堺市大小路から竹内峠を越え當麻の長尾神社に到る日本最古の官道(国道)である竹内街道をようやく完歩できた。堺市までは天王寺から南海・JR・近鉄といろいろな交通手段が選べるがやはり阪堺電車が一番魅力的であったので阿倍野から大小路まで乗車した。20余りの駅に止まるが沿線を含め飽きがこない。一律200円というのもうれしい。堺市役所の21階展望ロビーも以前から興味があったのでついでに立ち寄ることができて満足した。
竹内街道は推古天皇が西暦613年に造った「大道(おおどう)」が起源といわれ、二上山(にじょうざん・昔はふたかみやま)のサヌカイトを採取するためにつくられていた細い道が整備されて日本最初の官道となった。サヌカイトとはWikipediaによると
讃岐岩(さぬきがん、sanukite、サヌカイト)は、名称のもとである香川県坂出市国分台周辺や大阪府と奈良県の境にある二上山周辺で採取される非常に緻密な古銅輝石安山岩。固いもので叩くと高く澄んだ音がするので、カンカン石とも呼ばれる。
なお、サヌカイトという名称は、明治政府に招かれ、日本各地の地質を調査したドイツ人地質学者ナウマン博士が、讃岐岩を本国に持ち帰り、知人のバインシェンク博士が研究して命名した。
この官道は時代の変遷とともに役目、姿を変えながら街道としての役割を営々と担ってきた。
遣隋使の小野妹子はこの道を通って遠くの大陸を目指し、大陸からの使者たちもまたこの道を通って、都のあった飛鳥へと向かった。都が飛鳥から平城京、さらに平安京へと移ると、街道は街道は太子町にある叡福寺(聖徳太子の御廟所がある)へ通う太子信仰の道となり、中世には大和と堺を結ぶ経済の道となった。江戸時代になると街道は伊勢参りや西国三十三カ所の長谷寺詣の参詣道としてにぎわったという。
明治維新後も大阪と奈良を結ぶ動脈の一翼を担ってきた。現在、鉄道や高速道路の発達でかつての動脈としての役目は終えつつあるといっても、歩いてみてわかったが約26kmの大半は自動車道として充分地域で存在感がある。特に、堺から美原までえは中央環状線となっていて竹内街道はイメージするしかない。
街道の面影を偲びながらのウォークであれば、近鉄上の太子駅から竹内集落、街道資料館を経て竹内峠を越えて近鉄磐城駅までの約8kmのコースで充分だと思う。
今回は堺からの約26kmの完歩にこだわったので前奏の約18kmでエネルギーと時間を使ってしまったので當麻の長尾神社をゆっくりと拝観する余裕がなく、横を通っただけで磐城駅を目指した。これだけが心残り。まだ、二上山に登るというプランがあるのでその時の楽しみにとっておこう。
平成の草鞋と名付けたウォーキングサンダルで26km歩いたらどうなるだろうというのも今回の関心事の一つであった。結論、とても快調であった。
デジブック 『竹内街道を完歩する』
竹内街道は推古天皇が西暦613年に造った「大道(おおどう)」が起源といわれ、二上山(にじょうざん・昔はふたかみやま)のサヌカイトを採取するためにつくられていた細い道が整備されて日本最初の官道となった。サヌカイトとはWikipediaによると
讃岐岩(さぬきがん、sanukite、サヌカイト)は、名称のもとである香川県坂出市国分台周辺や大阪府と奈良県の境にある二上山周辺で採取される非常に緻密な古銅輝石安山岩。固いもので叩くと高く澄んだ音がするので、カンカン石とも呼ばれる。
なお、サヌカイトという名称は、明治政府に招かれ、日本各地の地質を調査したドイツ人地質学者ナウマン博士が、讃岐岩を本国に持ち帰り、知人のバインシェンク博士が研究して命名した。
この官道は時代の変遷とともに役目、姿を変えながら街道としての役割を営々と担ってきた。
遣隋使の小野妹子はこの道を通って遠くの大陸を目指し、大陸からの使者たちもまたこの道を通って、都のあった飛鳥へと向かった。都が飛鳥から平城京、さらに平安京へと移ると、街道は街道は太子町にある叡福寺(聖徳太子の御廟所がある)へ通う太子信仰の道となり、中世には大和と堺を結ぶ経済の道となった。江戸時代になると街道は伊勢参りや西国三十三カ所の長谷寺詣の参詣道としてにぎわったという。
明治維新後も大阪と奈良を結ぶ動脈の一翼を担ってきた。現在、鉄道や高速道路の発達でかつての動脈としての役目は終えつつあるといっても、歩いてみてわかったが約26kmの大半は自動車道として充分地域で存在感がある。特に、堺から美原までえは中央環状線となっていて竹内街道はイメージするしかない。
街道の面影を偲びながらのウォークであれば、近鉄上の太子駅から竹内集落、街道資料館を経て竹内峠を越えて近鉄磐城駅までの約8kmのコースで充分だと思う。
今回は堺からの約26kmの完歩にこだわったので前奏の約18kmでエネルギーと時間を使ってしまったので當麻の長尾神社をゆっくりと拝観する余裕がなく、横を通っただけで磐城駅を目指した。これだけが心残り。まだ、二上山に登るというプランがあるのでその時の楽しみにとっておこう。
平成の草鞋と名付けたウォーキングサンダルで26km歩いたらどうなるだろうというのも今回の関心事の一つであった。結論、とても快調であった。
デジブック 『竹内街道を完歩する』