「浅草名所七福神」
浅草寺 大黒天 聖観音宗・浅草神社 恵比須 神道・本龍院 待乳山聖天 毘沙門天 聖観音宗 ・今戸神社 福禄寿 神道
不動院 橋場不動院 布袋尊 天台宗・石浜神社 寿老人 神道・吉原神社 弁財天 神道 ・鷲神社 寿老人 神道
矢先稲荷神社 福禄寿 神道
浅草名所七福神は九社寺ある。「九は数のきわみ、一は変じて七、七変じて九と為す。
九は鳩でありあつまる意味をもち、また、天地の至数、易では陽を表す」という古事に由来したことによる。
浅草名所七福神の一つ、
「待乳山・聖天」は、十一面観音菩薩を本地仏とする聖天さま(大聖歓喜天)、
仏法を守護し、仏道を行ずる人々を 守護する天部の神様であり、衆生の迷いを救い、願いをかなえると言い伝えられている。
境内に大銀杏が茂っている。
「池波正太郎」
1923年、ここ浅草の聖天町に生れ、父・富治郎は日本橋の錦糸問屋に勤める通い番頭、母・鈴は浅草の錺職今井教三の長女で、正太郎は長男であった。
時代小説・歴史小説作家。
『鬼平犯科帳』『剣客商売』『仕掛人・藤枝梅安』『真田太平記』など、戦国・江戸時代を舞台にした時代小説を次々に発表する傍ら、美食家・映画評論家。
「今戸神社」
招き猫発祥の地「今戸神社」は、伝わっているところによると、江戸時代末期、界隈に住んでいた老婆が貧しさゆえに愛猫を手放したが、
夢枕にその猫が現れ、「自分の姿を人形にしたら福徳を授かる」と言ったので、その猫の姿の人形を今戸焼の焼き物にして売ったところ、
たちまち評判になったという。これが招き猫の発祥とも言われ、現在では今戸神社は招き猫発祥の地として多くの招き猫が奉られている。
焼物として使うこの土地の粘土が良質の物だった事から、今戸焼が栄えた。沖田総司の終焉の地、幕末の志士・沖田総司の終焉の地とも言われている。
結核を患っていた沖田総司を診ていた松本良順が当時今戸神社を仮の住まいとしていたことからきている。 縁結びの神様。
「沖田総司」1842-68 新撰組天才剣隊士、白河藩士の子、一番組長を務めた。肺結核で千駄ヶ谷植木屋で息を引き取った。
神社は、1063年 源頼義・義家親子が奥州討伐の折、京都の石清水八幡宮を当地に勧進し、祈願したのが始まりであるといわれている。
山谷堀公園「今戸橋」
江戸時代の姿なのか?、今戸橋は現在の314号線にまたがってあり、その幅も長さも大きいもの。
目の前には隅田川を渡る「竹屋の渡し」もあり、多くの人が行きかったことが想像できる。生活に密着していた橋。今戸神社すぐ
次回は浅草寺方面へ