syuの日記・気まま旅

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木下杢太郎と七福神-松月院

2015-01-23 | 気まま旅
県南東部、熱海市の南東沖・伊東市海岸正面ー約10kmにある島「初島」、「波島・端島」とも云う。
周囲海食崖で囲まれる。江戸初期以降、土地や水の条件で島の戸数は、42戸に制限され、漁業の協同操業や収益配分などで共同体的特色がみられた。
1980年・昭和55年から生活用水の送水が始まった。
現在、観光施設や民宿が増加し変貌が著しい。交通は、熱海港・伊東港から定期船が、「面積」-約35HA.人口は、60人前後

人気の「伊東オレンジビーチマラソン」今年は、開催日・2015年01月18日(日) 受付 08:00~09:00と云う。
コースー2kmの部 10:00 500人 20分・5kmの部 10:15 1000人 50分・10kmの部 10:20 1000人 65分 (参加資格、幼稚園児以上・視聴覚に障害がある方も伴走者がいれば参加OK)参加料、小・中学生 1000円・高校生以上 3000円・ファミリーの部 2000円 (傷害保険料、通常払込料金を含む)
  

「木下杢太郎・本名太田正雄」1885-1945 詩と医学の道をあゆんだ。
劇作家・詩人・医学者、東京大学・医学部卒、南満医学堂教授・アメリカ・フランス留学・皮膚医学の世界的権威・北原白秋と「パンの会」結成
耽美派詩人の代表者・与謝野鉄幹・北原白秋・吉井勇などと九州のキリシタン遺跡を巡り、詩的感激を得たと云う。

                 詩と医学の道を同時に歩む


            「行く水に おくれて淀む 花の屑」杢太郎 


「市立 杢太郎記念館」JR伊東駅から徒歩5分。
記念館は、杢太郎の生家で、市内に現存する最古の民家でもあり、当時の伊豆の生活を伝える貴重な民具類も並んでいる。入館料¥100

文学者、医学者として知られる木下杢太郎の貴重な資料が展示
  

医学者・太田正雄は、森鴎外の勧めもあり皮膚科学の道を選択、主の研究業績は、病原性真菌、ハンセン病、皮膚腫瘍などに関するもので、
「眼上顎部褐青色母斑ー太田母斑は、彼が見出した疾病である。

              フランス政府からレジオン・ドヌ―ル勲章を受けている
  

1835年に建てられた生家で当時のままの状態で保存されている。伊東市内現存最古の民家である。(市指定文化財)

                        杢太郎生家・室内
    

杢太郎・文学者としても、詩のほか、戯曲、小説、評論など各分野で業績を残し、与謝野寛・昌子、北原白秋、石川啄木らの詩人と友好を深めた。
これらの関係資料のほか、夏目漱石や芥川龍之介、樋口一葉らからの書簡なども展示されている。
杢太郎は伊東について「小生の生まれたところで、もし大地に乳房というものがあるとしたら、小生にとってはまさにそれです」と、故郷への愛着の言葉を残している。
     「浜の真砂に文かけば/また波が来て消しゆきぬ/あはれはるばるわが思/遠き岬に入日する」

晩年の植物画集「百花譜」には、戦時の紙不足から横ケイの医学用箋に描かれた、じつに872枚の画稿が収められているが、その中でも、死の直前(昭和20年7月27日)に病床でスケッチされた「やまゆり」には、次のような、力弱くいたいたしい筆致の添え書きがある

  

    

晩年の植物画集「百花譜」には、戦時の紙不足から横ケイの医学用箋に描かれた、じつに872枚の画稿が収められているが、その中でも、死の直前
(昭和20年に病床でスケッチされた「やまゆり」)が知られている。



「松川遊歩道桜並木通り」
伊東オレンジビーチには杢太郎が東大の学生であった23歳の時, この海岸で詠んだ詩、「海の入日」の碑が建てられている。

                   浜の真砂に文かけば
                   また波かせ来て消しゆきぬ
                   あはれはるばる我おもひ
                   遠き岬に入日する

市内を流れる松川沿いの遊歩道にも杢太郎の絵画やレリーフが等間隔に並び, 対岸に建っ旧旅館の東海館とともに目を楽しませてくれる。
    
                            桜の老木が
  

「桃源山ー松月院」桜寺とも云う。
伊東駅裏山0・7kmの高台にある。1183年真言宗「僧ー銀秀」により開創・1607年に曹洞宗に転宗。

七福神・弁財天- 七福神中の紅一点、琵琶を弾く妖艷な姿で現される弁財天(弁才天 とも書く)は福徳・諸芸能上達の神として広く信仰されている。
大黒天と同様、弁才天の ルーツは古代インドの水の神サラスヴァーティー。
インドのサラスバ ティー川の河神で、のちに梵天の妃となったが広く信仰され,これが仏教に取入れた。

日本三大弁財天とは、安芸の宮島、近江の竹生島、 江の島の弁財天のこと。
    

伊東の生んだ文学者「木下杢太郎」の生家太田家の菩薩寺。
杢太郎もしばしば散策し、春は桜、秋は月見の名所として数多くの文人、歌人が集まった。

    
                     本尊ー釈迦牟尼仏


伊東12景の1つで、眺望が良く伊東市街を一望でき、庭園にはめずらしい早咲きの彼岸桜をはじめ色々な種類の桜が植え込まれ、桜寺ともいう。
  

本堂左池の上に、「弁天堂」が祀られている。この弁天様は、1685年天神畠と云う所より発掘されたと云う。

     

寺の名「松月院」と云われるほど立派な「松」が植えられていた。鐘楼と名月鑑賞で知られている寺。

「内山雨海」は、日本墨画界、書道第一人者、「筆塚」は、雨海の満50歳を記念し門下生が建てたと云う。

  

次回は、大黒天神の海上山「朝光寺」へ。