昨日、高島屋の帰り、難波から千日前通りを日本橋まで歩いた。地下鉄堺筋線で南森町まで行き、大阪天満宮駅から東西線に乗って帰ろうと考えたからである。ワッハ上方や国立文楽劇場に行く時このルートをよく使う。近くに黒門市場があることは知っていたがいつも素通りしていた。
黒門市場は大阪・浪速の台所として有名で、年末の買い物風景はよくテレビで紹介される。持ち前の好奇心でちょっと寄り道をした。
約180の店舗があり鮮魚店が6割を占めるという。
文政期頃からこの辺りで鮮魚商人が見られるようになったが、市場として開設されたのは1902年(明治35年)2月で、当初は圓明寺市場と呼ばれた。圓明寺市場の名はかつて市場近くにあった寺院に由来するが、この寺院の山門が黒塗りであったことから黒門市場と通称されるようになり、現在ではもっぱら黒門市場の名で知られる。
大阪のみならず日本各地にいろいろな市場があるが、エネルギーの渦巻く独特の雰囲気が好きだ。グローバル化、巨大化への大きな流れがある中で、このような市場の存在は大切であると思う。世の中の仕組みが合理性ばかり追求され単一化されていくのは危険だと思う。多様性のある社会は強さを持っているように思える。
いろいろな市場を歩くたびにいつも思う。寒さのせいで葉物野菜の値段が上がっているが、一玉200円の白菜を売っている店をみつけ、つい買ってしまった。筋トレの代わりのつもりで重さに耐えて帰った。
黒門市場は大阪・浪速の台所として有名で、年末の買い物風景はよくテレビで紹介される。持ち前の好奇心でちょっと寄り道をした。
約180の店舗があり鮮魚店が6割を占めるという。
文政期頃からこの辺りで鮮魚商人が見られるようになったが、市場として開設されたのは1902年(明治35年)2月で、当初は圓明寺市場と呼ばれた。圓明寺市場の名はかつて市場近くにあった寺院に由来するが、この寺院の山門が黒塗りであったことから黒門市場と通称されるようになり、現在ではもっぱら黒門市場の名で知られる。
大阪のみならず日本各地にいろいろな市場があるが、エネルギーの渦巻く独特の雰囲気が好きだ。グローバル化、巨大化への大きな流れがある中で、このような市場の存在は大切であると思う。世の中の仕組みが合理性ばかり追求され単一化されていくのは危険だと思う。多様性のある社会は強さを持っているように思える。
いろいろな市場を歩くたびにいつも思う。寒さのせいで葉物野菜の値段が上がっているが、一玉200円の白菜を売っている店をみつけ、つい買ってしまった。筋トレの代わりのつもりで重さに耐えて帰った。