「日蓮」 1222-82 日蓮宗の開祖
日蓮宗の「祖師日蓮の三大法難」の一つ「伊豆法難」の舞台が現在の伊東市。
立正安国論をあらわし、幕府政策を批判し、激しい布教活動で他宗を批判した日蓮が、念仏宗派など他宗の人々や、北条氏の怒りにふれて伊東への流罪を宣告されたのが、1261年のこと。
日蓮は、千葉県安房の生まれ、故郷の「清澄寺」で出家。浄土教を批判し、鎌倉へ出る。そこで「立正安国論」を書く。
このままでは内乱と侵略が起こると云い、「北条時頼」に提出したが無視され、ここ伊東に流された。
許されると、主張を強めたため他宗から憎まれ、新潟・佐渡島へ又、流される。三度警告したが聞かれず、山梨・甲斐国身延へ赴いた。その年の秋
蒙古が来襲した。武蔵国池上(大田区)で没した。
江の島の「竜の口」した所で役人が切ろうと、雷鳴とどろき稲妻が走り、役人の刀が折られ命が助かったと云う。「日像」がその後京都で努力し建武
元年「日蓮宗・妙願寺」が勅願寺と認められた。
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「北条時頼」 1227-63 独裁的執権
鎌倉幕府5代執権、前将軍「九条頼経」と側近らが、執権職剥奪の陰謀を知り、一派を処刑している。
時頼は、母「松下禅尼」の教育で倹約者と下級家人を重んじ善政をした人物、客に酒の肴に、味噌を振舞ったと「徒然草」の残っている。
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「日蓮宗」の寺。
妙正結社(市八幡野)・朝善寺(市宇佐美)・行蓮寺(市宇佐美)・慈眼寺(市湯川)・佛光寺(市和田)・妙隆寺(市和田)・佛現寺 (市物見が丘)
法船寺(市芝町)・大行寺(市芝町)・妙法寺(市芝町)・廣宣寺(市芝町)・蓮正寺 (市芝町)・蓮慶寺(市川奈)
伊東七福神・大黒天神ー朝光寺・山号海上山(伊東市岡区)を参拝。
文化財として保存される価値のある四万垂木と樹齢200年と言われるつつじの古木
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城ケ崎海岸・日蓮上人名刹巡り
仏現寺ー蓮着寺ー海岸ー蓮慶寺ーお岩屋ー4時間コースがある。
1261年、幕府によって伊豆に流された日蓮上人は、川奈の漁師・船守弥三郎によってこの岩屋にかくまわれたと伝わっている。
日蓮は岩屋で約30日間を過ごし、その後伊東へ移ったという。
住職朝光律師が感化され日蓮宗に改宗
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「大黒天神・朝光寺ー山号海上山」 日蓮宗
鎌倉末期は、真言宗・松原寺山に創建、宗祖伊豆ご法難、大黒天尊像の朝光律師に与えられ、律師は改宗したと伝わる。1548年妙光院日形が、ここの地に
大黒天を還座動請して、朝光律師の「旧徳讃之国土安穏道場」創立、のち中興23世日義と先住日応によって寺門を一新したと云う。
当時、帝釈天・鬼子母神・七面大明神が祀られていたとも云う。
大黒天は17cmの 素朴な木彫りの像(普段は扉閉められている)
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伊豆急行線を境に山よりの七福神は、弁天財の松月院とここ、大黒天神の朝光寺と福禄寿の林泉寺の三寺で、他は海岸寄りに集中している。
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寺の創建は鎌倉時代末期に開かれたのが始まりと伝えられている。
日蓮宗の開祖日蓮が伊豆伊東へ法難の際、当時の住職「朝光律師」が感化され日蓮宗に改宗している。
伊東七福神の一つ大黒天尊像(像高17cm)は日蓮が与えたものと伝えられる。
寺宝として日蓮上人の十界大曼陀羅を、大黒天が子授け・子育ての守護神であることから合わせて鬼子母神、帝釈天、七面大明神が祀られている。
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七面大明神が祀られており,七面堂(旧本堂)の垂木が、大変珍しい四方垂木といわれるもので、文化財としても保存されるべき価値のある建物と云う
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山門を入った右側には樹齢200年といわれるつつじの古木がありますが、花の時期には無数の花が咲き乱れると云う。
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水難・火難・盗難など災害が除かれ生命財産が守られると云う「伊東温泉・七福神巡り」、風光明媚と文学散歩と泉都と自然で心身ともに健全に。
大黒天神は、大古久とも書く、摩訶(大)迦羅(黒)とも云う。一切衆生に福徳・五穀豊饒・開運徳幸を祈願して。
次回は、寿老神の最誓寺へ。