北新地から茶屋町にあるシアタードラマシティまで行くのに、オープン間もない今一番ホットな場所グランフロント大阪を通って行くことにした。話に違わず混雑していた。行ってきた人が「立体迷路みたいで迷ってしまう」と話していたのもうなづける。ごく一部しか見ていないが入っている店も私には無縁と感じるものばかり、「見ただけで、買い物は阪神百貨店でしてきたんよ。やっぱりおちつくね。」と言った近所のおくさんの気持ちがよくわかる。屋上庭園やテラス、並木道など緑豊かな空間を都会の真ん中にをコンセプトに設計されただけのことはあった。シニア世代の憩いの場になるだろうなという予感はした。大阪ステーションシティができてから、雨の日はそこを中心にウォーキングをかねて地下街ブラブラ歩きをするシニアがだんだん増えてきたという話を聞いた。さらにグランフロント大阪が加わればバリエーションが豊富になるかな?
井上さんは1990年と2010年の二回、上演を試みながら実現できず他界された。たくさんの資料と1枚のメモ書き、近しい人へ語った沖縄への思いなどから井上さんの最期まで書こうとしていたものを引き継ぎ、新たなものを産み出す作業は難しいものであったと思う。先にNHKで娘さんの動きを中心に特集があった。さまざまな人々の思いが結晶したこのような作品は二度とない奇跡と言ってもいいものである。
いつものごとくパンフレットを読みながら余韻を楽しんでいる。「井上ひさし生誕77フェスティバル2012」のおかげで大阪でも井上作品の上演が数多くあり観る機会が増えた。徐々にそのすごさを感じているところである。
井上さんは1990年と2010年の二回、上演を試みながら実現できず他界された。たくさんの資料と1枚のメモ書き、近しい人へ語った沖縄への思いなどから井上さんの最期まで書こうとしていたものを引き継ぎ、新たなものを産み出す作業は難しいものであったと思う。先にNHKで娘さんの動きを中心に特集があった。さまざまな人々の思いが結晶したこのような作品は二度とない奇跡と言ってもいいものである。
いつものごとくパンフレットを読みながら余韻を楽しんでいる。「井上ひさし生誕77フェスティバル2012」のおかげで大阪でも井上作品の上演が数多くあり観る機会が増えた。徐々にそのすごさを感じているところである。