syuの日記・気まま旅

気まま旅・syu散歩・富士山麓のこと、
気ままに記録しています。

横須賀港  みかさ

2012-12-27 | 気まま旅
所用あり三浦半島を一回りした。5回に分けて取り上げます。まずは横須賀港から・・。

「東郷平八郎」 1847-1934 ロシアバルチック艦隊を全滅させた海軍軍人元帥、薩摩藩、戊辰戦争で軍艦春日に乗り組んで参加している。
イギリス留学、海軍中尉に、日清戦争浪速館長に、1903年世界最強ロシア海軍バルチック艦隊を対馬で捕え、T字戦法で殲滅し世界を驚かした


「下瀬火薬」は、大日本帝国海軍技師「下瀬雅允」が実用化したピクリン酸を 成分とする爆薬(炸薬)である。
日露戦争当時の日本海軍によって採用され、日露戦争 における大戦果の一因とされた。
大日本帝国陸軍では黄色薬と呼ばれていた。

「戦艦三笠」は、1898年 ヴィッカース社(イギリス)、起工1899年 バロー・イン・ファーネス造船所、進水1900年、日本連合艦隊旗艦、
最後の軍役 1921年、排水量 15,140トン、全長 131.7m、全幅 23.2m、吃水 8.3m、機関 15,000馬力、最大速度 18ノット、
航続距離 10ノットで7,000海里(約13,000km)、乗員 860名、装甲 KC(クルップ)鋼、 舷側:9インチ(229mm)、 甲板:3インチ(76mm)
兵装ー主砲 40口径30.5センチ連装砲2基4門、 副砲 40口径15.2センチ単装砲14門、 対水雷艇砲 40口径7.6センチ単装砲20門 47ミリ単装砲16基、 魚雷発射管 45センチ発射管4門。

敵砲に受けた跡も生々しく残っている。模型で「T字戦法」が解りやすく説明されている。入艦料有料。


横須賀港


自衛艦



「海軍の碑」は、帝国海軍の横須賀における70有余年にわたるその栄光の歴史を何らかの形で残したいということから横須賀軍港逸見上陸場の跡地
(現ヴェルニー公園)に全国の海軍関係者および有志からの浄財を以って建立されたもので、帝国海軍終焉50周年に当たる平成7年11月に竣工、除幕式が行われた。
以後平成13年までは横須賀海友会主催で記念祭執行、平成14年以降は横須賀水交会が海軍記念日に記念行事を主催実施している。



予科練への入隊年齢は15・16歳だった。横須賀での少年航空兵の養成は、昭和14年に霞ヶ浦航空隊に予科練が移るまでの9年間。
連日の猛訓練の末、飛行兵として各航空基地や前線に送られていき、戦況が不利になると、爆弾を積んだ飛行機もろとも敵艦船に体当たりする「神風特攻隊」
改造した魚雷を操縦して突っ込む人間魚雷「回天」、舳先に爆薬を装填したベニヤ板製の爆装モーターボート「震洋」など、生きては帰れない「必死」の自爆戦術が採用されていく。
終戦までの予科練生の戦死者は1万9098人を数える。



子規の碑







三笠公園内 「みかさ」と「猿島」が、、、。

 


三笠公園 噴水広場