素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

「留年」

2012年02月25日 | 日記
 東京ディズニーランドに行ってきた孫が土産をもってきてくれた。「もうすぐ2年生やな」ということから“留年”のことが話題になった。上の娘が「高校生ならまだしも、小学生にはどうかと思うは」と言うと、社会の動きに無頓着な下の娘は「どういうこと?」というので橋下市長が学力のついていない生徒に対しては留年という処置でしっかり学力をつけさせることも必要では。と語ったことに対して文部科学省の副大臣、大臣が是認するようなコメントを出したことを説明。「え~勉強ばっかりが学校と違うのにな」と一言。

 長女のほうは、孫の1年生のクラスを頭に描いて、授業中じっとしていられないあの子なんかどうなんやろという。その子の対応に追われて担任の先生は大変でクラスが落ち着かない。クラス替えを目前に保護者の中からも苦情がたくさん出ている。「こんな時“留年”ということが認められたら、その子を進級させるなということを言い出す親も出てくると思うわ、“1年生で身につけるべきことがついていないのになぜ?”と詰め寄られたら学校はどう説明するんやろ。」保護者会のたびにえげつないやりとりを聞いて来た娘は心配する。「中1の時、めちゃめちゃやった子が3年でしっかりする子もおったしな、めちゃめちゃのままもあるから判断はむずかしいのと違う?」とは下の娘。

 “できない子を救う”というのは建前の論理で、実際は“排除のシステム”として機能していくのではないかと二人の話を聞いていて感じた。「退学」でもそう。ルールを守れない者はやめてもらう。ということが義務教育でも認められたら教師のストレスはずいぶん軽減されるだろう。しかし、「退学」という排除のシステムができてしまったら教育の大事なものが失われていくのではないか。

 今の社会の風潮は、さまざまなものを抱えながら悪戦苦闘することより、合理的なシステムに乗っからないものを排斥していくことに傾きつつあるように思えてならない。その行き着く先に怖さを感じる。
コメント
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