素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

娘2人、孫と一緒に鶴見緑地へ

2013年05月06日 | 日記
 昨日の夕方に娘と孫が山崎から来ていた。今日は下の娘も合流して鶴見緑地に行くことになった。私たち夫婦にとってはお馴染みの場所だが、孫連れとなると目的のエリアがまったく違う。いつもは花中心に巡るが今日は遊び中心。大芝生から子どもの森方面で過ごした。下の娘が家にあったサッカーボールを持ってきたので蹴り合いの途中にリフティングを入れてみた。退職以来サッカーボールはさわっていないのでどうかなと思ったが体は覚えているものだ。娘や孫の前で格好のつく程度にはできたのでヤレヤレであった。

 ボール遊びに飽きた孫は娘たちと子どもの森の遊具へ、妻は花の様子を見にいつものエリアにウォーキングに行っている間はベンチに寝ころび新緑と人間ウォッチングを楽しむ。木陰のベンチと緑のせせらぎに続く小広場ではさまざまな家族や夫婦、カップルの人間模様がある。それらを眺めていると、今朝出がけに読んできた朝刊のコラムが思い起こされた。随筆家の山本ふみこさんの「山本さんちの あっ!?」⑤の《家族のかたち》である。「そうなんだよな」と共感できた。

 「家族」「家庭」ということばを使うとき、いつも、くっと緊張する。「家族とは、家庭とは」と、考えるともなく考えてしまうからだ。
                 
                 *                *
 
 世のなかには、じつに多様な家族構成、家族関係がある。わたし自身も離婚を経験し、母子家庭を経てあたらしい家庭を持って現在に至っている。かつてはそれを、特殊な人生だと思った。みずからそれを背負うつもりで、歩きはじめた。

 背負うかたちで視線も低く歩いていたものだから、気がつかなかったのだが、ふと目を上げ、あたりを眺めわたすと・・・・・。
 
 絵に描いたような家族関係ばかりでないことが、すぐとわかった。また、家族は変化してゆくものであるということも。規模も、ふくらんだり縮んだりする。

 それから、かたちが整った家族にも、家族であることにもがいたり、傷つけ合ったりすることが少なくないことも知った。

 世のなかには、いろいろなかたちの家族があること、あっていいこと。どこからだってはじめられ、やり直せること。ちょっと小声で、叫びたい気持ちだ。

 なぜ、とつぜんこんな気持ちになったのか。きのう、電車のなかで会った親子を思いだしたからか。隣り合わせた愛らしい赤ちゃんを連れた若いお父さんが云ったのだ。「いつごろから、赤ん坊は話すのでしょう。父子家庭でね。この子と話をするのがたのしみなんです。


 今、朝8時からの「あまちゃん」、夜7時からBSで再放送されている「てっぱん」にはまっている。2つとも家族の在り様が巧みに描かれている。ステレオタイプに家庭のありかたが語られることへのアンチテーゼとして受けとめている。

 広場にあったうんていがうまくできなかったみたいで、下の娘にからかわれながら孫が帰ってきた。近くに乗馬苑もあり、ポニーの乗馬体験などができるみたいなので弁当を食べた後はうんていの再チャレンジと乗馬体験をして帰ることにした。

 ポニーの乗馬体験は14時からなので13時からできる日祝日のみ7組限定というミニ馬車体験を楽しむことにした。子どもの日のプレゼントである。
 15時過ぎに家に帰り一服した後、「さあ明日から仕事や!」は娘2人、「あ~あまた学校が始まる」は孫。明日があるからと早々にそれぞれの家庭に帰って行った。 

 
コメント
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