自民党が政権を取り返し、安倍さんが首相の座に返り咲いてからの動きを見ていると沖縄問題、TPP問題と憲法改正、靖国参拝への対処においての分裂が際立っているように思える。戦後自民党の長期政権の時も内在していたのだろうがこれほどまでに顕著に見られなかったように思える。一番の象徴的なものは4月28日の政府主催「主権回復の日」式典を開催したことだろう。
サンフランシスコ講和条約には「条約の発効の日をもって、日本国と各連合国との間の戦争状態は終了する。」と書かれているのだから「終戦記念日」とすべきという意見があった。私も同感である。
さらに、日本国の完全な主権を承認するかわりに、主権を放棄する領土が列挙されていて、そこに沖縄県(尖閣列島)があった。したがって主権にこだわるならば「主権の回復・放棄の日」がふさわしい。領土問題が緊迫している今、過去の「主権の放棄」になぜこだわらないのかわからない。
また、サンフランシスコ講和条約の締結の大前提に、東京の極東国際軍事裁判所と海外の戦犯法廷で行われた裁判と刑執行を日本が受け入れがあった。
そのことと、現政権のまわりの議員によるA級戦犯を合祀している靖国神社参拝へのこだわりは方向性が逆である。
民主党政権で冷え切った日米関係を取り戻すことを第一義に考え、沖縄、TPPではアメリカが喜ぶ方向でばく進しつつ、一方では米政府高官や米有力紙からは「無用の国粋主義」とか「歴史を直視しない」などと批判を受ける言動を身内では繰り返す。
この矛盾に満ちた意識構造は何か?ということをモヤモヤと考えている5月である。その時にふと思いだしたのが岸田秀さん。もう30年近くなるだろうか。昭和57年に出版された「ものぐさ精神分析」(中公文庫)から始まってはまっていた時があった。当時は性的唯幻論を中心に性についての岸田さんの話に興味があったのだが、その本の中では日本の近代史の精神分析もしていた。そこでは日本国民は精神分裂病的であり、それは1853年のペリー来航に始まるという。
分裂病質の特徴は外的自己と内的自己の分裂である。日本の近代史をその観点から論じているのだが当時はあまりピンとこなかったが、今の政治状況を見ているとこういうことだったのかと岸田さんの言わんとするところがはっきりしてくるのである。自分の考えを整理するためのヒントを得るためもう一度「ものぐさ精神分析」を読み直している。
ここでもう一度岸田さんが現れるとは思ってもいなかった。
サンフランシスコ講和条約には「条約の発効の日をもって、日本国と各連合国との間の戦争状態は終了する。」と書かれているのだから「終戦記念日」とすべきという意見があった。私も同感である。
さらに、日本国の完全な主権を承認するかわりに、主権を放棄する領土が列挙されていて、そこに沖縄県(尖閣列島)があった。したがって主権にこだわるならば「主権の回復・放棄の日」がふさわしい。領土問題が緊迫している今、過去の「主権の放棄」になぜこだわらないのかわからない。
また、サンフランシスコ講和条約の締結の大前提に、東京の極東国際軍事裁判所と海外の戦犯法廷で行われた裁判と刑執行を日本が受け入れがあった。
そのことと、現政権のまわりの議員によるA級戦犯を合祀している靖国神社参拝へのこだわりは方向性が逆である。
民主党政権で冷え切った日米関係を取り戻すことを第一義に考え、沖縄、TPPではアメリカが喜ぶ方向でばく進しつつ、一方では米政府高官や米有力紙からは「無用の国粋主義」とか「歴史を直視しない」などと批判を受ける言動を身内では繰り返す。
この矛盾に満ちた意識構造は何か?ということをモヤモヤと考えている5月である。その時にふと思いだしたのが岸田秀さん。もう30年近くなるだろうか。昭和57年に出版された「ものぐさ精神分析」(中公文庫)から始まってはまっていた時があった。当時は性的唯幻論を中心に性についての岸田さんの話に興味があったのだが、その本の中では日本の近代史の精神分析もしていた。そこでは日本国民は精神分裂病的であり、それは1853年のペリー来航に始まるという。
分裂病質の特徴は外的自己と内的自己の分裂である。日本の近代史をその観点から論じているのだが当時はあまりピンとこなかったが、今の政治状況を見ているとこういうことだったのかと岸田さんの言わんとするところがはっきりしてくるのである。自分の考えを整理するためのヒントを得るためもう一度「ものぐさ精神分析」を読み直している。
ここでもう一度岸田さんが現れるとは思ってもいなかった。