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地位を得るため親族家族も犠牲にする中国独裁者『孔子様への進言』

2023-06-08 07:59:15 | 歴史から学ぶ
中国の歴史に残る皇帝、政治家、思想家など歴史は「勝利者のもの」であるように勝者が都合の良い内容に書き換える、現代ではその多くの偽りが見直されつつあり今後も新たな発見、真の史実が見つかることだろう。多くは勝利者・独裁者の「欲望」から多くの民、兵士、兄弟が犠牲になった事実は隠せない。そこにどんな理由と要因が絡んでいたかなど歴史の真実、稀に面白さが今後膨れ上がってくることを期待したい
『孔子様への進言』楊逸 
「概要」毛沢東・蒋介石から孔子・魯迅まで、中国4000年の歴史で重要な役割を果たした7人が登場。教科書には載らないエピソードが満載
ー毛沢東(1893~1976)中国共産党中央委員会主席
    一般の守り神となる: どんな厄介者でも近寄れない存在だった
    四人の妻と子供・兄妹達の犠牲に権力者となる
    改革で苦しんでいた庶民の中共産党官僚は贅沢三昧で腐敗していた
    政権の安定を図るために君主にとっては自分の正当性を疑う者、知識人をも排除した
    共産党初期の幹部達の教育レベルは小学校並み(政権を奪取するには武力しかない)
    「秦を滅ぼしたのは知識人ではなく農民、字も読めなかった陳勝」
    「始皇帝など対したことはない、俺ならその百倍もやる」と数百万人の知識人等が迫害された
ー蒋介石(1887~1975)初代中華民国総統
    日本での留学で孫文と会う、辛亥革命を起こし軍権の学校の校長となる
    抗日戦に勝利した国民・共産両党が内紛を起こし大陸を追われるがアメリカが支援する
    ニクソンが中国共産党を支持したことで台湾・国民党は沈静化、息子らが民主化を推進する
    蒋介石・経国父子ともに大陸の土(墓)には未だ帰ってはいない
ー孔子様(紀元前551~479)思想家、教育家、儒教の創始者『六経』
    孔子がこだわりを持ったものは「品格」、「賤」であったから「~らしく」を重んじた
    法務大臣までになったが追放され諸国を転々とる巡礼者となる(政治家から歴史学者)
    毛沢東思想が世に横行する前までの2千年は孔子思考の天下だった
    主要な学び、思想は全て4書(大学、中庸、論語、孟子)5経(詩経、書経、礼記、易経、春秋)
ー始皇帝(紀元前259~210)
    13歳で秦の皇帝、官僚体制を確立、38歳で6国統合、11年目の49歳で没
    法家は韓非子と荀子から学び李斯を片腕に改革を行う(書同文、度同制、車同軌、行同倫)
        書同文:文字の統一
        度同制:貨幣の統一
        車同軌:車の幅と道幅の統一
        行同倫:価値観の統一(倫理道徳・行動規範:常識作り)    
    官僚体制・法治国家は中国で2千2百年続くものだった
    5度の東巡で仙薬(水銀が入っていた説)で持病の骨軟化症と気管支炎の悪化
ー武則天(624~705)皇后から皇帝へと上り詰めた女性帝王
    14歳で男勝りが才人(後妻)として宮女「後宮佳麗」にて太宗・李世民に仕える
    「女力」(皇帝の息子と出来た子をも殺害し昇格利用)し太宗の死後再び宮廷入り皇后まで上り詰める
    高宗皇帝には6男3女(武則天との間には4男2女)がいたが4男1女を毒殺等で排除
    武則天の密告システムで多くの兄弟、貴族、大臣などが刑罰を受け世を去る
    武則天の「縦情淫色」は若い男妾を囲い込み「女権」を振るう
    武則天は才能ある皇帝として科挙制度の確立、人材の採用には出身地を問わず採用した
    武則天の経歴から中国では女性の地位が上がり夫婦別姓制度など改善した
ー魯迅(1881~1936)文学者、思想家作家
    1902年に日本に医師留学、だが帰国後は思想作家となり転々と移り住む
    毛沢東に魯迅の死後に思想が利用され「中国文化革命の主将」と称号を受ける
    魯迅が「中国的」批判と嘆きはこんな文章
    「外国は火薬を使って敵を防御する。しかし中国では爆竹にして神を祀る」
    「外国では羅針盤を使って航海する。しかし中国ではそれを風水に使う」
    「外国はアヘンを薬にして病気を治す。しかし中国ではメシの代わりに食べる」
    魯迅は蒋介石(国民党)を敵としたものではなく、世の中の不条理や不公平を皮肉った
    魯迅は左翼青年を支援したが共産党を称えたと言うことはなかった



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