syuの日記・気まま旅

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南千住の地蔵

2011-11-08 | syu散歩
東海道の品川、中山道の板橋、甲州街道の新宿、それに今回の日光街道の千住、これが江戸の最初の四宿である。
多くの大名も、日光参拝の道中第一宿地として賑わっていたのだろう、千住宿は、三代将軍家光の頃と云う。
今でも町の中央を日光街道が横切っている。常磐線、日比谷線、千代田線など北千住から放射状に広がり、北都随一の発展をしている。
今日は、その「南千住」駅、日比谷線北千住の一つ手前で下車した。近くには隅田川の千住大橋がある。



「回向院」
南千住駅南方向に、江戸の処刑場である「小塚原刑場」があった。奥州街道の江戸への出入り口にあたるが、当時は、死肉を漁る
野良犬や烏等の群がる薄気味悪い場所であった。明治に入り廃止された。約20万人は処刑されたという。
回向院は、1667年に刑死者や震災の死者を弔うため創建、両国の回向院別院で、安政の大獄以降、政治犯のほとんどがここに埋葬された。

    

吉田松陰、橋本左内、桜田門外の変、坂下門事件の関係者、鼠小僧次郎吉、高橋お伝などの墓がある。
1771年に杉田玄白、前野良沢等は刑死体の解剖に立ち会っている。玄白は、オランダ語の解剖書の正確さを学んだ。
それが、「蘭学事始」に詳述され苦心の末、それが「解体新書」となった。境内に記念碑「観臓の碑」が建っている。

杉田玄白 1733-1817 外科医オランダ医書を手に人体解剖・ 橋本左内 1834-59 福井藩蘭学秀才、安政の大獄で断罪に
前野良沢 1723-1803 豊前国藩士蘭学秀才 青木昆陽、玄白と翻訳、自分の名は拒絶した。

    

「延命寺」浄土宗の寺、
現在、回向院は電車の高架により二分され、1部が昭和57年延命寺として独立したが、そこには、1741年に建てられた1丈2尺(約4m)
の延命地蔵菩薩がある。
その別命は、首切り地蔵と呼ばれているが、血なまぐさい歴史の中で多くの人々を救ってきたお地蔵さんで、今でも参詣人が絶えない。 

小塚原刑場に立っていた首切り地蔵    戯曲「吹雪花小町 静」の舞台にもなった。
    

3・11地震で地蔵に被害が出た。
  


「素戔雄神社」神石出現したことにより795年創建したと伝えられる。小塚原町、箕輪町、通新町、三河島村、町屋村等の鎮守。
 
1751-64年まで行われていたという千住大橋綱曳は、その年の吉凶を占う神事で、「東都歳時記」にその雄壮な様が描かれている。

  

1689年松尾芭蕉は、隅田川を上り、「奥の細道」の出発に「千住と云う所よりふねを上がれば、前途三千里の思い、
胸にふさがりて幻の昔に別離の泪を注ぐ」と書いている。1820年漢学者 亀田氏の句碑がある。

  

次回は三ノ輪方面へ。