素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

「替え歌」好きの原点

2012年02月04日 | 日記
“ 犬百人一首”の存在を知ったのは最近だが、今年の正月同じようなことを試みていた。白洲正子さんの“私の百人一首”を読みながらもじった歌をつくったら面白いやろなと考えた。1番の天智天皇の「秋の田の~」を「飽きたのよ」で始めてまとめられないかとやってみたが十七文字ならいざ知らず三十一文字を料理するのはむずかしく挫折した。

 そういうこともあったのでよけい“犬百人一首”に強くひきつけられた。こういう言葉遊び的な世界に目を向けるようになったのは中学1年、2年と担任してもらったN先生の影響かと思う。N先生は歌謡曲の替え歌をつくるのが好きで、自信作はわれわれに披露してくれた。すごい!とは思わなかったが、普段とは違う先生のすごくうれしそうな様子が楽しく、つきあっていた。

 当時の私の学校の“3年生を送る会”は15分ぐらいの持ち時間で、1,2年生の各クラスが何か出し物を舞台上でするというものだった。2年生の時何をするかという話し合いの時突然N先生は、今まで自分がつくってきた替え歌で歌謡ショーをしようと提案。一度やってみたかったみたいで、この機をのがすと二度とできないと思ったのか私たちへの説得には鬼気迫るものがあり押し切られてしまった。

 歌謡ショーの形にするには司会がいるだろうとなり、変な?替え歌を歌うよりはましかと、友人のN西と一緒に漫才コンビを結成して漫才風に司会進行することにした。台本つくりと練習に明け暮れたのはなつかしい思い出。

 N先生の替え歌の世界は2年間のつきあいの中で私の中に自然としみこんでいたみたいで、高校生になると替え歌をつくっている自分がいた。勉強のことや色恋のことが多かったがそれらを書きつけた日記は、40歳になった時すべて燃やしてしまった。今で言う「断捨離」。1つだけ覚えているのがある。

 一節太郎の♪浪曲子守唄♪逃げた女房にゃ未練はないが~の替え歌「取った点には未練はないが  期待している親にはつらい 勉強なんぞは苦手な俺だが 馬鹿な男の 一夜漬け 一つやろうか夜明けまで」こういう感じ。

 高校にもパロディを楽しむ気風があり、1学期に発行される生徒会誌のクラス紹介の欄では、各クラスよく知られた文や詩などをもじって自分のクラスを紹介していた。どんな傑作があるだろうとみんなで楽しみにしていた。

 ことば遊びでは阿刀田高さんの「知的時間と遊ぶ本」(KKベストセラーズ・ワニの本)が面白かった。
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