められる人材とは、「情報力と実行力」にある。情報は誰でもある程度収集可能だが実践、行動に移すことのできる人材は極端に少ない。やはりできる、そして求められる人材は「情報を生かす方法を知り、行動・実行に変えられる」ことだと確信する。 優秀な営業は「フットワークのいい人材」と言われる。「足で稼ぐ」と言われるくらい様々なお客様の情報から次の営業に繋げることを知る。だから営業成績も良くなると言われたものである。「机上戦略」(理論武装)は誰でも言える、だがこの時代、時の変化と実践に伴った実現可能な戦略を作る人材が欲しいのだ。

『幕末の円高仕掛け人』野田秀行

  • 「水野忠徳」1868年53歳没
  •             水野忠長の養子、22歳で江戸幕府に初出仕(城内警備)
  •             徳川家史調査、幕府の監察役(政策に不同意連続で左遷)
  •             火附盗賊役、浦賀奉行、長崎奉行(オランダに軍艦発注)
  •             勘定奉行(江戸大震災、江戸城炎上・復興に尽力)
  •             田安家家老に左遷
  •             外国奉行(オランダ、ロシア、イギリス、フランスと交渉)
  •             修好通商条約と横浜開港、通貨対策
  •             西の丸留守居に左遷(屏風の水野と呼ばれる)
  •             小笠原調査団の団長
  •             箱館奉行、隠居(生むぎ事件担当)
  •             上京クーデター未遂、完全隠居
  •             世渡り術が下手で左遷も多く、外国視察を拒否される
  • 「水野忠徳の功績」
  •             幕府外国奉行として通貨、小判の流出を防ぐことに貢献
  •             小笠原諸島の領土化推進、狩猟制限など島の独立に貢献
  •             生麦事件保証金(40万両)支払で江戸を戦争から回避させた
  •             長州藩の諸外国攻撃(馬関事件)ではなんと200万両の保証を幕府は持つことになる(10年間の分割支払いとなる)
  • 「水野忠徳の実現し得なかった事」
  •             通貨・貿易問題で諸外国の言いなりで物価高騰と江戸混招く
  •             京都での幕兵を持って強硬な攘夷派・長州討伐中止で、その後の長州・薩摩・攘夷派公達との戦争に巻き込む
  •             佐賀藩の鍋島閑叟への説得不足
  • 「鳥羽伏見後の江戸幕府の選択」
  •             1、西に向かう即戦派
  •             2、関八州を防衛とする防衛派
  •             3、天皇に逆らうのは得策ではないという恭順派
  •             最初の幕府の決定は小栗忠順の即線派だったが、「天皇に逆らうつもりはない。天皇からの慶喜追討令が発せられた以上、上野寛永寺で謹慎する」で慶喜の恭順派を選ぶことに変更。
  • 「幕府の勤務」
  •             欠勤が連続して90日だと自動的に退職となるが、その逆手をとって90日の前に1日出勤し、後は自宅で内職・勉学をしていた。それは「上役の評価なんて昇進に全く反映していない、要は金次第です」24歳で幕府幹部の登竜門、5年ごとに実施された昌平坂学問所に合格
  • 「長崎に海軍学校設立」
  •             オランダ教師を20名程派遣(5千両を用意)
  •             2隻の軍艦を発注、オランダは軍艦を贈呈「観光丸」
  •                         水野が幕閣と決定した次の軍艦名は「咸臨丸」
  •             学生長の勝海舟は遊郭に入り浸りで勉強などしていなかった
  •             優秀な生徒は佐賀藩の志士(藩主鍋島閑叟の教育・気風)
  • 「幕府の財政」
  •             歳入は年貢収入が4割、出目(貨幣の改鋳益)3割、借金3割
  •             当時大奥の出費が全体の5%の贅沢ぶりが続いていた
  •             歳入で身をつけたのが世界標準関税(20%)
  •             銀貨交換レートの変更
  •                         初代米国領事のハリスは為替で莫大な個人収益を得た
  •                         ドル銀貨27gの純銀VS 一分銀は9g (3倍の値)
  •                         日本でドル銀貨4個を一分銀12個と交換していた
  •                         日本の小判を3個で上海ではドル銀貨12個になった
  •                         1対1から1対3の交換レートにする交渉となる
  •             江戸の商人は1部銀区間で4分が6分と5割の儲けが出た
  •             江戸の物価は暴騰し生活苦になる(江戸混乱=攘夷を煽る)
  •             関税も当初20%が5%に引き下げられた貿易を強いられる
  • 「日米通商条約」
  •             老中堀田の命で工作資金3万両ともって川路聖謨らが上京
  •             公卿を買収できず無駄金となり、天皇からの勅許も失敗
  •             外国奉行に一任された交渉は水野、永井、岩瀬の3名
  •             その後オランダ、ロシア、イギリスとも条約を結ぶ
  •             イギリスとの締結でもらった水野のプレゼントは万年筆
  •             贈呈された軍艦は蒸気の「蟠竜丸」
  •             横浜村を3ヶ月、9万両で開港させた(奉行所、税関、波止場)
  •             100店以上の焦点を横浜に集結させた(日本橋三井も含む)
  • 「小笠原視察」1861年
  •             老中安藤から他国の領土化を許さないための視察命令が出る
  •             目的は捕鯨から出る鯨油で財政に貢献させる事
  •             食糧難であった八丈島の食料問題の解消
  •             八丈島の住民を移住させ、開拓民として食料の栽培の確保
  • 「幕府と抗議して隠居」
  •             老中久世は孝明天皇に「10年以内に必ず攘夷実行」約束
  •             政事総裁職の松平春嶽に進言「開国貿易と富国強兵」
  •             春嶽は紀州派への弾圧と老中・幕臣等の減石、蟄居で諸藩が幕府から離れていった(反幕府勢力となっていく)
  • 「完全蟄居・隠居時の訪問者」
  •             長崎海軍伝習所を一緒に設立した永井尚志
  •                         水野の上京クーデター経緯と幕臣の拍手喝采
  •             小笠原視察に同行した外国方役人田辺太一
  •                         ヨーロッパ視察後の攘夷派は世界に遅れを悟った事
  •             川路聖謨 
  •                         老中堀田の開国への強い意志、川路は開国に懐疑的
  •             ジョン万次郎
  •                         日本に対する賠償金の高さは法外
  •             八丈島の地役人菊地作次郎
  •                         朝陽丸で八丈島へ凱旋、礼金でもらった褒美にお礼
  •             福地源一郎、横須賀造船所設立での通訳者
  •                         薩長からの密国者があったことの事実を確認
  •             外国奉行の後輩阿部正外
  •                         連合艦隊からの圧力から兵庫開港で苦労した経緯

 


外国語を覚えるコツ

2018-07-26 08:48:12 | 旅行

@外国語(会話)を覚えるのは実際難しい。世の中に「聞いていれば自然に覚えます」とは普通の人では到底無理だと感じざるを得ない。基本的な文法、発音、単語を知らなければ聞いても全く理解しないことは誰でもわかる事。 短期で会話を覚えるには、筆者の経験(英会話)から英語は中学、高校等で上記の基本があると想定すれば、あとは「環境と経験」だと確信する。3ヶ月間英語だけの環境(日本語が通じない、日本人がいない)に住む事である。人は「追い込まれると吸収力が全く違う」とつくづく思う。会話で一番重要な事は、「発音と習慣」。現地の人々の発音とその会話構成に慣れること。学校で習う文法は会話では通用しないことも多いから聞き慣れることも大切。 それにもう一つのコツは、現地の子供達と遊ぶこと。日本の遊びを教えたり、折り紙を作ったりとなかなか子供達に教える事も会話の慣れに適している。「なぜ子供と遊ぶ事がいいのか?」 それは子供は、貴方が言葉のハンディーを持っている人と感じなく普通に話しかけ、貴方は必ずジャスチャーも使う羽目になる、これは会話の重要なツールになり、「伝える事・教える事」の重要なコツを蘇らせるからだ。 この著書ではまず読む事から。

『世界一簡単なフランス語の本』中条昇平

  • フランス語は読めればできる、話せば解る
  • 単独の子音と語尾のe, c , g , s, t は発音しない
  •              monet モネ blanc ブラン long ロン estエ
  • je ジュ(私)、me ム(私を)、te トウ(君を)
  • le ル(その)、 ceス(それ)、 neヌ(ない)、 deドウ(〜の)
  • a, i, o  (アイオ)u(ユ)
  • ch (シュ)キャベツ chanson シャンソン Robuchon ロブション
  • ci (シ)、ei (エ) Seine (セーヌ)
  • ai, ei, au, eau, eu, oi (エ、エ、オ、オ、ウ、ワ)
  • etre(エトゥル・〜である)、avoir(アヴァワル)、aller(アレ)
  • merci beaucoup メルシーボク、Bourgeois ブルジョワ
  • an, en (アン) Restaurant
  • gn (ニュ) Cologne (オ・デュ・コロニュ)
  •             Bourgogne (ブルゴーニュ)、Chanmpagne(シャンパニュ)
  • h はつねに読まない、c はスとクの2通り
  •             ca,  cu, co (カ・キュ・コ)
  • ail は(アユ)・travail (トラヴァーユ)(仕事・労働)
  • 8種類の冠詞
  •             un (アン)、une(ユヌ)、des(デ)
  •             le(ル)、 la(ラ)、les(レ)
  •             du(デュ)、dela(ドウラ)
  • grand(グラン・大きい)、Petit(プティ・小さい)Bon(ボン・良い)、mauvais(モヴェ・悪い)、beau(ボ・美しい)
  • 数の数え方
  • un/une(アン)
  • deux(ドウ)
  • trois(トゥルワ)
  • quatre(カトゥル)
  • cinq(サンク)
  • six(スィス)
  • sept(セトゥ)
  • huit(ユイトゥ)
  • neuf (ヌフ)
  • dix(ディス)
  • C’est si bon (セシボン・これは〜です)
  • Qu’est-ce que c’est? (ケスケセ・これはなんですか)
  • Bonjour(ボンジュル・こんにちは)
  • Bonsoir(ボンソワ・こんばんは)
  • Bonne nuit(ボヌニュイ・おやすみなさい)
  • Comment allex-vous? (コマンタレヴ・ご機嫌いかが)
  • Je vais tre bian(ジュヴェトゥレビアン・元気です)
  • Ca va? (サヴァ・元気?)
  • a ア bベ  cセ  dデ  eウ  fエフ  gジュ
  •  hアシュ  Iイ jジ  kカ  lエル
  • mエム  nエヌ  oオ  pペ  qキュ
  •  rエル sエス  tテ  uユ
  •  vヴェ  wドゥブヴェ  xイクス  yイグレク  zゼドゥ
  • je(ジュ・私は)me(ム・私を)
  • tu(テュ・あなたは)te(トゥ・あなたを)
  • il(イル・彼は)le(ル・彼を)
  • elle(エル・彼女は)la(ラ・彼女を)
  • nous(ヌ・私たちは)nous(ヌ・私たちを)
  • vous(ヴ・あなたたちは)vouos(ヴ・あなたたちを)
  • ils(イル・彼らは)les
  • elles(エル・彼女らは)
  • neと pas で挟めば否定形になる
  •             Ils ne parlent pas le francais en France 彼はフランス語で話さない
  •             Ce n’est pas un travail facile これは簡単な仕事ではない
  • aとde (アとドゥ)の前置詩
  •             aは〜で、〜へ
  •             deは〜の、〜から
  •             parは〜に寄って
  •             surは〜の上に

人は「第一印象」と「最初の言葉」で対応が変わる

2018-07-25 08:49:25 | 人生を「生かす」には

@初対面の場合、人は「第一印象」で覚えられる。だから「第一印象と最初の言葉」は大切だ。 特に面接官・年配者との初対面では、お辞儀、姿勢、様相、それに音声・言葉。人の印象とは不思議なもので、キビキビした発声音と顔相(表情)に興味を持つ。メラビアンの法則「7・38・55」とは言語情報・聴覚情報・視覚情報の比率である。「人は見た目」と最近は「見た目判断」も少なからずで、注意が必要だ。直感的情報を以って判断する傾向は、情報過多の世とは反比例している。思うに、「誰もが忙しくなり、欲しい情報しか選択しなくなった事」が原因かもしれない。この文化は当分続くだろう。だからお客様、上司、年配者との初対面は覚悟し、適切な「最初の言葉」を用意して置く方が大事だ。生まれ持った顔は変えられないが、誰でも出来ることは笑顔・いい顔を普段でも作ることで印象は変わる、それと好印象を持ってもらうには、ちょっと違った「最初の言葉」も必要かもしれない。「今日はお会いできて最高の日になると思っています。もう少しご教授お願いします」、「ご講演のXXというお言葉、感銘しました。是非XX様の尊敬するまたは参考になる書籍、著名人がありましたらご紹介ください」など。

『会話は最初の言葉が9割』向谷匡史

  • コミュニケーション弱者のための救済の書
  •             「最初の一言」
  •             お辞儀の仕方、笑顔、視線、謝罪、自己紹介
  •             挨拶・姿勢(礼儀態度)
  •             3つのネタ=天気・季節・場所
  •             自己紹介は起承転結・転を省く
  •             年長者には「教えてください」
  •             背筋を伸ばし、力強い足取りで歩く、大きな声でキビキビと
  •             陳謝「どう言い繕えば納得してくれるか」では無く素直に説明
  •             最初に言ってはいけない言葉
  •                         「お忙しいですか」「ご苦労様」「感心しました」
  •                         「お忙しいのにすみません」
  •             葬儀式場では言葉をはっきりと
  •             「このたびはご愁傷様でした。謹んでお悔やみ申し上げます」
  •             着席する「上座」「下座」を理解する
  •             訪問時の言葉
  •             「ちょっと近くまで行くのですが、お時間いかがでしょうか」
  •             「同」マジック+人間関係を知る
  •                         同郷・同窓・同業・同好・同朋
  •             お礼の挨拶
  •                         「ご馳走さまでした」は禁句
  •                         簡素に「ありがとうございました」
  •             最初に結論ありきで進める
  •             僧侶の世界「1声、2姿、3男」
  •                         読経の声がいい事、後ろ姿、容貌
  •             表情は相手の心に伝染する+笑顔を作る
  •             語尾の「です」「ます」をはっきりと
  •             4つ話をして、6つ聞く

謝罪に対する心構え

2018-07-24 10:31:27 | 経営・リーダーシップに必要な事

@会社の不祥事、政治家の失言など、最近は頻繁に世間を騒がしている出来事が多い。そこで大切なのが「謝罪に対する心構え」である。記者のみならずツイート等で大炎上する人々(会社)を見ているとやはり一般の人々の思いとは少々違い、「我が身」をかばうことで同情も、賛同もできない状態に自らを追い込み落ち込む。会社であれば総務・広報関係者は的確な対応を取らなければ会社の存続さえ左右する事態になる。 会社の代表としての素早い対応とその言葉一字一句を慎重に選別、的確に発信する必要がある。一部慣れている政治家は、人、事、物に対する切り回し方は実に巧妙で繊細さも感じる。 真実、信憑性は「話さなければ伝わらない」が、切り出し方一つで奈落の地に堕ちた政治家も多い。 世間の人に好感度を与える「その一言・一節」、参考にしたい。特に素早い対応をする場面とその表現内容、その後に出来る、あるいは出来た対応と姿勢は重要視すべきだ。

『絶体絶命をチャンスに変える』向谷匡史

  • 「ピンチをチャンスにできた人だけが出世する」ヤクザ式切り返し術
  •             「切り返しは感情的になったら逆効果になる」
  •             「総論たっぷり、各論スルー」問題の本質を探る質問にする
  •                         小泉進次郎
  •             安易な謝罪は口にしない。謝罪=悪事で墓穴を掘る
  •                         山尾志桜里
  •             スキャンダルを認め、潔い態度を見せる
  •                         橋下徹
  •             「ブレない答弁で論点をすり替える」
  •                         小泉純一郎
  •             新たな視点を持ち出して煙に巻く・問い返す
  •             立場が違っていれば牙を向く必要がない
  •                         吉田茂
  • 「各論にこだわる人、総論が見えない人」
  •             謝罪の本質を見誤らない(誰に何を謝罪するのか)
  •             「幕引き」の謝罪で幹部が話すべきことは(上が謝罪する)
  •             金の渡し方で誠意がわかる(頭を下げて渡せ)
  •             「不徳の致すところ」(誤解させたこの私にある)
  • 「言い訳を謝罪に変えられる」(非を直接認めず、誤解で勝負)
  •             日本人は理屈や合理性より、精神性を好む
  •             気持ちは言葉にしなければ伝わらない(謝罪の一声)
  •             余計な言い訳はしない(臭い物に蓋をする)
  •             本気度はレスポンスの早さに比例する(誠意を持って)
  •             結論から明確にして話す(スタンスを明確に)
  • 「きついことを見事に切り返す」
  •             失言の分岐点(そうかもしれないと思わせる)
  •             「そうでしょう、皆んさん」(それもそうだと思わせる)
  •             クレーム対応の鉄則はムキにならないこと
  • 「仲間を増やす人、敵を増やす人」
  •             申しひらきは「組織のため」を強調する
  •             釈明で「私の事情」を使うな(大義で言い逃れる)
  •             「私は悪くはない」は言い逃れ(アウト)
  •             「なるほど、ごもっとも」(格が下がると反発)
  •             「誠意を見せろ=金目当て」は禁句
  • 「経営のトップの謝罪とは」(松下幸之助)
  •             「被害者の皆様への対応と、原因究明のための体制づくりが急務です。その後で、時間は十分に取らせていただきますので、今はこれでお願いします」

賛成多数の意義

2018-07-22 07:38:52 | 世界の動きから見えるもの

@「国民国家」とは外国からの不正侵害を押さえる力のある国。世界の国々の独立は正に「軍事力・富国強兵」によって生まれ、再生され、強者によって主導されてきた。人間の醜い争いは至る所で発生、多くの国民が犠牲になった。どんな政党でも長期政権は何処かで破綻、崩壊している。それは、人間の怠慢、愚業、貪欲差等が全てを物語っており、そこには必ず宗教思想的な存在も左右している。人は不安定になればなるほど何かに頼り、期待したい。今のトランプ政権は、過去の実現不可能だった事を一気に覆すべく「何かを変える」事に集中しており、国民全てが賛同する事は無くとも「変化」を求める国民性がここに現れた現象だ。 「賛成多数で物事が決まる」(民主主義)は今後どこへ行くのか、「賛成多数」であれば全て思いのままになる独裁政党も飛び出す可能性も大だ。 話が変わるが、日本は現在自由民主党含め11党+無所属=衆参合わせて707名の国会議員がいる。年間国会議員費用は一人当たり約1億円(http://asean-info.net/jijilog/17041301-salary-of-diet-member/)今回6議席増で約6億円の税金が使われる事になる。 対費用効果を見れば誰もが超が付くほどアンバランスだと感じるだろうが政治家は別だ。国民目線の「メス」は誰が入れてくれるだろうか。だが、「賛成多数」制度では無理だ。

『世界の歴史は嘘ばかり』倉山 満

  • 国民国家論
  •             国史というものは自国の都合のいいように書かれていると言う事実、「疑わしきは自国に有利に」である
  • 「典型的な国民国家フランス」
  •             フランスには世界史という科目がない、フランスが中心
  •             先祖はガリア人、最盛期に君臨したのがシャルルマーニュ
  •             中世ヨーロッパではローマ法王が国王を破門にできた
  •             1517年ルターの95か条意見書で宗教改革が始まる
  •             1598年ユグノー戦争でアンリ4世が制覇(ブルボン朝)
  •             ブルボン朝はルイ16世が処刑されるまで続く
  •             ルイ16世の時代に人気のあった財務長官ネッケルの罷免
  •             1789年バスティーユ監獄が襲撃、共和国フランス成立
  •             パリ市と王室の白を加えた3色国旗となる
  •             王政・共和制・帝政・王政を繰り返したが、軍事的に強国
  •             1793年徴兵制、国民軍の創設、王権中心から国家主義へ
  •             1793年マリーアントワネット等のギロチン「平和思想」
  •             1799年クーデター、1804年ナポレオン皇帝誕生
  •             国民軍の士気が高く、用兵術で連戦連勝、3倍の速さ
  •             1812年ロシア遠征に失敗、1813年エルバ島へ島流し
  •             言語統一されフランス語が普及、フランス国家成立
  •             1815年ブルボン朝復活、1851年ナポレオン3世皇帝
  •             1871年普仏戦争で敗退、アルザス・ロレーヌ奪回を図る
  •             1890年ビスマルク失脚でドイツを包囲、領土奪回成功
  •             1939年ナチスドイツ、第二次世界大戦、パリ無血入国
  •             1945年ド・ゴール内閣設立、憲法を改正
  •             1944年〜46年アフリカ・インドシナ・ベトナムを解放
  •             1945年官僚養成学校「Ecole nationale dadmininstration」
  •             2017年第5共和制での安全保証・軍事と外交の強化
  •             核ミサイルの発射権限は大統領となり、ドイツvsフランス
  • 「現代のフランス問題」
  •             政教分離政策が原則で、フランスには人種統計がない
  •             旧植民地住民の移住と移民問題
  • 「ナチズムの中国国家」
  •             民族弾圧で国民国家化を目指す中国
  •                         チベット・ウイグル・モンゴル、元は共和国だった
  •             中華人民共和国は1949年、まだ70歳に満たない国家
  •             中国=対外侵略・歴史の改ざん・上層部特権・農民の反乱
  •             勝ちさえすれば暴力も陰謀も合法
  •             現在の中国語には大量の日本語が含まれている
  •             清朝時代を取り戻そうとする習近平
  •             朝鮮半島・韓国・朝鮮は中国の一部
  • 「国民国家への道を塞がれた韓国」
  •             中国鄧小平、韓国全斗煥は親日度が高かった(日本の経済援助)
  •             朴正煕から一転して反日政策・日韓外交停止
  •                         慰安婦問題・靖国問題等歴史問題の繰り返し
  •             主権国家にさえなっていない文在寅
  •                         軍国主義国・反日体制での政策
  • 「帝国ロシア」
  •             3つの公国ルーツ・ノボゴルド・キエフ・モスクワ
  •             キエフ公ユーリー・ドルゴルーキーウラジーミル大公国
  •                         モスクワにある木造要塞はクレムリン
  •             1683年オスマン帝国による第二次ウイーン包囲作戦後、ロシアがヨーロッパだと認められる契機となった
  •             1721年ロシアはロマノフ朝ピョートル大帝が国号とする
  •             第一次世界大戦後、帝政ロシアはレーニンソ連に乗っ取られる
  •             1922年ソ連建国、レーニン主義、独裁を強固
  •             1991年ソ連崩壊、核戦争と人類滅亡の東西冷戦の終結
  •             ゴルバチョフ書記長、ソビエト連邦・大統領制を導入
  •             ロシア連邦大統領・ボリス・エリツイン・国家主義
  •             アメリカクリントン大統領によりエリツイン政権を妨害
  •             ウラジーミル・プーチンが大統領、エネルギーガスプロム代表
  •             上海協力機構(軍事同盟)仮想敵アメリカ、中国と資源開発
  • 「人工国家アメリカ」
  •             1776年7月4日独立記念日(13州)
  •                         1773年イギリスとのボストン茶会事件
  •                         メイフラワー号先行入国「While-Anglo-Saxson Protestant」
  •                         パリ条約・イギリスがアメリカ独立戦争終結・独立承認
  •             1880年代は米国・メキシコ戦争 カリフォルニアを獲得
  •             西は金鉱脈、北部は商業資本、南はプランテーション経営
  •             1860年南北調和のリンカーン大統領誕生                                                    「白人と黒人との人種の分離」を唱える
  •             1861年4月南北戦争勃発・62万3千人の戦死者(5年間)
  •                         第二次世界大戦より死者数は多い
  •             リンカーンの演説「連邦の統一が第一、奴隷制度は二の次」
  •             1865年アメリカは合州国から合衆国になる
  •             ケネディー大統領「民主主義国で人権が尊重された国、白人だけは」とイタリアン・ヒスパニック系も差別対象となる、2000年以降人種人口では黒人を上回っている
  •             アメリカは2大政党、「民主党が戦争を起こし、共和党が収拾する」と言われる。共和党の政権では外交が酷い
  • 「ヒトラーの民族主義から国民国家ドイツ」
  •             ドイツの先祖はローマ時代のゲルマン人「フランク王国」
  •             フランク王国が3分割(30年戦争オスマントルコ・フランス)
  •             1815年にナポレオンのロシア遠征に失敗、ドイツ連邦成立
  •             1862年プロイセンの首相にビスマルクが就任「鉄と血」
  •             1700年軍事力強化から富国強兵・ドイツ帝国牽引
  •             1871年フランスのベルサイユ宮殿でドイツ帝国創設式典
  •             1888年ドイツ工程がビィルヘルム2世、植民地政策拡大
  •             1918年第一次世界大戦で敗退、天文学的な賠償金を負う
  •             1929年世界大恐慌、ドイツも暗転、極右政党ナチス登場
  •             1933年ヒトラー政権発足、その間首相が14人入れ替え
  •             国民に約束した特別な経済政策はほとんどなく、軍備強化のみ
  •             ヒトラーはウイルソン主義の忠実な実践者となった
  •             1938年領土拡大、「水晶の夜」事件からユダヤ大虐殺
  •             1945年ナチスドイツは無条件降伏
  •             イギリス・アメリカ・フランス・ソ連の4各国に分割される
  •             1990年東西統一「ドイツ連邦共和国」となる
  •             戦後の首相は現在のメルケル入れて8人のみ
  •             2016年イギリスがEUから離脱
  • 「国民国家イギリス」
  •             イギリス=フランス+アングロサクソン+ケルト
  •             アングロサクソン=イングランド=デンマーク+ザクセン
  •             ケルト=ウエールズ+スコットランド+アイルランド
  •             アイルランドの人口の88%がローマカトリック教徒
  •             北アイルランドの人口の6割がプロテスタント系植民
  •             1536年ウエールズとスコットランド併合
  •             ジェームス1世の国王VS教会VS議会の3つ巴
  •             清教徒革命と名誉革命
  •             国民意識は戦争で敵を撃破する事、世界の植民地拡大
  •             1776年アダムスミスの「国富論」
  •             植民地は儲からないが植民地を持つ意義
  •                         敵に奪われたくないという安全保障の理由
  •                         プライド問題
  •                         一部特権商人の利益保護=納税者
  •             1919年から大英帝国崩壊、チャーチルの台頭
  •             第二次世界大戦後にマーガレットサッチャー
  •             国民国家を取り戻す政策、フォークランド紛争勝利
  •             国民国家崩壊させたのがトニーブレア「新しい労働党」
  •             2014年スコットランドの独立住民選挙
  •             2015年EU離脱を住民投票で約束
  • 「国民国家日本」
  •             4世紀から5世紀の大和朝廷、異国からの侵入に国民軍の活躍
  •             7世紀までに国民国家が完成
  •             「国民国家」とは独立した国であるならば、他国からの侵入を認めない力(軍事力)がある事
  •             イギリス・フランスの植民地政策はアジア人を人間扱いにしていない。植民地とは「搾取する土地」
  •             「嘘だらけの日韓近現代史」を主筆

『金』は人を裏切らない

2018-07-21 09:43:57 | 歴史から学ぶ

@「人は信用ならない生き物、その点金は決して人を裏切らない」とはこの小説の一節。 昔ほど現代の若者は出世を望んでいない。それは「責任」=「報酬」(待遇)が昔ほど見合っていないからだ。失敗すれば一切の責任を負わされ、場合によっては引責退職を余儀なくされる。そんな責任ストレスを背負いながら働かなければならない現代ビジネスは自然と「ノーリスク・ノーリターン」に偏る傾向になるが、企業としては「ノーリスク・スライトリーベネフィット」(最小限のリスクで薄利)がどの組織・会社も当たり前になりつつある。 こんな状態であるから、会社の成長は見込めず、東南アジア諸国の成長と発展を比較すると大きく出遅れ始めている。 アジア諸国の素晴らしい事は、レガシー的な物・人・組織(障害物)が日本と比較して少なく最新技術の導入が素早い、よって効率も収益性も高い。従って直接若者への還元(報酬・待遇)に繋がる。「何事もお金次第で事は解決する」ではないが、少なくともバランスのとれた「待遇・責任」が欲しい。それには評価基準(成果報酬・過程・起案・リーダシップ)を思いっきり見直してもらうことも一つだ。

『鬼役』坂岡真

  • 将軍毒味役を務める御膳奉行、又の名を「鬼役」。18年間鬼役を務めてきた矢背蔵人乃介にはもう一つの「暗殺役」という隠れた顔があった。ある日、蔵人乃介は非道の御用商人を成敗する。しかし、そこから幕閣の陰謀に巻き込まれ、豊富な脇役たちを取り揃え、蔵人乃介の田宮流居合術の「剣」が巨悪を裁く。
  • 天守金蔵荒らし
  • 大奥淫蕩地獄
  • 群盗隼
  • 惜別の宴
  • 将軍家慶は四十人もの側室を持ち、吹上御庭に吉原に妓楼とも未紛らう御殿を建て、奥女中たちを遊女に見立てて遊興に耽った。
  • 上役から金で雇われた番頭
  •             「かつてのわしは立身出世を望んだ。なりふり構わず、上役に命じられたことをはなんでもやってきた。されど、出世を望むことほど虚しいことはないと悟った。人ほど信用のならぬ生き物はおらぬ。その点金は決して人を裏切らぬ」

人の習慣は世代に継ぐ

2018-07-19 09:39:13 | 歴史から学ぶ

@「幕末4大人斬り」とは 桐野利秋 · ‎田中新兵衛 · ‎河上彦斎 · ‎岡田以蔵。幕末は様々な志士が目的達成の為多くの人々を暗殺、殺戮した。西郷隆盛が結成し、軍用金を目的で江戸を混乱させた「赤報隊」など、極め付きが新政府軍側の執拗な会津藩・庄内藩攻めにおいて、下級武士の暴虐、殺戮、強奪、強姦など傲慢な姿勢行動をその後の日中戦争まで引き継いだとある。「勝者の権利」として様々な冒瀆が許された事実は、時代・世代を超えても人に引き継がれたことを証明している。嘘で語った勝者の歴史も時代と共にその残虐さを知らされることになる。「戦争」とは殺合い、分捕りであり、恨み・辛みが積み重なるのは当たり前のような気もする。が、戦後73年目、日本は「戦争放棄」(防衛のみ)しており、最後に徴兵制度の経験者が超高齢となり、「戦争を経験したことにない世代」に移ったことは、逆に「戦争の怖さ・恐れ」等がないから、自国の防衛だけでは避けれない事態もあるだけにこれからの他国政権含め不安を感じる。

『薩長史観の正体』武田鏡村

  • 明治維新150年、嘘で固められた薩長史観
  •             明治政府がその成立を正当化するために作り上げた歴史
  •             薩長が行った策謀・謀反・反逆・暴虐・殺戮・略奪・強姦
  •             尊皇「天皇主義」は倒幕から討幕に攘夷から開港へ方向転換
  •             天皇を手の上の「玉」とし軍国主義体制へ確立させた
  • 『幕末動乱』薩長史観と真相
  • 「幕府の外国に対しての無策・無力として倒幕運動を起こす」
  •             薩摩長州に比べはるかに開国による近代化を進めていた
  •             川路聖謨・岩瀬忠震・大久保忠寛・永井尚之・江川英龍
  •             小栗忠順・勝海舟らが外国奉行として活躍してしていた
  • 「吉田松陰は至誠を貫いた教育者である」
  •             暴力革命を礼賛するテロの扇動家であった
  •             水戸藩士会沢安・尊皇と攘夷論=水戸学となる
  •             松蔭は井伊大老等の幕閣に激しい怒りを抱いていた
  • 「吉田松陰は明治維新を成し遂げた実践的な指導者であった」
  •             数々の暗殺や暴発などテロ行為を正当化とする教えだった
  • 「西郷は敬天愛人を掲げ無私の心で成し遂げた功労者である」
  •             僧侶を殺し、江戸を混乱させ、同調者を見殺しにした策謀家
  •             月照と無理心中しようと海に飛び込んだ(殺戮思考があった)
  • 「尊皇攘夷派孝明天皇の真意で実行した薩長は忠臣である」
  •             薩長は天皇を「玉」と見立て利用、政権を奪う醜悪を繰り返す
  •             長州藩長井雅楽は開国し交易を行い日本を富む夢を持っていた
  •             薩摩は薩英戦争後攘夷論を降ろした
  • 「京都での「天誅」は不正義な守旧派の態度を諌めるためだった」
  •             薩長の意向に沿った無謀な殺戮で幕府の弱体化を図った
  •             三条実美は孝明天皇から「不埒な国賊の三条」となじられた
  • 「下関・薩英戦争は攘夷の無謀さを天下に示す討幕開国の布石だった」
  •             空虚な攘夷に駆り立てられ無謀な戦争で日本を危機に晒した
  • 「池田屋事件は会津による長州つぶしで新撰組は凶暴な殺戮集団だ」
  •             長州は池田屋で京都を火の海に、天皇を拉致する暴挙計画した
  • 「禁門の変で薩長は戦ったがいずれも尊皇のためであった」
  •             長州が天皇に刃を向けた変で尊王主義を踏みにじる行為だった
  •             薩長の志士の共通点は女好き=高杉・桂・西郷・大久保然り
  • 「西郷は無能な幕府と日本の行く末を考え倒幕に踏み切った」
  •             勝海舟からの連合政権構想を聞き、初めて目覚めた
  •             勝から西郷へ「今の日本は国内で争う時ではない。幕府にはもはやまとめる力はないから雄藩による合議制の連合政権をつくろう」
  • 「幕府の長州征伐では幕府側を撃退させ威光を天下に示した」
  •             将軍家茂の死と慶喜の変節で幕府は撤退、敗戦ではなかった
  •             高杉は「もう攘夷は時代遅れだ。開国して西洋文明を受け入れ、国力を強くしてから攘夷をすべきだ」
  • 『慶応維新』
  • 「孝明天皇の崩御で明治天皇が即位、日本は夜明けに向かった」
  •             孝明天皇は薩摩と岩倉具視の陰謀により毒殺された可能性大
  •             木戸は「玉を幕府に奪われたら我等の滅亡だ」
  •             孝明天皇の死因はヒ素による急性中毒症状
  • 「薩摩・土佐同盟で武力討幕の正当性を確保した」
  •             薩摩の討幕、土佐の平和「大政奉還」には大きな亀裂があった
  • 「討幕の密勅の正当性と幕府討伐の宣旨が下された」
  •             密勅はどれも偽造されたものだった
  •             小松・西郷・大久保はあくまで戦争で倒幕を考えていた
  • 「大政奉還は坂本龍馬と土佐藩の献策で幕府の愚かな決断だった」
  •             慶応維新というべき偉業であり無血革命で優れていた
  •             坂本は「大政奉還で戦争は起こらぬ。将軍のお心はいかばかりかと察するに余りある。よく決断された。私は誓ってこの将軍のために一命を捧げん」
  •             薩長はあくまでも幕府の所領地から軍資金を狙っていた
  • 「坂本龍馬を殺害したのは佐々木只三郎らの幕府見回り組である」
  •             龍馬は、薩摩によって暗殺された可能性が高い
  •             新撰組から御陵衛士になった伊東甲子太郎の疑い(薩摩友好)
  •             坂本死後3日後には伊東は新撰組に殺される
  • 「小御所会議は新政権下で構成に、正当なものであった」
  •             西郷隆盛の「短刀一本で」暴力的恫喝による強引な要求
  •             徳川家からの財源確保が重要であった
  • 「ええじゃないかの民衆の狂喜は伊勢神宮の「神意」に基づくもの」
  •             騒乱を起こすことによる進軍を偽装する薩摩が仕組んだもの
  • 『戊辰戦争』
  • 「江戸市中の騒乱は民衆の不満の爆発であった」
  •             幕府側を逆上させようとする西郷の軍資金調達のテロ行為
  •             相良総三率いる赤報隊約5百名は軍用金を強奪、市中を殺伐
  •             殺人、略奪、強姦、放火「薩摩御用盗」と恐れられた
  •             上野彰義隊260余名の晒し死者西郷像の見下ろせるところ
  • 「鳥羽伏見の戦いは錦の御旗を揚げた薩長の聖戦であっった」
  •             錦旗は薩長が偽造し、討幕の密勅も偽勅で正当性はない
  •             幕府側大阪城敗走後、地雷を敬遠して市民に城を解放した
  • 「錦旗に逆らった朝敵慶喜追討は当然なことである」
  •             恭順を示した慶喜追悼は武力で日本を制したい薩長の口実
  •             福井藩由利公正の新政府財政3百万両必要として募債発行
  •             御所には5百両士管区、軍資金は豪商三井・鴻池から集めた
  • 「江戸無血開城は西郷と勝海舟の歴史的な英断である」
  •             江戸城を開城させる条件は反薩長を見殺しにするものだった
  •             立役者は幕臣の山岡鉄太郎である
  • 「日本を急いで武力統一しなければ諸外国から植民地化される」
  •             戊辰戦争は内戦であり中立を保った
  • 「小栗上野介忠順は重犯罪人であり斬首されても当然である」
  •             日本の近代化の基礎を作った大先駆者(造船・為替等)
  •             岩倉・板垣・伊地知らは小栗を鳥川の川原で誅殺指示を与えた
  •             徳川埋蔵金の噂は大量の本を持ち出したことが原因
  • 「会津藩は勅命により討たれるべき朝敵・逆賊の筆頭である」
  •             松平容保は混乱を正常化させ、天皇を守り抜いた正義の藩主
  •             木戸は池田屋事件、禁門の変での会津を恨んでいた
  • 「奥羽鎮撫総監督の司令官世良修蔵は朝命により会津討伐を命じた」
  •             世良は卑劣で貪婪な挙動により無用な戦争を起こさせた
  •             5百名の鎮撫軍は会津藩と庄内藩を許せなかった
  •             世良の傲慢な行に怒った仙台藩士数名により斬首した
  • 「長岡藩家老の河井継之助は官軍には向かった逆賊である」
  •             和平を説いた河井は征討軍の理不尽な態度に挙兵した
  •             岩村の傲慢で軽率な振る舞いに山縣は怒った
  • 「朝敵会津を徹底的に討伐することは正当だった」
  •             負傷者の殺害、強奪、合歓など新政府軍は徹底的に蹂躙した
  •             敵方の負傷者は全て新政府軍により殺戮され残虐非道であった
  •             遺体は埋葬することが許されず腐敗、民家を焼き払い、家財を略奪、男女老若を殺戮、強姦した
  •             日本帝国陸軍が日中戦争で行った蛮行と類似している
  • 「会津藩以外は大した抵抗することなく降伏した」
  •             長岡藩、庄内藩も薩摩兵と互角の戦いをした
  • 「徳川家存続のために許した70万石は新政府の寛大な思いやり」
  •             静岡藩70万石は懲罰的な処置であり生活は苦しかった
  • 「榎本武揚の北海道共和国構想は決して許されるものはなかった」
  •             新政府が見捨てた困窮する旧幕臣を救うための建国だった
  •             箱館病院は敵味方関係なく治療したが敵の負傷者を暴行した
  • 「容保の命を助け斗南藩は新政府の温情である」
  •             下北半島では地を這う生活を強いられ極めて重い懲罰だった
  • 「靖国神社は天皇の赤子として国家に殉じた忠誠者の御霊を平等に祈るものである」
  •             武力によって勝ち取った明治維新は暴力と強奪、人身毀損で成り立った
  •             賊軍を排除した靖国神社は薩長史観の本質を露骨に示すもの
  •             「神仏分離令」で日本伝統が破壊され禍根を残した
  •             靖国神社=招魂社
  •                         戊辰戦争の官軍側戦没者三千五百八十八名
  •                         尊王運動で亡くなった「国難殉難者」
  •             土佐勤王党・坂本龍馬・中岡慎太郎・久坂玄瑞・真木和泉
  •             会津藩・長岡藩等「賊軍」は誰一人祀れれていない
  •             西南戦争「朝敵」西郷や桐野は合祀されていない
  •             日清日露戦争・太平洋戦争で戦没した軍人246万6千人
  •             「朝敵」を徹底的に排除した長州・薩摩の明治政府の神社

日本独特の表現

2018-07-17 08:49:53 | 人生を「生かす」には

@日本語の難しさ。正しい日本語を外国人に教えるは非常に難しい、それは同じような言葉であっても環境によって違った意味を持つこともあると言う事。例として、ここにある「あと」と「さき」。現代語は従来の使い方から変化している場合も多くある。間違いではないが、世の中の理解がそうなってきた事に不思議感を持つ。 例えば「絶対」とか「決して」と言う言葉。なんとなく昔の人から言わせると現代の意味とは違っている。また、文書配列も変化しているが誰も指摘しないし、皆それなりに理解し通じている。特に英語の意味と日本語の意味が全く違っても平気で使っている人もいる。例えば「スマート」VS「Smart」は同意語では決してない。人は教えることで新たな発見をする。教える立場で物事を学び、教訓としたい。 因みに「日本語のスマート」は、体がスリムとか態度が洗練されているとするが、「英語のsmart」は頭が良く賢い、無駄なく手際が良いの意味。どうしてここまで全く違った意味で通用しているのか不思議だ。日本(人・語)の特殊性をもっと勉強しなければ。

『言葉の雑記控』倉持保男

  • 「あと」と「さき」
  •             さきのことを考えずにやるからこうなる
  •             あとのことを考えずにやるからこうなる
  • 「さき」は未来に属する事態を捉える
  • 「あと」は過去に属する事態を捉える
  • 「かもしれない」は50%の確率
  • 「なければならない」と「なければいけない」
  •             道路交通法を守らなければならない
  •             そろそろ会社に出なければいけない
  • 「なければならない」は選択できる可能性が少ない場合
  • 「なければいけない」は選択の余地がある事態
  • 「おざなり」と「なおざり」
  •             そんなおざなりの言い訳が通ると思っているのか
  •             事故を起こしたものは、なおざりの謝罪に終始する
  • 「おざなり」は相手を必要とする行為に使う
  • 「なおざり」は必ず相手を必要としない
  • 「たま」と「まれ」
  •             たまにしかいない美女だ
  •             彼女は世にもまれな美女である
  • 「たま」度数は決して多くないこと、現実が十分予測できる様子
  • 「まれ」可能性が絶無とは言えないが、現実ほとんど予測できない
  • 「見える」と「見られる」、「聞こえる」と「聞ける」
  • 「見える・聞こえる」行為の主体の意志や欲求とは関わりない
  • 「見られる・聞ける」意志や欲求を抱いたりする際の様子
  • 「で」と「に」
  •             居間でテレビを観る
  •             今にテレビを置く
  • 「で」は広域・動作を伴う、「に」狭い・存在する
  • 「かんとびん」かんはオランダ語、びんは漢語
  • 「さわり」とはもともと一番の、最も、感動的なという意味
  •             曲のさわりの場合冒頭の部分となってしまった
  • 「役不足」と「力不足」
  •             役不足=割り当てられた役目が軽すぎること
  • 「残る」と「残す」、「余る」と「余す」

「勉強不足」は足を掬われる

2018-07-14 09:32:01 | 歴史から学ぶ

@西郷隆盛とは一体どんな人物だったのか。福沢諭吉の評価は一言「西郷の罪は不学にあり」としている。人当たりは良く、周りに信頼されている人でも学識・情報等に欠ける人材は交渉すると即座にそのボロが目に付く。西郷はそれを見せないがために「テガ」(本文注釈)文化を尊重したのか。「岩倉使節団」を見ても岩倉・大久保等は外国との交渉・知識・経験がなく単なる大名視察に終わっていることを考えるとその当時の「幕末江戸の4傑」は凄い人材がいた。例えば、為替相場交渉で日本を優位にした小栗忠順ら。現代でいう政治家・会社役員の2世・3世等の「成上り出世」「親の七光り」は、全てでは無いが、一般的な苦労・苦痛・辛抱などなく、ましてや底辺の人の苦労等は理解できる筈もなく、発する言葉は巧みだが実感が伴わないから中身も薄く、感動に乏しい。「西郷隆盛」は幕末・明治維新の勝者と敗者を経験していることが現代人にとっては「歴史を学ぶ」良いお手本になっていると思う。

『大西郷という虚像』原田伊織

  • 「官」と「賊」を往復した西郷を解明せずに維新の実装は語れない
  • 福沢諭吉「西郷の罪は不学に在り」
  •             度量が偏狭で協調性がなく、一度敵と見たものはとことん憎む
  •             粘着性を持ち、好戦的で常に独走する
  •             死商人グラバーと組み、密貿易で長州に武器を渡す
  •             江戸でテロ集団「赤報隊」に無実の人々を殺させ、騒乱を創る
  •             グランドビジョンもなく倒幕に突き進む
  • 「天璋院篤姫」
  •             「薩摩おごじょ」=気立てが良く優しくが芯の強い薩摩女
  • 「加藤清正」肥後人に愛された理由
  •             農業行政に長け、灌漑を整え、河川を改修、洪水を防いだ
  •             干拓を行なって農耕地を増やした
  •             測量技術、土木技術に明るく、強固な熊本城を建築
  •             牽牛さ、防御力に優れた特性(石垣の組み方・反り)
  •             秀吉は島津の蓋的役割の城を築いた(肥後VS薩摩)
  • 「関ヶ原の戦い」薩摩は西軍=島津の退き口・捨て奸・妙円寺詣り
  •             薩摩が幕府を倒すに至る心底の動機はこの敗戦が要因
  •             薩摩隼人の凄み・執念が「怨念」として続いている
  • 「西郷と島津斉彬」
  •             第10代斉興「お由羅騒動」、側室の子久光への思い
  •             祖父「蘭癖大名」(西洋かぶれ)5百万両の借金
  •             調所広郷による財政見直し、密貿易で2百万両の蓄えを得る
  •             斉彬派への制裁、蟄居・島流し・切腹
  •             槍奉行赤山・切腹処分で西郷はその血染めの肌着を受ける
  •             独り身になった斉彬は西郷・大久保等抜擢
  •                         「役に立つ人間は俗人に誹謗されるものだ」
  •             「器量のない小人、度量の狭い人物であっても、時に役立つこともある。意のままにならないからと言って切り捨てるのではなく、うまく使いこなす度量を持たなければならない」
  •             「郷中」(教育)が育んだ「テゲ」(詳細実務は下に任せ上は責任を負う)文化
  • 「西郷の幕末動乱」
  •             島津久光と西郷は最後まで上手い関係にはなれなかった       
  •             1度目の島流しから戻ってきたのは「誠忠組」からの信頼
  •             「寺田屋事件」久光の過激派鎮撫
  •                         坂本龍馬暗殺の「寺田屋事件」とは違う
  •                         寺田屋は鳥羽伏見戦い後、焼失しており昭和30年再建
  •             寺田屋事件前に西郷は久光の命に背き2度目の島流しにされる
  •             密貿易を生業としていた薩摩は「攘夷」を藩論としていない
  •             三条実美、姉小路公知等の長州派・過激派が朝議をリード
  •             土佐の山内容堂、福井の松平春嶽、久光も国元に戻る
  •             孝明天皇の勅諚で長州過激派を国賊としたが、長州は反撃
  •             蛤御門の変にて会津・桑名VS長州、薩摩が幕府を援軍
  •             長州の密輸(薩摩藩経由・米との交換)小銃4千梃
  •             グラバー商会は薩摩と契約、密輸商品を長州に横流し
  •             「薩長同盟」は坂本龍馬ではなく伊藤俊輔、井上多聞が仲介
  •             幕府もグラバー商会へ大砲35門発注、支払いするが引渡無し
  •             家老小松帯刀によって西郷は赦免、軍部役諸藩応接役
  •                         「禁門の変」にて西郷が登場する
  •             岩倉・西郷・大久保は偽の勅許「討幕の密勅」を発布
  •             開国は1797年長崎出島へアメリカ商船は13回寄港
  • 「軍事クーデター」
  •             慶喜の将軍辞職を勅許する
  •             京都守護職・所司代を廃止する
  •             江戸幕府を廃止する
  •             摂政関白を廃止する
  •             総裁・議定・参与の3職を設置する
  •             西郷の議定に対する一言「短刀1本あれば片がつく」
  •                         問答無用!はこの時に生まれた言葉
  • 「赤報隊」
  •             西郷により結成、西郷により抹殺
  •             江戸において幕臣や佐幕派書はんを挑発させる
  •             放火・強奪・略奪・強姦・強殺を繰り返し薩摩藩邸に逃げる
  • 「江戸幕末の4傑」
  •             岩瀬忠震・水野忠徳・小栗忠順・川路聖謨
  • 「無血開城という美談」
  •             静寛院宮(和宮)と天璋院篤姫による嘆願
  •             西郷は「静寛院宮とてやはり賊の一味と成りて」
  •             山岡鉄太郎の仲介(勝海舟・西郷隆盛面談)
  •             西郷は180cm、体重110kg、江戸末期の平均身長157cm
  • 「戊辰戦争終結と会津戦争」
  •             薩長のテロリズムと「恭順」という概念で推し進めた
  •             長州の恨みVS会津藩戦争へと追い込む
  •                         世良修蔵の会津藩降伏を受け入れず執拗に戦闘
  •                         仙台藩が怒りに爆発、世良を斬首する
  •             薩摩藩主との関係から西郷は岩倉の賞典禄を拒否
  •             岩倉は西郷に藩主を上回る官位を与えるという愚行をした
  •             岩倉・木戸の私的欲望から発した賞典禄、資源は奥羽列藩領
  •             分取りは下記に配分された
  •                         三条実美32歳、岩倉具視44歳、西郷吉之助42歳
  •                         大久保一蔵39歳、木戸孝允36歳、山縣有朋31歳
  •                         井上多聞34歳、伊藤俊輔28歳
  • 「新政府の腐敗」
  •             山城和助事件=陸軍省疑惑・山縣有朋部下と商人の癒着
  •             尾去沢銅山事件=井上馨の権限悪用で銅山を奪い取る
  •             木戸分子、山縣有朋、井上馨、槇村等の権力・金銭欲腐敗
  •             小栗忠順と江藤新平等は誠実で秀才だったが斬首された
  • 「西郷の判断と岩倉具視の使節団」
  •             江戸開城後は、西郷の日の出の舞台がなく消極的になる
  •             「明治6年政変」御一新として下記を変革
  •                         華族・士族・平民相互の通婚の許可
  •                         ・の名称廃止と職業の平民化
  •                         華族・士族・農民の職業選択自由の許可
  •                         人身売買禁止
  •                         寺社仏閣の女人禁制廃止
  •                         徴兵告諭の布告
  •                         地租改正・戸籍調査・学制頒布
  •                         電信・鉄道施設
  •                         太陽暦の採用
  •                         郵便制度の実施・裁判所の設置
  •                         実務は大隈・板垣・山縣・江藤・井上が担当
  •             征韓論論争で政府内が分裂
  •                         朝鮮派遣は形式上全会一致で決定、大久保・岩倉が辞表
  •                         その後の閣議で覆される(岩倉の廟堂の法に違反)
  •                         西郷・板垣・江藤・後藤・副島が辞職
  •                         新政府に対する失望と怒りで西南戦争へとつながる
  •                         1889年代日本国憲法発布時に西郷には「賊」の汚名
  •             岩倉使節団=2年半も留守にする豪遊視察(新政府からの逃げ)
  •                         大隈重信の使節団案を岩倉がすり替える
  •                         アメリカ全権交渉委任状がなく大久保・伊藤が帰国
  •                         岩倉・木戸は無知で交渉できず挫折
  • 「西南の役」
  •             16日間の戦争(大久保VS西郷)
  •             弾丸は30数万発、川上は長さ8km、幅6km
  •                         「2百3高地」以上の攻防戦であったという(乃木希典)
  • 「その他の乱」
  •             西南の役5年後での様々な乱が不平士族を中心に勃発
  •             「佐賀の乱」「神風連の乱」「秋月の乱」「萩の乱」
  • 福沢諭吉の言葉
  •             人が権力を握れば、それが誰であれ必ず腐敗する。その時「抵抗」することが肝要なのだと。その抵抗が西郷の精神にあったと。

「若者の熱意・夢」

2018-07-09 08:40:37 | 歴史から学ぶ

@「新撰組」。多くの若者の志を掴み、負けを覚悟しながら最後までその志を貫いた戦士たちの実話である。その時代の「志」は少々疑問も残るが、考えるに建前は「朝廷・幕府用人を命を懸け守り抜く事」、本音は、「身分制度を超え農民にも力を、家族を守り、もっと楽な安定的な暮らしを望んだ」のか。近藤勇の辞世「義を取り、生を捨てるは吾が尊ぶところ」、土方歳三の辞世「たとえ身は蝦夷の島根に朽ちるとも魂は東の君や守らん」。 両者とも必死に生き抜き30半ばで果てるが、最後の最後まで貫き通す意志の強さは本書を通じても心にジーンと響き言葉では表せない。 現代はこのような状況など想像も出来ないが、34歳、35歳等で人生をここまで人のため、世のため(多分)全うできるだろうか。 疑問なのは、なぜ、どのようにこのような心境になり、最後までその意思と行動を貫き通せたのかである。 それは「大きな将来の夢があった」のではないかと想像するしかない。「夢」「希望」「願望」、それができるのは「若さと行動」、それをこの新撰組、会津藩、それと大鳥圭介等は魅せてくれたと思う。

『新撰組実録』相川司・菊池明

  • 「新撰組」は多摩出身の近藤勇、土方歳三らが京都での市中警備の活躍、その後江戸から奥州、そして箱館戦争まで敢然と戦い抜いた戦士たちである。結成からわずか7年、若き「血気夢中時代」・「誠義」を追い求めた若者の夢だったに違いない。
  • 「浪士募集」
  •             尽忠報国の志を元、公正無二、身体強健、気力壮健、貴賤老少
  •             2つの中核・近藤勇グループと芹沢グループ(13人)
  •             その後内部に佐幕と勤王とに分裂、殺傷事件となる
  • 「京都見廻組」
  •             幕府・講武所剣術型師範佐々木只三郎による清河八郎殺害
  •             佐々木等は坂本龍馬暗殺を指揮した人物とされている
  •             坂本暗殺は新撰組との噂を土佐藩は信じた
  • 「京都新撰組」
  •             近藤、沖田、土方等24名が「会津藩御預かり」
  •             「壬生浪士組」となり「誠忠」隊旗を掲げる、浅黄色の羽織
  •             平隊士30名参加、総員は60数名
  •             大阪力士との乱闘事件、組を乱す残虐性を強要させた芹沢暗殺
  • 「池田屋事件」
  •             桝谷の土蔵、江州の古高俊太郎の捕縛で禁門の変を知る
  •             わずか10名の新撰組近藤隊が 三条の池田屋に到着したのは、午後10時。近藤勇が池田屋の主人惣兵衛に「御用改」の旨を告げると、主人は狼狽して奥へ駆け込んだ。浪士20数名との戦いとなる。5名を殺害、会津藩が駆けつけたのは、午前零時頃。新撰組も3人が即死、沖田総司は、肺結核で逃走中に昏倒。結果浪士、町人等30数名を拘束。
  • 「明保野亭事件」
  •             新撰組の柴が土佐藩麻田を間違って槍で付き、双方が切腹成敗
  • 「長州藩浪士の京都入り」
  •             先発隊苦坂玄瑞ら300名、福原・来島ら900名、増田600名が続々と京都を目指し、伏見、嵯峨、八幡に布陣
  • 「禁門の変」
  •             長州軍と大垣藩兵が衝突、その後会津、桑名とも激戦となる
  •             新撰組は鷹司邸に潜む長州兵を打ち破り天王山を攻める
  • 「軍中法度」
  •             西本願寺を屯所とし江戸からの援助隊伊東甲子太郎が加わる
  •             近藤の「兵は東国に限り候」とし関東から70名が参加した
  •             戦線離脱を許さず、組頭以外の遺体収容を認めない規律発布
  •             新撰組の総数は140名
  •             会津藩は新撰組を「規律が厳粛で志気勇敢、水火と雖も辞せず」
  •             伊東からの「局異論分離」(陵墓警備)で分離することになる
  • 「鳥羽伏見の戦い・大政奉還」
  •             新撰組は総勢157名
  •             スパイ容疑等で伊東らを本光寺にて殺戮
  •             御陵衛士小林らは近藤勇の殺害を計画鉄砲で肩重傷させる
  •             白兵戦を挑む新撰組は薩摩等の軍備の違いから伏見奉行所敗退
  •             慶喜の東帰恭順、老中板倉勝靜、会津藩主松平容保、桑名藩主松平定敬、近臣らが大阪城撤退
  •             幕僚等も江戸帰還を決定、近藤、土方等は籠城論を展開したが幕府軍とともに江戸に帰還
  •             新撰組隊員は重症の22名を横浜で下船させ、近藤、土方、沖田等含む品川に63名、医療館28名、総勢116名
  • 「幕府の動向」
  •         海軍の榎本は「慶喜公には腰が抜け申したか。今更恭順とは何事でござるか」と主戦論を展開。陸軍では小栗忠順、大鳥圭介、新撰組が賛同。
  •             新撰組は慶喜の警護役となり上野大慈院警護となる
  •             その後新撰組は「甲陽鎮撫隊」80名を中核、甲州へ向かう
  •             121名の部隊は東山道征討軍と戦い短時間で敗走
  •             永倉(創設メンバー)らと分裂、その後戊辰戦争等で敗戦
  •             200名を越す新撰組は個々の名前を変えて会津に向かう
  •             流山で近藤が拿捕され、その後梟首、京都で晒し首となる
  •             土方は勝海舟に近藤救済を嘆願したが、その後会津へ旅たつ
  •             土佐藩の主張で近藤勇、35歳で梟首
  •             近藤の辞世「義を取り、生を捨てるは吾が尊ぶところ」
  •             沖田総司は千駄ヶ谷池尻で療養したが5月30日27歳病没
  • 「土方歳三の行動」
  •             流山の新撰組は降参したが、兵卒150名は会津に出立
  •             市川・布佐・銚子・潮来・水戸・平潟・棚倉から会津へ
  •             会津藩秋月登之助率いる伝習隊1000名も会津へ
  •             鴻の台・小金・布施・水海道・宗道・下館城
  •             大鳥圭介率いる伝習隊1000名も土方を参謀に会津を目指す
  •             鴻の台・松戸・山崎・莚打・小山から北上する
  •             土方歳三の軍律は厳しく極限に追い込む戦法をとる
  •                         箱館戦争での言葉「吾、この柵にありて、退く者を斬る」
  •             官軍の攻撃は武装、後援物資など反撃は勢いがあった
  •             方や「始終負け通し」状態となり戦力も劣勢となる
  •             母成峠での戦いは官軍2600人に対して敗走
  •             会津藩降伏後800名は水戸に押し寄せたが敗戦
  •                         「新遊撃隊」として久米部等らが離脱、明治政府に出仕
  •             榎本らを乗せた6隻の軍艦は仙台へ、奥羽列藩同盟結成
  •             榎本の「新国家」への先発隊として蝦夷に渡る
  •             蝦夷地に元新撰組は46名、23名は仙台で降伏
  •             旧幕府軍3千人、伝習隊30名が新撰組に加わり蝦夷に渡る
  • 「土方歳三の性格」
  •             負傷した布団の中から新兵卒に「汝ら吾に組みせよ」と「傲慢で人を易ずるを憎む」と言われた。「易ずる」とは侮ること
  •             兵士への信望は熱いものがあったが「すこぶる威張る」と評価
  • 「蝦夷地上陸」
  •             鷲の木浜に上陸、五稜郭を箱館政府「蝦夷共和国」を設立
  •                         総裁榎本武揚、大鳥圭介、松平太郎、土方歳三等
  •             箱館新撰組は80名
  •             1869年桑名藩家老松平定敬が新政府恭順交渉に数回訪問
  •             蝦夷政府は主軍艦を失い4軍艦のみで海軍力は失われていた
  • 「官軍の攻撃」
  •             総勢600名、3ルートで攻撃VS その3分の1兵力で防戦
  •             二股口の土方歳三は10数時間の戦闘で3万5先発の弾薬消費
  •             函館の寒川に敵が上陸したことを新撰組が見逃す失策
  •             土方はその罪を削ぐために弁天台場に出撃
  •             馬上の土方は戦死34歳、銃弾が腹部を貫通した
  •             辞世「たとえ身は蝦夷の島根に朽ちるとも魂は東の君や守らん」

「行動の匠術」

2018-07-08 08:14:26 | 歴史から学ぶ

@近くにあり、一度見学した東京世田谷にある重要文化財「代官屋敷」、改めて本書を読みその深い歴史とそこに住んでいた人々とそれを支えた周りの人々(農民)に感動した。これは彦根藩大老井伊直弼の領地「世田谷領」にある代官与一とその妻の幕末から明治維新までの実録日記である。如何に多くの農民が井伊家(大名)を支え、徳川幕府を支えたのか、その代官(首領)の役割がどれほど多くの負担と重荷を背負って生き抜いてきたのかが理解できる。農民でありながら何か出来事があるとその都度人手のみならず金銭的な奉公もしなければならないという、「絶対命令」に従わなければならない立場は休む暇もなく、農繁期でも人手を出し、貢物を出し、トコトンお世話する役割は途方もなく常に心筋苦労で短命だったのも理解できる。生れながらにして役割を全うするには自分自身を顧みず他人思いの強固な人格であり、人々を理解し束ね、行動を起こさせる術は今では考えられない「行動の匠術」と言っても過言ではないと思う。上からの「絶対命令」を如何に実現させるかだけを始終考え、実行しなければならない心境はとても現代人では出来かねる。 その行動の術がこの書にある。 古地図で江戸を知る。参考に江戸時代の地図アプリが登場、「大江戸今昔巡り」(iOS)はその時代の場所を正確に見定めることができる。江戸城の部屋位置、大名の屋敷、道路、街並みなど東京散策には手放しでは歩けない。

『世田谷代官が見た幕末の江戸』安藤優一郎

  • 「日記が語るもう一つの維新」幕末から明治維新の動きを彦根藩井伊直弼の領地世田谷の地に代官・大葉与一の妻・美佐が描いた日記、1860年から1904年までの記録である
  • 現代でも重要文化財として残る代官屋敷、周りには井伊家の菩提寺「豪徳寺」、吉田松陰の「吉田松陰神社」がある。幕末の頃は田園風景がどこまでも広がる農村だった。
  • 井伊家の世田谷領は20カ村から構成され、この大場家12代目の与一・美佐の代官屋敷は幕末の時代の荒波に翻弄され必死に生きる人々がいた。時代は井伊直弼が「桜田門外ノ変」前夜からの日記で、多くの世田谷領の農民が井伊家の為に駆り出された。
  • 1857年、与一34歳、武蔵国荏原郡中延村(品川区)の郷農鏑木善兵衛の娘美佐28歳が輿入れするが、わずか8年で与一は過労等の原因で亡くなる、家督は美佐の弟、弘之介(のちに信愛)
  • 元旦は恒例で午前4時に世田谷を出て桜田屋敷(約10km)に献上品(干鯛)を持って4名で出府、屋敷に戻るのは午後10時。正月3日間は20カ村の村役人の新年の挨拶、吸い物、酒、肴でお祝いをした。
  • 1860年3月3日、午前9時「雪」、「桜田門外ノ変」がお昼頃使者により襲撃事件を知る、「士道不覚悟」後家断絶の処分から公式記録として3月30日まで病気養生中で処理された。葬儀は4月10日で世田谷領内「豪徳寺」で行われた。
  • 大名は江戸に上屋敷、中屋敷、下屋敷の地所を設け、建物は自費で建設した。上屋敷は殿様、中屋敷は隠居した殿様や世継ぎが住み、下屋敷は、上、中屋敷が火事などの災害にあった時に避難所としていた
  • 大場家は殿様の外出時には42名の農民を人足として差し出すことになっており、駕籠を担った。法事には31名の農民が馬36頭と共に動員された。
  • 屋敷修復、火事での焼失で大工・左官としても多くの農民が動員
  • 農民は年貢米、祝儀用の品々や馬の飼料等年間で述べ6〜7千人もの農民が動員、それも無給での奉仕だった
  • ペリー来航では江戸湾海防役の彦根藩と会津藩、井伊家からは2千人を動員、御用金として1370両(約1億円超)を調達した
  • 和宮降嫁では中山道各宿場での人足は1万4千名、馬子は2千名、馬は2千頭等史上最大の人馬動員をした(京都出発は1861年10月20日、江戸入りは11月15日、江戸城入りは翌年2月11日)
  • 1863年2月13日、229年ぶりの将軍家茂の上洛
  • 同年6月16日西の丸御殿炎上、その5ヶ月後11月15日本丸炎上
  • 1864年水戸藩の天狗党の乱勃発(藤田小四郎・東湖の息子)
  •             300名を超えた党は、常陸国から下野国で攘夷を実行
  • 与一は鉄砲隊79名を佐野へ派遣、12月17日新保宿で加賀藩に降伏、乱は終結
  • 仙台藩では50両で農民・商人でも帯刀でき、百両で苗字を名乗ることが許された
  • 1865年、美佐の弟、弘之介が与一を継ぎたが、1866年武州の世直し一揆勃発、世田谷領地近くの荏原村で4〜50名の一揆、江戸の各所の米屋などが打ち壊され米価は暴騰した。この期間2百ヶ所村で460軒が打ち壊され、参加者は十数万人にも及んだ
  • 1866年鳥羽伏見の戦いで幕府権威は完全に失墜、江戸では両替商・播磨屋の1万5千両強奪、札差商人・伊勢屋宅も武装集団で3万両が強盗されるなど周辺で強盗が続発していた(薩摩藩の計略)
  • 天璋院の住む二の丸が火事で焼失、小栗忠政は薩摩藩の三田屋敷を包囲、戦争となり屋敷を消失させた
  • 1868年1月12日、慶喜は大阪から帰国、新政府軍(薩摩・長州軍・官軍)が江戸に向けて出立、江戸は混乱し、家財道具などを美佐の代官屋敷等で預かることもした。井伊家は鳥羽伏見の戦い後は、新政府軍に付き親征御用を勤める
  • 彰義隊の壊滅を機に江戸は東京に、明治天皇が江戸に入る。住民の混乱を避けるため新政府は天皇の御幸のご祝儀として計3千樽の酒を「天盃頂戴」と称した
  • 明治元年10月、彦根藩が消滅、代官の職名は郡治方執役となり、廃藩置県で世田谷領は彦根県に編入、その後長浜県となる。世田谷領20カ村のうち荏原郡12カ村を東京府、多摩郡八カ村を神奈川県となり、井伊家との公的な関係は明治5年に終わった。大官職から明治政府の行政職に転身した大場家、長男信続が継ぎた。1905年5月29日美佐は73歳で亡くなる
  • 明治2年版籍奉還で旧藩主を知藩事に任命
  • 明治4年薩摩・長州・土佐の3藩で1万人の天皇の御親兵を決定、前後くは3府72県に編成される