日本列島のほぼ中央に位置する松本市は、恵まれた自然に囲まれた山の都であり、西に日本の屋根「北アルプス」、東に美ヶ原高原を望むことがでる。
市は、明治21年の大火で市内・1500軒あまりの家屋が焼失し、焼け残った建物は何棟かの土蔵。大火以後、数多くの土蔵が造られるようになった。
土蔵造りといったら、中町。昔の姿の蔵、現地再生した蔵、移築再生した蔵。市内に残る蔵の数は多い。
松本城の「天守」も破損、売却の運命をたどり、荒廃、明治に有志により保存会が設立、11年間かかり修復させ倒壊から救った。
城を出ると正面が大名町通り「シナノ木並木」大名小路井戸、お城の見える井戸、大手門井戸、がある。左右近代的ビルと古い蔵の商店が並ぶ、
町の中央を流れる「女鳥羽川」の千歳橋。
「千歳橋」せんさいばしと書いてある。江戸時代には大手橋と呼ばれた木造橋だった。
1876年(明治9)に、松本城大手門の石材を使って石橋が架けられ、昭和39年に現在の橋に架け替えられた。

「四柱神社」千歳橋横にある。
天之御中主神、高皇産霊神、神皇産霊神、天照大神を祭神とし、4柱の神を祀ることから四柱神社という。
鳥居を出ると、すぐ女鳥羽川で、川沿いに小さな店が並ぶ、そこが有名な縄手通りである。カエルの置物もそこになる。

街中の四柱神社を参拝し、信州松本蔵の街中町へ出た、いろいろの蔵を見て回っていると、三味線の音がして、端唄の芸遊館がある。
お茶菓子付きで入館料¥700、端唄、俗曲、都々逸ありで面白かった。
由端どんどん節 前はアルプス 常念だけよ 東しゃ 美し浅間の湯 端唄 都々逸 また三味もいい
昔懐かし 城下町 ここは松本、中町 ドンドン。

「かえる大明神」
ご利益のありそうなカエルさんが奉られている。ナワテとカエルの関係は30年以上前にさかのぼる。
縄手通りがカエルの町として知られはじめたのは30年近く前、縄手商店街の人達が縄手のシンボルとして何か相応しいものがないかと思案したところ、
昔女鳥羽川でカジカガエルが鳴いていた頃縄手が大変にぎやかだったことからシンボルとしてカエルに決定した。
カエル大明神を奉ったのが昭和47年、そして縄手のシンボルとして通りの東西入口のカエルの石像が登場したのは平成元年のこと、
縄手の人々の思いをのせて、地域のシンボルである。

「 鈴木鎮一記念館 」
鈴木鎮一記念館は、松本市名誉市民の故鈴木鎮一氏が、昭和26年から平成6年まで住まわれた邸宅で、スズキメソード発祥の地、
邸宅には、カザルスやロストロポービチなど、世界の巨匠たちもたびたび訪れており、そのたたずまいを今に残している。
記念館は世界的な視野で活躍された業績を称える数多くの資料を公開展示しており、スズキメソードの真髄を知ることができる。

鈴木氏は、自らの教育法や生涯について、数多くの著書を残しそのいくつかは、ドイツ出身のヴァルトラウト夫人によって英訳
「主な著書」
才能開発は0歳から1939年、歩いて来た道、1960年、愛に生きる―才能は生まれつきではない1966年、現代の覚者たち、1988年。
入館無料

信州大学方面に
市は、明治21年の大火で市内・1500軒あまりの家屋が焼失し、焼け残った建物は何棟かの土蔵。大火以後、数多くの土蔵が造られるようになった。
土蔵造りといったら、中町。昔の姿の蔵、現地再生した蔵、移築再生した蔵。市内に残る蔵の数は多い。
松本城の「天守」も破損、売却の運命をたどり、荒廃、明治に有志により保存会が設立、11年間かかり修復させ倒壊から救った。
城を出ると正面が大名町通り「シナノ木並木」大名小路井戸、お城の見える井戸、大手門井戸、がある。左右近代的ビルと古い蔵の商店が並ぶ、
町の中央を流れる「女鳥羽川」の千歳橋。
「千歳橋」せんさいばしと書いてある。江戸時代には大手橋と呼ばれた木造橋だった。
1876年(明治9)に、松本城大手門の石材を使って石橋が架けられ、昭和39年に現在の橋に架け替えられた。



「四柱神社」千歳橋横にある。
天之御中主神、高皇産霊神、神皇産霊神、天照大神を祭神とし、4柱の神を祀ることから四柱神社という。
鳥居を出ると、すぐ女鳥羽川で、川沿いに小さな店が並ぶ、そこが有名な縄手通りである。カエルの置物もそこになる。


街中の四柱神社を参拝し、信州松本蔵の街中町へ出た、いろいろの蔵を見て回っていると、三味線の音がして、端唄の芸遊館がある。
お茶菓子付きで入館料¥700、端唄、俗曲、都々逸ありで面白かった。
由端どんどん節 前はアルプス 常念だけよ 東しゃ 美し浅間の湯 端唄 都々逸 また三味もいい
昔懐かし 城下町 ここは松本、中町 ドンドン。


「かえる大明神」
ご利益のありそうなカエルさんが奉られている。ナワテとカエルの関係は30年以上前にさかのぼる。
縄手通りがカエルの町として知られはじめたのは30年近く前、縄手商店街の人達が縄手のシンボルとして何か相応しいものがないかと思案したところ、
昔女鳥羽川でカジカガエルが鳴いていた頃縄手が大変にぎやかだったことからシンボルとしてカエルに決定した。
カエル大明神を奉ったのが昭和47年、そして縄手のシンボルとして通りの東西入口のカエルの石像が登場したのは平成元年のこと、
縄手の人々の思いをのせて、地域のシンボルである。


「 鈴木鎮一記念館 」
鈴木鎮一記念館は、松本市名誉市民の故鈴木鎮一氏が、昭和26年から平成6年まで住まわれた邸宅で、スズキメソード発祥の地、
邸宅には、カザルスやロストロポービチなど、世界の巨匠たちもたびたび訪れており、そのたたずまいを今に残している。
記念館は世界的な視野で活躍された業績を称える数多くの資料を公開展示しており、スズキメソードの真髄を知ることができる。


鈴木氏は、自らの教育法や生涯について、数多くの著書を残しそのいくつかは、ドイツ出身のヴァルトラウト夫人によって英訳
「主な著書」
才能開発は0歳から1939年、歩いて来た道、1960年、愛に生きる―才能は生まれつきではない1966年、現代の覚者たち、1988年。
入館無料


信州大学方面に