素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

“ほんまもん”を見る

2012年02月19日 | 日記
 サンケイホールブリーゼであった“女優が贈るおしゃべりコンサート”に行ってきた。
 ソプラノの関 定子さんは67歳。パワフルな声に圧倒された。トークの中で「60歳過ぎて、客席を見てお客さんの反応を感じながら歌えるようになり、すごく楽しい。60歳からよ。」という歌っている時とは別人のドスのきいた声。クミコのコンサートに初めて行った時の歌声とトークの声のギャップに感じたものと同じ。「個人のなかにある二面性みたいなギャップに弱いんだよな」と苦笑。

 進行役の輪島さんの「どうしたらそんなにうまく歌えるのですか?」という質問に、「ウン?」2秒の間・苦笑まじりに「歌い続けること」という答え。どこかでまったく同じようなことがあったなと瞬間思った。メセナであった旬感クラシックで、会場からの質問コーナーで同じ質問に対するソプラノの木澤さんの反応と答えだった。歌っている本人にとっては“HOW TO”ではなく無自覚な行為なのだろうと納得。これは芸能で老成といわれる域に達した方々の言葉の中にもよくあった。
 “学問に王道なし”“継続は力なり”ということやなと勝手に納得。

 テノールのベー・チェチョルさんは7年前に、甲状腺ガンに襲われその摘出手術の際、声帯と横隔膜の両神経を切断。歌声に加え、右側の肺の機能を失う。京都大学一色信彦名誉教授による声帯機能回復手術により奇跡の舞台復帰を果たされた。

 話を聞かなければ、唯一動く左側の声帯が、中央で静止している右側の声帯に触れて発せられた歌声であるとはわからない。会場には一色教授も来られていて満場の拍手を受けられた。“縁”というものを強く思わされたコンサートでもあった。

 冨士さんは中学時代にオペラに出会い、それ以来、虜になっていると話されていた。その出会いのきっかけは東京から赴任してきた“アル中”の音楽教師が時間つぶしのようにかけてくれたオペラのレコードであった。これも不思議な縁。

 冨士さんの生活感ムンムンの感じと吉行さんの雲の上の人という生活感のなさとの対比も興味深かった。

 仕事をやめてから、いろいろな分野で“ほんまもん”を見る機会が多くなり自分の中に変化が生じていることが自覚できる。“ほんまもん”の持つパワーであろう。これが“教育を考えていく時のポイント”じゃないだろうかと帰り道で思った。
コメント
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