syuの日記・気まま旅

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上田市と信濃国分寺

2011-11-27 | 気まま旅

浅間温泉から上田に。県を東西に貫く三才山(みさやま)トンネル有料道路(国道254号)の東側出口付近に「内村ダム・河川公園」があり、
近くに鹿教湯温泉で有名な土地。ダム湖を鹿鳴湖と命名されている。
周辺は公園として整備されており、ダム直下の河川公園では堤体を下から見上げることもできる。小型のダム。

昭和8年工夫熊倉氏が雪崩に遭い亡くなり、ひっそりと熊倉地蔵があった。

    

「湯の里天神社」と蛇塚,
三才山峠、内村ダム下ると川原町の里山、その岩肌に古い神社を見つけた。
看板に「学問の神様菅原道真公を祀り、この辺を町屋敷と呼ばれ、川原を開墾し(寛保2年)とあるので1740年頃であろう、60数戸を数える集落」ある。

ミシミシ云う本殿で参拝した。

    

上田市に入る、県東部千曲川中流盆地の中心、上田の地名は、上田荘園からで、1583年真田昌幸が築いた上田城の城下町となる。北国街道の宿場町で発展した。
江戸時代から蚕種生産が盛んであった。上田紬、上田縞が織り出されている。
明治に入り、製糸業が導入し輸出、産学合体で1910年頃に信州大学繊維学部が出来、全国に知れている。

上田駅一つ手前「国分寺駅」で車を止めた。

「上田市立信濃国分寺資料館」
国指定史跡信濃国分寺跡に建設され、信濃国分寺跡出土の鐙瓦、宇瓦、円面硯、陶磁器、土器などを中心に、
上田地方の原始から平安時代までの考古、歴史資料を常設展示。中国の戦国・漢時代などの古代瓦レプリカも多数収蔵。   TEL.0268-27-8706入館料 250円、

    

今からおよそ1,300年前の奈良時代に建設された平城京は、当時のわが国の首都でした。平城京は東西が約5.8km、南北が約4.8kmの広大な都で、
京の入口である羅生門から幅が約75mの朱雀大路がまっすぐ北へ約3.7kmのび、そこに朱雀門がそびえていました。
平城京の当時の人口は4万人から5万人、あるいは10万人とも推定され、多数の人々が生活していた。

平城京跡・平城宮跡から出土した軒丸瓦・軒平瓦・鬼瓦・陶磁器・墨書人面土器、土馬などの貴重な資料を展示。
東海道諸国の国分寺のうち三河国分寺跡、武蔵国分寺跡から出土した瓦類・文字瓦・墨書土器・陶磁器などの重要な資料も展示。
復原された平城京や国分寺の建物を写真パネルで見られた。

  

「信濃国分寺跡と万葉植物園」資料館と隣接

しなの鉄道と国道沿いにありながら、広々とした静かな公園。ケヤキ並木やドウダンツツジの列植が美しく、特に5月の藤棚は見事でしょう。
コンビニの弁当を広げここで食事。

  

「秋の七草」
「秋の野に 咲きたる花を 指折り かき数ふれば 七種 ...。 春の七草は「七草がゆ」にして食べる など、 ”食”を楽しむものですが、
秋の七草は花を ”見る”ことを楽しむものとか。


  

次回は信濃国分寺の続きと上田城