「烏山」は、世田谷区の地名。北烏山1丁目-9丁目と南烏山1丁目-6丁目より成り、京王線千歳烏山駅周辺は烏山地域の商業及び行政の中心地区。
南に粕谷、上祖師谷、西に給田、三鷹市北野、北に牟礼、杉並区久我山、東に上高井戸、世田谷区八幡山に接する。
南部は甲州街道沿いの集落が起源、北部は、主に、「烏山寺町」が、北部には、「久我山」「三鷹」を称する施設が散見されるなど、千歳烏山駅周辺とは異なる。
北部の寺町は、26の寺院が並び、1923年の関東大震災の後、下町(浅草・築地・本所等)で焼け出された22の寺院が集団移転した。
寺町で、特に、「幸龍寺」は、 徳川家康が浜松城下に建立した寺を移転した寺院で知られている。
肥前国唐津藩(佐賀県唐津市)小笠原氏の現在の菩提寺。また、「高源院鴨池」は、 目黒川の支流である烏山川の源流であり、途中暗渠化されたり
しているものの烏山川緑道をたどり、市街地の中を路地を縫って池尻の目黒川までたどる事が出来るという。
臨済宗大徳寺派の「高源院」は、松葉山と号し、1702年 怡渓宗悦和尚が開山、品川東海寺の塔頭として北品川に創建。昭和14年当地へ移転している。
高源寺 境内
高源寺の本尊は、釈迦如来の座像で足利時代の作といわれている。開山の怡渓和尚の木像が安置してあるが、これも作者、時代ともに不詳。
1702年 久留米藩第5代藩主有馬頼元公および夫人のために、怡渓宗悦和尚が開山し、はじめは品川東海寺の塔頭として、北品川に東海寺と称して建立されたが、
後有馬頼元公夫人の法号養福院殿高源宗隆大姉から高隆院と称したと云う。
明治26年ごろより無住となり、関東大震災によって廃寺となった。昭和10年ごろから有馬氏一族の有志が再建をはかり昭和14年現在地に移転したが、
太平洋戦争のため再建計画は中絶している。
敷地内は植木が多く春はつつじ、夏は睡蓮、秋は萩など四季のながめがよい。特に庭内に清泉が湧いて池を作って、中央に浮御堂を建て、弁財天がまつってある。
この池に昭和35年の秋から鴨が越冬するようになった。小鴨・軽鴨・真鴨が飛来し、軽鴨の産卵孵化がみられ、都会地としてはたいへんめずらしい場所である。
「永隆寺」は、法華宗本門流、本所(墨田区太平)に創建、関東大震災後当地へ移転。
「妙祐寺」は、浄土真宗本願寺派寺院、天護山と号し、1625年 渋谷村宮益坂に了頓法師が、廃寺となっていたものを再建。昭和21年に当地へ移転
「存明寺」は、真宗大谷派寺院、桜田山と号し、1647年 釈願竜が江戸桜田郷に創建。芝金杉、麻布富士見町への移転を経て、昭和4年当地へ移転。
現在の本堂は戦災前の浅草観音堂をたてた「伊藤平左衛門作」で都内でも珍しいものといわれている。 なお本堂には、文政5年存明第9世林明の銘のある伏鐘がある。
(世田谷社寺と史跡より)
「幸龍寺」
徳川家康公がいまだ浜松城主で在った天正七年(1579年)、後の二代将軍秀忠公が誕生した。この時、乳母大姥ノ局(正心院殿日幸尼)は秀忠公の為に一宇の建立を請願、
家康公は奨めを入れ城外に伽藍を調え、玄龍院日?聖人を開山に招き、徳川家祈願寺に定めたのが當山の開創起源であるという。
これより家康公は駿府、江戸と本拠地の変わるたびに當山を伴い移転している。二代将軍秀忠公は継嗣出生安産祈願を當山に命じ、無事に後の三代将軍家光公の誕生を見ると、
仏舎利を奉遷の上、鬼子母神十羅刹女を造像奉納している。
「源生寺」は、1277年 釋貞園に建立されたが、場所は明らかではない。第九世住職 釋秀山により、1657年に江戸築地に移転した。
1923年の関東大震災により全焼。墓碑が多数破損したが、本尊と重要書類は、無事であった。1932年移転、現在にいたる。宗派は、浄土真宗 本願寺派。
「常栄寺」は、浄土真宗本願寺派、鳥越山と号し、創建年代は不詳、浅草鳥越に創建、浜町、築地(築地本願寺の寺中寺)への移転を経て、
1801-1803年 柘植長門守二男某が中興。関東大震災に罹災後、大正13現地へ。
「乗満寺」は、真宗大谷派寺院、野粂山と号し、野粂林松院が明泉法師と力を合わせて摂津東成郡に林松寺として創建。
駿府、江戸車坂(上野)へ移転、野粂山林松院乗満寺と改称、関東大震災後の大正13年、当地へ移転。
「金剛山 多聞院」は、 本尊, 地蔵菩薩. 開基, 述誉上人. 宗派, 真言宗豊山派。1628年 四谷新町(新宿区)に創建。
1954年 新宿駅周辺の区画整理のため、現在地に移転。
現在の本尊は地蔵菩薩だが、江戸時代の『御府内八十八ヶ所大意』には不動尊とある。境内には立派な石彫涅槃図がある。奈良県の壺阪寺から贈られたもので、
石材はインドのデカン高原産とのこと。
台座には釈迦八相のうち「誕生」「出家」「降魔成道」「初転法輪」が描かれている。
その他、境内には延命地蔵、文殊菩薩、悲母観音の石像や仏足石などがある。また、墓地に建つ無縁墓は、天保の大飢饉での餓死者を葬ったものという。
日蓮宗・「妙高寺」は、原立山と号し、1625年 首玄院日立上人により浅草橋場に創建、関東大震災後昭和2年当地へ移転した。
京王線千歳烏山駅が見えてきた。東西共に大きな商店街が続く、駅の歴史は、1913年- 京王電気軌道の烏山駅として開業。 1929年に「千歳烏山駅」に改称された。
1944年 東京急行電鉄(大東急)に併合され複々線として本数も多い、その為踏切は、なかなか開かないと云われている
京王線 千歳烏山駅
これで三鷹方面は、終了です。