syuの日記・気まま旅

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信州あさま温泉

2011-11-26 | 気まま旅
蔵の街中町から今日の宿、松本の奥座敷浅間温泉へと向かう、車で約30分、国道143号線に入り上田方面に、右側の国立信州大学が見えた。


「国立・信州大学」
旧制松本高等学校、新八医科大学である旧制松本医科大学、旧制長野県立農林専門学校、旧制上田繊維専門学校、旧制長野工業専門学校、
長野師範学校等を統合、1949年に新制大学となった。
繊維学部があるのは、信州の地がかつて生糸の産地であった土地柄を反映している。繊維学部のある大学は、現在では信州大学のみ
日本における繊維素材科学研究において屈指の学術機関である。
信州大学は他の国立大学と比べて地元出身者の比率が少ない、8学部8研究科を設置、学部学生数9364人、大学院生数2082人。

   


「長野縣護國神社」は、長野県松本市美須々にある護国神社、明治維新から第二次世界大戦までの国難に殉じた長野県出身者を祀っている。
歴史は、新しく、昭和13年に長野県招魂社として仮社殿で創建、昭和14年に長野縣護國神社に改称している、
同年4月に内務大臣指定護国神社となった。昭和17年に、社殿・社務所などが竣工した。
 
    

満州義勇軍の碑。神社内にある記念碑、「拓友の碑」が入口にある。又、神社内には立派な弓道場がある。弓道の試合が行なわれる。

  


浅間温泉街は、温泉会館を中心に、約30軒の旅館と2軒の日帰り専用入浴施設、3軒の共同浴場がある。
歴史は、古く開湯が約1000年前。江戸時代には歴代松本藩主の御殿湯(浅間御殿)が置かれ、湯守によって厳重に管理された。

若山牧水や与謝野晶子らの文人が訪れていた。また、ドラマ白線流し(1996年1月〜3月放映、他)において、橘冬美の実家として浅間温泉にある某旅館
(大正時代の建物)が使用されている。
名称を「松本あさま温泉」に変更している、これは「浅間」という名称が浅間山の近辺を連想させる事から、松本近郊の温泉であることで変更した。

    

温泉街を山の方に上っていくと、「西宮恵比寿神社」がある。付近には廃寺となった大音寺跡があり、
周辺は公園になっていて、復興された不動院、不動の滝などが並んである。
神社は、明治24年に摂津国西宮神社より勧請し西宮講社松本事務所として始まり、社殿は大正14年に今とは別の
松本市深志の場所に建てられていた、昭和27年に崇敬者の協力を得て本殿を今の浅間温泉の地に建立。

    

浅間温泉「御殿山」の里山に

「不動の滝」
大正6年浅間公園をこの地に寄附を集めて作った時に、滝を作り不動明王を祭った。
不動明王は悪を断じ、善をすすめ、修行者を守り、忿(ふん)怒の姿をとって衆生を教化しようとする。
滝に打たれ心身を清め一心に不動明王を念ずれば祈は必ず通じかなうという。

「不動院」
江戸時代上浅間の三才山道の傍らにあった不動院は明治4年廃寺となる。ここの不動院は昭和15年宗教結社。
本尊、不動明王は眼病と火防に霊験がある。参堂に三三番観音の一部が並ぶ。昭和63年東泉部の薬師本尊を新に安置されている。


     

北アルプス、松本平一望できる「御殿山」展望台予定したが残念であったが曇りの為諦めて。登山口から約30分

次回上田方面に