中学生の頃は友人と地図帳でわかりにくい場所をお互いに問題で出し探しっこする遊びが流行った。それにプラス面白い読みや意味があればみんなで嬉しがったもにだ。南米のチチカカ湖なんかがそうだったと記憶にある。高1の地理のT先生は速射砲みたいな授業展開であった。地図上の位置を「12ページ・Dの2やや左、同じくFの8右上・・・・・」と矢継ぎ早に言っていくのを必死で追いかけたものだ。まさに立て板に水であった。よく物まねをしたものだ。
本格的に地形図と向かい合ったのが大学受験の時である。千葉大学園芸学部造園学科を目指したのだが、そこの過去問を調べると地理では必ず地形図を読み解く問題が出題されていた。本屋で地図関係の本をあさって読んだ。二度チャレンジしたがあえなく敗退。それでも高2の秋すぎから高3、浪人時代にかけて地図に取り組んだおかげで受験のためだけではなく地図そのものの面白さも感じることができた。
その後も地図とのおつきあいは続いた。大学時代に出会った堀淳一さんの『地図の楽しみ』(河出書房新社)は興味深い内容であった。もう少し早く出会っていれば受験の役に立ったのにと思った。
ちまちまと今ある地図を眺めていた私にコペルニクス的転回を与えてくれたのが高坂正堯さんの『世界地図の中で考える』(新潮選書)であった。国際政治学者の高坂さんの旅行記である。そこで「地理的視野」ということを教えられた。オーストラリアの南東端にあるタスマニア島に行った目的の1つをこう書いている。
私は南半球から地球を見上げたかったのである。われわれは北半球に住んでいる。だから、われわれが地球と地球上にくり拡げられる人間の営みを見る目は、北半球からの見方である。南の端から地球のできごとを見るとどうなるだろうか、私はそれを経験してみたかった。もっとも、こうした私の考えを笑う人があるかも知れない。われわれが見る地図は地球の客観的な地図であり、北から見た地図とか、南から見た地図などは存在しない、どこへ行っても地球儀は同じ型をしている。
たしかに、科学的に見れば地図は何通りもは存在しないであろう。海と陸の配分、川の流れ、山の連なり、砂漠の存在、それらは見る視点によって変りはしない。日本のなかで使われている地球儀とオーストラリアのそれはたしかに同じである。しかし、この科学的な地図ほどわれわれに誤解を与えるものは少ないのである。なぜなら地球の形そのものはほとんど変らなくても、それが人間に対して持つ意味は時代によって、また見る人の目によって異なる。
この本に感化されて地球儀を買って、上からや下からやと眺め、今まで見てきた太平洋が真ん中を占め、右にアメリカ大陸、左にヨーロッパという地図しかなかった私の頭に別の見方が生まれた。
うぶす
それ以後も地図やそれに関連する本とは燃えるような恋ではないが炭火のような付き合い方をしてきた。最近地図関連の面白い本とひょっこり出会った。中沢新一さんの「アースダイバー」「大阪アースダイバー」まだパラパラと見ているだけだがそれでも嬉しくなってくるものである。もう1つが昭文社から出た「なるほど知図帳 日本2013」である。一番欲しかったのは付録の『視点を変えた日本地図』であった。《大陸側から見た”逆さ”日本地図》《海水を抜いて地表を露出させた日本凹凸地形MAP》の2つがあり、子どものようにしげしげと眺めては喜んでいるのである。
本格的に地形図と向かい合ったのが大学受験の時である。千葉大学園芸学部造園学科を目指したのだが、そこの過去問を調べると地理では必ず地形図を読み解く問題が出題されていた。本屋で地図関係の本をあさって読んだ。二度チャレンジしたがあえなく敗退。それでも高2の秋すぎから高3、浪人時代にかけて地図に取り組んだおかげで受験のためだけではなく地図そのものの面白さも感じることができた。
その後も地図とのおつきあいは続いた。大学時代に出会った堀淳一さんの『地図の楽しみ』(河出書房新社)は興味深い内容であった。もう少し早く出会っていれば受験の役に立ったのにと思った。
ちまちまと今ある地図を眺めていた私にコペルニクス的転回を与えてくれたのが高坂正堯さんの『世界地図の中で考える』(新潮選書)であった。国際政治学者の高坂さんの旅行記である。そこで「地理的視野」ということを教えられた。オーストラリアの南東端にあるタスマニア島に行った目的の1つをこう書いている。
私は南半球から地球を見上げたかったのである。われわれは北半球に住んでいる。だから、われわれが地球と地球上にくり拡げられる人間の営みを見る目は、北半球からの見方である。南の端から地球のできごとを見るとどうなるだろうか、私はそれを経験してみたかった。もっとも、こうした私の考えを笑う人があるかも知れない。われわれが見る地図は地球の客観的な地図であり、北から見た地図とか、南から見た地図などは存在しない、どこへ行っても地球儀は同じ型をしている。
たしかに、科学的に見れば地図は何通りもは存在しないであろう。海と陸の配分、川の流れ、山の連なり、砂漠の存在、それらは見る視点によって変りはしない。日本のなかで使われている地球儀とオーストラリアのそれはたしかに同じである。しかし、この科学的な地図ほどわれわれに誤解を与えるものは少ないのである。なぜなら地球の形そのものはほとんど変らなくても、それが人間に対して持つ意味は時代によって、また見る人の目によって異なる。
この本に感化されて地球儀を買って、上からや下からやと眺め、今まで見てきた太平洋が真ん中を占め、右にアメリカ大陸、左にヨーロッパという地図しかなかった私の頭に別の見方が生まれた。
うぶす
それ以後も地図やそれに関連する本とは燃えるような恋ではないが炭火のような付き合い方をしてきた。最近地図関連の面白い本とひょっこり出会った。中沢新一さんの「アースダイバー」「大阪アースダイバー」まだパラパラと見ているだけだがそれでも嬉しくなってくるものである。もう1つが昭文社から出た「なるほど知図帳 日本2013」である。一番欲しかったのは付録の『視点を変えた日本地図』であった。《大陸側から見た”逆さ”日本地図》《海水を抜いて地表を露出させた日本凹凸地形MAP》の2つがあり、子どものようにしげしげと眺めては喜んでいるのである。