最近、難しいなあと思っているのは、「共感」とどれくらい「距離」をとるか
年齢的に人生折り返し地点は過ぎてるし、晩年は、体が動かないかもしれないし、頭はぼけ老人になっているかもしれない。まともな事の出来る時間も、着々と少なくなっていく。
そんな中でだんだん年をとるにつれて、「共感」の中で居心地よくいる状態にどうしてもなりがちとなる。共感に中で居心地よくいてもいつまでもあんまり変化がない。
だから意図的に「共感」から距離をとっていかないといけないと思っている。ただ、「共感気持ちよい」はたぶんほぼ世界標準の感覚だろう。SNSもTwitterもFacebookも「共感気持ちよい」感覚をネットシステム化したという面もあるだろう。世界標準からは、避けては通れないだろうかもね。
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